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第三章-2

 市庁舎の最上階オフィスで、比嘉は無限にすら思える大量の事後作業に追われていた。10あるモニターから同時に流れてくる報告に耳を傾けながら矢継ぎ早に判断を下し、うち1つのモニターのミュートを解除してマイクから指示を伝える。ひたすらにこの繰り返しだ。

 とにかく今は、反対派の批判を交わしながら失われた軍備の再構築を進めなければならない。親交を結んでいる他コロニーからの支援を受けつつ、しかし公にはせずあくまで内密にそれらを進める。無茶な話だ。とりわけ冷戦関係にあるフランスからの目を避けるのが至難だと言える。物理的距離を隔てているのは救いだが、先代先々代市長の失政のツケを払わされることにも本心からの承服はし難い。

 ──いずれにせよ、先々代市長は非難できんのだがな。

 故人であるし、一応あれは自分の父にあたるのだ。いずれは先々代市長を徹底的に悪人に仕立て上げた上で、縁者ですら正義のためには容赦なく断罪する人間として自らのイメージを打ち立てていきたいのだが、今はまだ時期尚早としか言えない。

 比嘉は雑念を振り払って業務を再開する。聞けば、軍部の方では斎川が同じような状況に置かれているらしい。今回、最も直接的な被害を受けたのは軍部だ。それら全ての収拾の図るために、余人の追及を許さない勢いで不眠不休の業務に携わっているという。その鬼気迫る様子に、彼の部下はこのようにコメントしていた。いわく、まるで大切なものを失った悲しみを無理やり忘れようとしているようでしたと。

 それはいささかセンチメンタルに過ぎる表現だった。たしか、斎川には家族はいない。軍の同期にも親しい者はいないはずだ。よって、単に職務に忠実なだけだろうと比嘉は判断する。叩き上げの軍人がご苦労なことだと思わないでもないが、専門でないのはこちらも同じだ。同情には値しなかった。

「市長、少し宜しいでしょうか」

 通信プライオリティを最上級に設定している人物からのコールが入った。比嘉は一旦全てのモニターをスリープモードにしてからコールに応じる。

「どうした?」

「それが──」

 と、相手の全身像がモニター全てに被さるようにして浮かび上がる。ホログラフィだ。だが、比嘉は眉を顰めた。この機能は、市長に面会しにきた者の姿を直前でチェックするためのものだ。実際に面と向かう数秒前の相手の様子を把握することで、場合によっては顔を合わせた瞬間から先手を打つことが出来る。そんな目的で設置されたものであるため、カメラは隣接する秘書室フロアに据え付けられている。つまり、彼女は今、比嘉のオフィスのすぐ目の前にまで来ているということだ。

 だが彼女は今政治的に非常に厄介な状況に置かれている。ために、やむなく比嘉は彼女との接触を断っていた。先方にもそう言い含めていたし、それが理解出来ない人間ではないはずだが、そんな彼女がこうして直接訪れたということは──

 ──余程の用件、ということか。

 比嘉は結局、彼女が何か言葉を発する前にドアをオープンさせた。彼女との話はなんであれ機密事項となる。であれば、扉越しの会話を無駄に続けるよりオフィスに引き入れた方がいい。そんな判断だったのだが──

「! ……君は」

 彼は目を見張った。

 開いた扉の先には、たしかに彼女──諒子がいた。

 しかし、いたのは彼女だけではなかった。

 この場にいるにはひどく浮いた存在──すなわち私服姿の英一が、諒子の横で比嘉を厳しい眼差しで睨み据えていたのである。

 

 ◇

 

「どういうことだね?」

 比嘉の問いは、諒子に向けられたものだった。だが腕を組み、半身で彼を見る諒子の目は冷たい。彼女は肩を竦めると、英一をオフィス内に押し入れたのち、ひらひらと手を振りながら比嘉に背を向けた。自動で扉が閉まり、その姿が彼の視界から消える。

「随分と怒らせちまってるようだな」

「ああ」

 英一の揶揄に、比嘉はとりあえず頷いた。

 諒子の怒りは仕方のないことではあった。先日の戦いにおいて、彼女はフランスの軍DBをハッキングした。それは彼女の意思ではあったが、責任はこちらにあると思っている。ゆえに、フランスが彼女の身柄引き渡しを求めてきても応じなかった。セキュリティを破られたことが露見すると恥となるためか、かの国が公のルートを使わず接触してきたこともあって、しばらくほとぼりを覚ませば茶を濁せるところまで交渉を進めることが出来た。

 だが、そのために彼女には、しばらくこの市庁舎の一部区域のみでの生活を強いることとなった。無論、身を隠させる必要があったためだが──あえて市庁舎内にしたのは比嘉の思惑によるものである。つまり彼はこの状況を利用し、多方面の能力に長けた彼女に極端な超過労働を強制していたのである。済まないことをしている自覚はある。だが今はとにかく手が足りない。ために、一度抜け出されてしまった時は、かなり強引な手段をとって連れ戻したりもしていた。

「──それで、何の用かね?」

 比嘉は一つ首を振って、英一と視線を合わせた。だがそれは諒子に向けていたものとも、インタビューでTVカメラを相手にするものともかけ離れた、ひどく冷徹なものだった。

「想像はつくだろうが、今は多忙の極みにあってね。本来なら1分たりとも時間を無駄にしたくないのだが」

 彼は自ら尋ねておきながら、英一を待たずにそう続けた。言外に帰れと告げているのだ。実際、傍目には比嘉の主張は正しい。つまみ出されないだけましというものだった。

 だが英一は全く臆した風もなく比嘉を睨み続け、やがてぽつりと告げた。

「訊きたいことがある。とても、とても大事なことだ」

「それは、通信では駄目なのかね?」

「そういう話じゃない。面と向かって話す必要がある。訊きたいのは、俺の……母さんのことだ」

「君の、母親……」

 そう呟きを返した比嘉は、眉根を押し揉んでから、無言で首を振った。

 そして椅子から立ち上がり、英一に向かって両手を横に広げた。言い掛かりをつけてくる反対派の市民を宥めすかすような、それは洗練された品の良い振る舞いだった。

 だが英一にだけは、それが昔からどこか演技めいて見えていて──

「勿論、君の母親には悪いことをしていると思っている。そうしたのが私ではなく、先々代の市長であってもだ。知っているだろうが、私は彼の息子でね。父親の行いを恥じているのだ。だが当時は、ポラリスにどうしても君の母親の力が必要だった。星幽体の攻撃に晒され続け、滅亡の危機に瀕していた我々が、曲がりなりにも人の生きる都市としての空間を作り出すには、あの3つの塔は不可欠だったのだ。無論、いつかは解放出来る様に努力は続けているつもりだ。だが今は──」

「──そんな建前を聞きたいんじゃない!」

 英一の怒鳴り声が、室内に大きく響き渡った。

 無礼を働かれた形となった比嘉だが、彼は何も言わずに目を細め、俯く英一の様子を見つめる。

 英一は声を絞り出すようにして言った。

「俺が聞きたいのは、あんたの本当の言葉なんだ……」

 その声を最後に、しばし室内を沈黙が満たした。

 おそらくはこの間も、比嘉のもとには凄まじい量の決済を求める稟議が届けられているはずだ。アポイントメントの依頼も限りなく押し寄せてきていることだろう。秒単位で動く比嘉の時間の価値には、それだけに計り知れないものがある。

 だが比嘉には、先ほどまでのような急ぐ様子がなかった。むしろひどく入念に英一を観察し、その一挙手一投足にも満たない僅かな動きから何かを掴み取ろうとするような気配があった。

 そして。

 ややあって、比嘉が静かに尋ねた。

「……あの道化師に訊いたのか?」

 英一は──こくりと頷いた。彼には、それがどのような意図の質問なのかがわかったのだ。

 比嘉はそんな英一を見つめ、やがてすっと自身の目を閉ざした。

「そうか」

「俺は──」

「待て」

 比嘉は何かを言いかけた英一を、短く制した。目を閉じたまま、鋭く手のひらを突きつけて。

 それから彼は、背を向けて自席に向かった。そしてコンソールを手早く操作し、再びオフィスの扉を開く。

 扉の向こうには、諒子が壁に背中を寄りかからせて立っていた。まるでこうなることを予想していたかのように、彼女はそのまま瞼だけを起こして比嘉を見た。

 比嘉はそんな彼女に、口だけを動かしてみせた。声は発せられていない。だが近くで見た英一には、それはこう言っているように見えた。──出来るか?

 諒子は──こちらもごくかすかな動きで頷いたように見えた。それからさっと身を翻して秘書室の通路へと向かう。扉が閉じた。英一は椅子に腰掛けた比嘉に向き直る。

「なあ、何を」

 言いかけた英一を、比嘉の手が遮った。先ほどと同じ所作。待て、とその目が告げている。

 黙りこんだ英一をよそに、比嘉はモニターを復帰させてコンソールを叩き始めた。誰かの報告がスピーカーより流れ、適宜それに応答を返していく。それは英一には、普通に業務に戻ったようにしか見えなかった。だが何かを言いかけるとまた比嘉の手が制止する。

 いい加減、我慢しきれなくなってきたその時──

 不意に、オフィスの明かりが全て落ちた。

「な!?」

 面食らった英一はきょろきょろと辺りを見回す。

「停電か? こんな時に……ていうか市庁舎のくせにインフラ弱いのか?」

 完全に暗闇に落ちた室内で、彼はぶつぶつと呟いた。市長室の窓は狭く、高い位置にある。更にはおそらく停電時の備えなのだろう、自動で閉じられた上にシャッターが下ろされてしまっており、置かれたオブジェの輪郭を見定めることすら難しくなっている。

「何が起きたんだ? また何かの襲撃とかじゃないよな……ベータなら何してもおかしくないが」

「落ち着け。これは諒子君のやったことだ」

「は?」

 英一は素っ頓狂な声を上げて、比嘉を見た。もっとも、その姿は全く目視出来ないのだが。

「たった今、諒子君の手で市の中枢に仕掛けたデータボムを爆発させた。官僚施設は内部からの攻撃には弱い。これから15分間、この市庁舎全ての電源はダウンし続けるだろう。当然、バックアップ系統も含めてだ。諒子君にはいつも汚れ役ばかりを押し付けてしまって悪いとは思うが、今回はお前のせいだからな。後で謝っておけ」

「ど、どういうことだよ?」

「わからんか。これから15分の間、ここで何を話しても誰にも聞かれないということだ」

「それだけのために、建物全体で停電を引き起こしたっていうのか!?」

「そうだ。これから口にする内容は、それほどに秘匿性が高い。そもそも言うつもりもなかったし、このボムとて2度は使えん。くそ、あの道化師がお前に余計なことを伝えたせいで貴重な手札を切る羽目になってしまった。塔のことを隠していたのが余程腹に据えかねたようだが……まったく逆恨みも甚だしい」

 その時になって英一は、比嘉の口調がこれまでと違っていることに気付いた。そもそも彼は英一のことを『お前』とは呼ばなかったはずだ。というより、誰に対してもそのような荒い物言いはしない。それが比嘉宗平という人物だったはずだ。

 一つ気付いてみると、違和感は他にもあった。暗闇に紛れて判然とはしないが、纏っている空気が変わったように思えるのだ。具体的にどこか、とは言い切れないのだが、常日頃から彼が感じていた演技めいた雰囲気が失われているように思える。

 しかしこれは──

 ──これは、やっぱり『そういうこと』なのか?

 あの時、ピエレッタの言ったことは事実なのだろうか。

 いまどき物語の中ですらなかなかお目にかかれないような、あの破天荒な話が。

 だが──様々な符号が合いすぎている。比嘉の異常なまでに漏洩を恐れる態度。伝え聞く経歴。そして、ベガで英一が2つに切り裂かれた際に、かすかに聞こえた──彼の怒りの声。

 だとするならば──

「……15分しかないんだよな」

「ああ」

「だったら、手短に訊くことにする」

 英一は目を閉じ、大きくその場で深呼吸をした。15分だ。15分で、これまでの、そしてこれからの自分の人生が大きく変わり兼ねない話を聞くこととなる。だが望むところだ。これ以上振り回されるのは御免だ。自分の与り知らないところで勝手に話を進められてたまるか。

 彼は目を開いた。

 眦を決した。

 覚悟を決めた。

 そして──質問を始めた。

 次々と、次々と。

「比嘉宗平」

「ああ」

「お前は、俺の父親か?」

「そうだ。森岡玲二。それが俺だ。そして森岡透子の夫でもある」

「母さんの前で俺と一緒に殺されたんじゃなかったのか?」

「当時から俺の才を惜しむ声は高かった。とりわけ俺と懇意だったあそこの施設長が、軍の研究部門に内密裏に俺を助命するよう交渉していたらしい。ただしその条件として、回復したあとはその研究部門に入り残り全ての生涯を捧げることを要求された」

「では失踪したという話は嘘じゃなかったのか?」

「嘘ではない。だが事実はより複雑だ。俺は公には失踪扱いとされた。そして研究部門で長らえた命を消費していた。だが俺は、その部門から本当に失踪した」

「逃げ出したということか?」

「そうだ。そしてそれは初めから予定していたことでもある」

「なぜ?」

「地獄を見たため。透子を救うため。復讐を果たすため」

「……そのために、本当の比嘉宗平と成り変わったのか?」

「そうだ」

「どうやって?」

「比嘉宗平はどうしようもない男だった。当時の市長の息子という肩書きを利用して好き放題暴れていた。ポラリスの目の届かない他コロニーへもしばしば出向き、金に物を言わせて小さな悪事を働いていた。だから俺は隙を突いて奴を殺し、顔を整形して成り変わった」

「簡単に言うが、別の人間に成りすましてばれないものか?」

「奴は本当に真面目な部分など一つもない男だった。だから俺は、比嘉宗平が『父が死んで、人が変わったように真面目になった』という演出をした。奴の真面目な振る舞いなど誰一人目にしたことがなかったのだから、記憶と比較されることもない。付き合いのあった者との悪縁もまとめて切り捨てたため、俺は苦労して奴を真似る必要がなかった」

「先々代市長が突然死んだのも、お前が計画したのか?」

「それについてはイエスでありノーでもある。あの男は敵の多い人物だった。俺ももちろん奴を憎んだ。主導はしなかったが、一部には関わった。それが答えだ」

「……俺を管理下に置いたのは、どうしてだ?」

「必要に迫られたからだ。お前の能力は有用だった。他の施設出身者と変わらん」

「それだけか?」

「そうだ」

「俺が近くにいることで、お前との関係が露見する危険があったんじゃないか? そこまでしてリスクを負う必要があったのか?」

「苦肉の策だった。だがお前だけを離しておくほうが余程例外となり、目立ってしまう」

「……くそっ」

 英一は毒づいた。最後の問い、訊きたかったのはそういうことではなかったはずなのに、手前ではぐらかされて辿り着けなかった。だがストレートに尋ねるのはどうしてか出来なかった。『お前は俺を守ってくれていたのか』──どうしてかそう尋ねることが出来なかった。

 質問が一段落したと判断したのか、比嘉は椅子を回転させて英一に背を向け、ポケットから取り出した煙草に火をつけた。紫煙がたなびき、英一の元にも漂ってくる。

 比嘉はプライベートでしか煙草を吸わないと聞いていた。英一も目にしたのは初めてだ。

 だが、煙の匂いが鼻腔に入り、英一には思い起こされてしまう記憶があった。

 そうだ、あれは父が失踪したと聞かされた時。研究室に残っていた父の持ち物として、職員からぞんざいにダンボール箱を1つだけ手渡され、開けてみたら中にはくたくたになったシャツや白衣だけがあって。でも、そこに付いていた煙草の匂いは確かに今嗅いだものと同じで──

「ああ、くそっ」

 こみ上げてくるものを感じ、英一は目尻をこすった。こんなことで、と自分を情けなく思った。だが、押し寄せてくるかつてない感情を制御するすべを彼は知らなかった。なぜこんな気持ちに、と彼は戸惑うばかりだった。だがそれも仕方のないことだったのかもしれない。なんとなればすなわち、彼はこの時、生まれて初めて『親』と話をしているのだから。

 比嘉はその間も、座ったまま英一に背を向けていた。英一が落ち着くのを待っているようにも見える後姿だった。

 だが、時間は容赦なく進んでいく。

 ライターを点して時刻を確認した比嘉は、自分から口を開いた。

「ここからは俺が話す。おそらくお前が一番聞きたかった話だ。──デネブにいる透子は今どういう状況にあるのか。権力を掌握した俺が透子にしてやれたことは何か。時間に余裕がないから質問は許さん。考えはまとまらないだろうが後で思い返せ」

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