宋皇帝趙佶(ちょうきつ)その者(もの)
美嘉はすぐさま百日姑へ伝令を飛ばし、工房の密庫の中から、精密な調配(調合)を経て製造された三七化瘀散、金創五虎散、そして白及止血膠を取り出させた。彼女は自らの手を動かし、最上の細絹と精緻な磁器の瓶を使い、これら三種の外傷の聖薬を幾重にも美しく包装していった。
万が一の破綻をも防ぎ、防衛を盤石にするため、美嘉は二つの動線を同時に走らせる、双管齊下(二面作戦)の進貢商路を敷いた。
一辺では、彼女はその薬物の一部を、いまや自分に対して神明の如き敬意を抱いているあの県官へと手渡し、上層部へと段階的に上申させた。これは地方の役人が「神薬を発見し、朝廷へ孝敬(献上)した」という、彼の頭の上の輝かしい政治的手柄(政績)となる。そしてもう一辺では、かつて宋江に付き従って東京汴梁へと赴いた際、老七と朱貴が現地に遺していった密かな地下の細い商路を経由させ、さらに精緻を極めた薬物一式を、山砦特製の高級香鹸(香りの石鹸)と共に、東京汴梁の華やかな煙火(花街)の奥深くへと直接撃ち込み、皇帝の地下の情人(恋人)である李師師の手へと届けさせたのである。
神薬や香鹸と共に李師師の案頭(机)へと送り届けられたのは、美嘉自らが筆を執って認めた、言辞のどこまでも謙卑な一通の書信(手紙)だった。手紙のなかで、美嘉はかつて李師師が梁山泊と皇帝との拝謁(面会)のために斡旋の手腕を振るってくれたことへの深い感謝を述べ、その上で、林冲や魯智深をはじめとする十数人の核心たる総頭領、および中級頭領たちの名前と本来の来歴を、包み隠さずありのままに書き連ねていた。製薬という国益の大局をさらに滑らかに進めるため、そしてこの地で安身立命(生きていく)を志す彼らに対して、朝廷が明文化した「最低限の合法的な身分(身分保障)」を降してほしい、という願いを添えて。
かつて宋江に連れられて東京汴梁の地を踏み、趙佶の前に至ってその傷を手当てしたあの時、美嘉はその実戦の打席を通じて、さらに前世の歴史の記憶を掛け算することで、この大宋の皇帝の正体を完全に透徹(見抜いて)に看破していた。
この男は、表面の上では風流倜儻(洗練された風流人)であり、天下最高峰の芸術家を気取っているが、その胸の内にあるものは、極端なまでの自私(利己主義)であり、凄まじいまでの虚栄心であった。彼の心のなかには、江山社稷(国家の重み)などただの一ミリも宿ってはおらず、文字通り単なる自分の玩物としてしか扱っていない。当然のことながら、法治や規矩といった国家の概念など、最初から彼の脳内には存在しないのだ。
彼はかつて美嘉の若き瑞々しい姿に驚艶(目を奪われ)し、すぐさま五品の薬監という地位を餌に宮中へと囲い込もうとした。しかし、美嘉がそれを拒絶すると、今度は自らのメンツ(面子)を潰されることを恐れ、あまりにも唐突に、思いつきのまま七品国医という称号を乱発して彼女へと投げ与えたのだった。
考えてもみるが良い。神の如き医術を持っていたあの安道全であっても、最終的な朝廷での地位はわずか従九品の医官に過ぎず、宋江にいたっては、方臘の乱を鎮圧するために兄弟たちの生々しい血の投名状(命の代償)をあれほど大量に捧げ尽くしてなお、朝廷から授かったのは、品階わずか七品の武徳大夫、楚州安撫使に過ぎなかったのだ。
「皇帝老二(あのバカ皇帝)は、自ら風流天子を気取り、文采が風流であると悦に入っていますけれど、朝政地縁(地政学的な国家経営)のロジックなど、最初からただの一片も持ち合わせてはいませんわ。歴史の記録において、彼は自分の江山(国家そのもの)ですら、他人の手へとあっさりと拱手(差し出す)してしまう男ですもの。ましてや、実権のない区区たる虚職の官位をいくつか乱発することなど、彼にとっては紙切れを放り投げるのと同じことですわ」
美嘉は、東京への出発を控えた老七に手紙と薬物を手渡しながら、冷徹な微笑みを浮かべて静かに語るのだった。




