第三章-1
「ヴィオラ……ベータの目的は2つあったの。1つ目は以前話したとおり人類の監視。そのために子孫のわたしを利用していたのだと思っていたのだけれど……実はもう一つの理由があった」
「それが、お前の母親を殺そうとしたことと関係があったのか?」
英一は、目の前で体育座りをするピエレッタに尋ねた。
少女は顔に苦笑いを浮かべながら、彼を見上げてこくりと首肯する。
──あれから。
英一が病院で目覚めるまでに3日が過ぎていた。
ベータとの戦いの記憶は途中で途切れている。途切れたというよりなぜか巻き戻されたという感覚を彼は抱いたのだが、その理由は不明だ。どうして自分が無事でいるのかもまるでわからない。
同じ病院には葉月も収容されていた。こちらは未だ意識を取り戻していない。医師達が全力で治療にあたっているとのことだが、ポラリス全体が現在かつてないほどの混乱の極みにあり、捗々しいとは言えない状況のようだった。
そんな折、英一の元にピエレッタからの呼び出しがあった。この少女は塔での戦い以降行方知れずとなっていたのだが、英一にはベータを倒せたという気が全くしなかったので、近いうちにこういうことがあるだろうと思っていた。体は異常はなかったので──仮にあったとしてもどうとでもしてしまっただろうが──これ幸いと病室を抜け出すことにする。
ピエレッタに指定されたのは、先日戦いの前に呼び出された時と同じ丘の上だった。ここからの風景が気に入ったのだろうか、英一が着いた時、彼女は腰を下ろして静かに昼のポラリスの街を見下ろしていた。
ピエレッタは続けた。
「覚えていると思うけど、ベータの人間時代の本名はヴィオラ──ヴァイオレット・メアリー・ファース。ウェールズ出身の魔術師であった彼女は、生前、魔術師同士の戦いの過程で家族全てを殺害されたことがきっかけとなって『逸脱』した。でも実際はそう思い込まされていただけで、彼女の子供は殺されておらず、血脈は後世まで続いていった。その一人がわたしの本当の父。エイブラハム・ファースだった」
「……なら、どうしてその奥さんだったっていうクロエさんを殺そうとしたんだ?」
「結婚はしてなかったみたいだけどね。ヴィオラがママを狙ったのは、ママがエイブラハムを捨てたと思ったから。エイブラハムはママの未来を予知し、それを助けようとするあまり魔術に傾倒して発狂したのに、ママは彼が死んだあと、別の男と結婚した。そのことがヴィオラには、子孫に対する裏切りのように映ったみたい」
「……実際にはどうだったんだろうな」
「ママの本当の気持ちはわからないわ。けど、ママもパパもわたしをとても大切に育ててくれた。ママにとっては昔の男との間の子で、パパにとっても妻が自分以外の男との間にもうけた子だったにも関わらず。きっと、それが答えなんだと思ってる」
「……そっか。けど、俺が戦った時の印象と比べると、随分と世俗的な目的でも動くもんなんだな、ベータは」
「ママのことはついでだったからじゃないかしら? あくまで1つ目の目的が彼女のメイン。規模から言っても、そう考えた方が順当だと思うわ」
たしかに、ピエレッタの言うとおりだった。クロエを殺すことで、ベガの塔が機能不全となりポラリスが甚大なダメージを負う可能性はあったが、それは結果的にそうなるというだけの話だ。2つ目の目的が一人の人間をターゲットとするものであったことに対して、もう一つの目的に基づいてベータが仕出かしたことの影響範囲はあまりにも広い。
比嘉が秘密裏に運営していたという研究施設が全消失したことに加え、ポラリス中からありとあらゆる武器が一夜にして消えてしまった。たとえば包丁や医療用のレーザーメスなどは武器とは見なされなかったようで幸い難を逃れたが、軍備関連については完膚なきまでに壊滅。塔のバリアなどの防備は生きているため一定の秩序は保たれてはいるものの、他コロニーとの力関係の問題もある。政府の混乱は推して知るべしである。
「やることが大雑把すぎるぜ……」
聞けば、比嘉や斎川は不眠不休で事の収集にあたっているらしい。英一の病室にサボタージュしてきた諒子がそう漏らしていた。もっとも、連日流れる会見やインタビューの様子を見れば誰でもわかることだったが。
「まあヴィオラにとっては、それもついでだったみたいだし……」
自分の中にいる存在について言われたことだからか、やや顔を赤らめてピエレッタが言う。
「彼女にしてみれば、あれは親切心からの行動だったようなのよね。軍事技術を進展させすぎてアルファの怒りを買ったノアの二の舞にならないように、っていう。それにわたしとしては、ヒガが苦労するのを見れるから楽しいわ」
「市長に何か恨みでもあるのか?」
塔設立の際は比嘉はまだ現職に就いていなかったはずだ。そう疑問に思った英一の問いに、ピエレッタは意地悪い笑みを浮かべながら首を振った。
「ふふ、それは後で教えるわ。話を戻すと、ヴィオラは人類の監視を旨としていた。そしてその彼女が監視の最中に、貴方という存在に興味を持った。貴方は同時に私のターゲットでもあったから、ヴィオラは私の中で事の推移を見守っていて──最後には貴方の背中を押すために出てきた」
「俺を、ねえ」
英一は拳を軽く握りこんでみる。戦った時のベータの様子から、なんとなくそれは感じられたことだった。
だが、どうにも半信半疑になってしまう。
「こんなこと葉月には言えないが、俺はどっちかというと人間以下だったと思うんだが」
そしてそれは、今も、だ。戦いを終え、英一は結局、霊体に戻っていた。葉月の血を受けることでようやく人間のふりが出来るような、そんなぎりぎりで永らえている存在に。
「ヴィオラの判断基準はわたしにもわからないわ。ただ、彼女はエイイチに、自分とは異なる進化の可能性を見たことは確か」
ベータは、高次元の存在と言われる天使と会うことで次の段階に進んだ。ここで言う天使とは『共通意思』のことでもある。そして彼女は、天使に近づくために自らを群体化させる手段を採った。意識を数万数億に分割して中空に散在させる──その全てでもって彼女であり、一つ一つが彼女でもある。全にして一、一にして全。それは確かに、共通意思たる天使の在り方に近い。
「群体となった自分に対し、エイイチに宿った進化の可能性はとてもシンプル。彼女はエイイチが、単一存在のまま自分を超えるのではないかと期待したのだと思う」
「葉月がいなかったら無理だったわけなんだが……」
「そこはおまけしてくれたんじゃない? 本質的には、やっぱり彼女は大雑把なのよ。群体化してあらゆる物事に目を向けることが出来るようになったとはいえ、わたしの中に居座ったのはあくまでその中の一つに過ぎないわけだし。普段は集団で考えるから、単一での思考方法を忘れちゃってるのかもね」
「はた迷惑すぎる」
そう愚痴を漏らしつつも、英一にはそれ以上ベータに恨み言を述べ立てるつもりはなかった。
それは、一度は存在を消されてしまった葉月が戻ってきた理由について、たった今見当がついてしまったからだ。
要は、英一達のケースは二人で一つの進化なのだと、ベータは大雑把に考えてくれたのだろう。だから、可能性を示すことの出来た英一に対し、ああいう形で『ご褒美』をくれた、ということだ。
「可能性、か」
英一は握っていた拳を開き、手のひらを見つめた。
「いったい俺はどこまで『上った』んだろうな」
「それはわたしにもわからないわ。ヴィオラは教えてくれないもの。でも今はそんなことを気にしている場合じゃないでしょ?」
「うん?」
「だって、これから大変よ? 貴方……"これから普通に生きていけると思う"?」
「──それは」
言いかけて、言葉を切り、英一はもう一度自分の手のひらに視線を落とした。
きっと訊かれるだろうと思っていたことだった。真実を知ってしまった自分は、もう普通の人間には戻れない。
今この瞬間ですら、意識をすればこの手を自由に作り変えることが出来る。どのような姿にだって成り変わることが出来てしまう。そこには恐れもあり、誘惑もある。何より、葉月に絶えず負担を強いることの抵抗感はどうあっても拭えるものではない。何も知らずにいた頃の自分とは違うのだ。はたしてそんな不安定な状況下で、まともな人間のように過ごしていくことが出来るのか──。
──だけど。
だけど、と英一は拳を握り直した。
「きっと、なんとかやっていけると思う」
どうしたって、歪であることには違いはないけれど。
でも自分はあの時、葉月の心を理解してしまった。彼女がどれだけ心を砕いてくれていたかを知ってしまった。
そんな自分には、もう決して、これ以上彼女を悲しませるようなことが出来るわけがないのだ。
「……ふうん、意外と落ち着いてるのね。心配しすぎるとかえって悪影響だから、良いことなのでしょうけど。まあ、これからは監視役もいることだし、大丈夫なのかしらね」
「うん? 監視役って? 諒子さんのことか?」
「何言ってるのよ」
ピエレッタはちょんちょん、と自分を指差した。
「わたしよわたし」
「は?」
「ベータに命令されちゃったの。エイイチの進化を見届けるというか、変な進化しないよう見張る役というか。あ、大丈夫よ、ベータに逆らえる人間なんてポラリスにいないから。手続きはどうにでもなったわ」
「いや手続きとかそういう話でなくて! じゃあ何か? お前はこれからずっと俺のそばに付いて回るのか?」
「そうなるわね。楽しみだわー、こっちの学校。あ、住むところはまだ決めてないの。エイイチ、一緒に住まわせてくれる? あと、これからはわたしのことシアって呼んでね、アレクシアのシア」
「ふ・ざ・け・ん・な」
「あら冷たい。これでもベータを止めてくれたことに感謝してるのに」
「そんな感謝の返し方はいらん」
「ホント冷たいわね。まあいいわ、それならお近づきのしるしに一つ教えてあげる」
「なんだそれ?」
「だってエイイチにはまだ訊きたいことがあるはずでしょう? さっきわたしが、ヒガが苦労する顔を見たいと言った理由も、それでわかると思うわ。つまり、これから私が言うのは──ヒガがママ達に対して何をしたのか、ということ」




