大宴の鑼鼓が鳴り響き、爆竹が一斉に轟音をあげるその刹那、独竜岡全体が完全に沸騰した
早春の独竜岡、廃墟の上に身を落ち着けて定住した流民と兵士の数はすでに三千人を超え、いまや完全に一条の巨大な集落へと変貌を遂げていた。日ごとに膨れ上がるこの地下王国をそれこそ手足のように機能させるため、美嘉と中枢の頭領たちは何度か協議を重ね、分工が明確で上下の統制がとれた、分厚い組織の骨組みを確立させていた。
読者がもしこの時の独竜岡を仔細に眺めるならば、その中枢はもはや草莽の土匪(野盗)の集まりなどではなく、五つの動線が美しく交錯する強固な組織図(矩陣)を形成していることに気づくだろう。
一、全面総調度:美嘉が中央で各方の接応(窓口)を務め、大局の全盤(全体)と物資調達のすべてを総轄する。
二、内政民政条線:楽大娘子が全体を総監し、扈成が雑事総管に就任して修橋補路(橋や道の補修)などの庶務の拾遺(穴埋め)に当たる。民草の落戸(住民登録)や開墾の登記、蓄えの現銀の支出にいたるまで、すべて内政の手で一筆一筆を厳格に照合する。
三、外政防務条線:顧大嫂が主宰し、糧食や薬材の採購(買い付け)から配分、護衛の差配、そして軍営の後方支援管理にいたるまでを全権を以て差配する。
四、馬步軍軍事条線:「豹子頭」林冲が軍事総頭領を拝命し、全軍の歩兵と騎兵を統轄するとともに、軍営の統制と訓練のすべてを掌る。花和尚の魯智深と行者の武松が軍事の補手(補佐)として統兵を助ける。さらに、凌振が林冲の部下として加わり、単独で一条の砲兵部隊を組織する。
五、水軍後勤条線:阮小二が直々に率い、阮小五と阮小七がこれを補佐する。
この五つの中枢の直下には、それぞれ異なる色の旗を掲げた中級頭領たちが配されていた。百日姑は「青色旗」を掌握して各種の後方工房での製造を掌り、老七は「黑色旗」を掲げて四方の情報収集(スパイ活動)を担う。そして緑楊と紅袖の二人は、それぞれ一隊の精鋭女兵を率いて「機動突撃隊」を形成していた。これら中級頭領たちは、大小の要事(事件)が発生するたび、楽大娘子、顧大嫂、そして美嘉の元へと順に報告を上げる決まりになっていた。
たとえば前砦の見張り女兵が細作(間諜)の影を検知したならば、当番の魯智深や武松へ報告すると同時に、情報は主管外政の顧大嫂の元へも同時並行で呈報される。また、山の下から逃げ隠れてきた難民が頼ってきた際には、守衛はそのまま直接、楽大娘子の民政棚(受付処)へと連れていき、指示を仰いだ上で定住の差配を施すのである。
この組織体制が大体に噛み合った頃、独竜岡は彼らがこの地に至ってから「最初の百日目」を迎えた。
これまでの百日間の苦難を労うため、美嘉は皆と言い合わせて、山頂平原の中央において、規模の空前な「百日紅大会」を執り行うこととした。
これは、全山に数える三千人余りの兵士と百姓たちのための、盛大極まる集会であった。岡の上には張灯結綵(提灯や幕が鮮やかに飾られ)、誰もが興高采烈(喜びを爆発させて)としていた。山砦は一挙に十頭の肥えた豚、三十頭の山羊を潰し、鶏や鴨にいたっては数えることも叶わぬほどの物量だった。
顧大嫂は数十人の婦人たちを指揮し、数十口の大きな鍋で油の浮いた熱気溢れる肉湯(肉煮込み)を沸かせていた。阮小五と阮小七は水軍の兄弟たちを引き連れ、岡の下の川の支流網から十数斤(約十キロ)もある原生の大魚を数十条と、無数の魚蝦(魚介)を網で引き上げ、広場の傍らで炭火に乗せてジリジリと小気味よい音を立てて焼き上げていた。緑楊と紅袖は女兵を率いて大量の野菜や果物を用意し、数百枚もの無骨な木の長机の上を埋め尽くしていた。情報の外務を担う老七は、附近の集鎮(市場)から牛車で数十箱に及ぶ街の住人好みの細巧糕点(洗練された焼き菓子)を運び込んできた。そして、工房を統括する百日姑は、早朝から広場の四方に、買い付けしておいた大量の爆竹の束を積み上げていたのである。
大宴の鑼鼓(どらや太鼓)が鳴り響き、爆竹が一斉に轟音をあげるその刹那、独竜岡全体が完全に沸騰した。。




