三百人の農民と薬鹸の商路。――廃墟の上に建ち上がる安身立命の要塞
美嘉はその報告を聞くや、すぐさま楽大娘子、顧大嫂と徹夜で密商を重ね、速やかに手を打って、これら流離失所(家を失った)の難民たちを悉く(残さず)岡の上へと招き入れた。
「この独竜岡の上には、優に上千エーカー(千畝)を超える、主のいない閒置(放置された)肥田が眠っています。皆さんが開墾を望むのであれば、土地は山砦(私たち)が提供しますわ」
美嘉は朝陽の光の中に立ち、衣衫襤褸(襤褸を纏い)でその瞳の光を麻痺(失って)させている農民たちの前に進み出ると、その清徹な大きな瞳に、どこまでも真摯にして威厳に満ちた光を湛えて言い放った。
「山砦は、皆さんから苛捐雑税(不当な重税)を徴収することはしません。皆さんに新しく分配される土地、そして皆さんがこれから新しく切り拓く田畑の所有権は、すべて山砦に帰属します。その代わり、元からある田畑から産出される糧食(収穫)は、『五五で対半分(折半)』としますわ。半分は山砦へと上納し、残りの半分はすべて皆さんの取り分です。そして、皆さんが自らの手で新しく切り拓いた開墾地については、皆さんが『七成(七割)』を受け取り、山砦が受け取るのは『三成(三割)』のみといたします」
官府や地主どもが農民の最後の一滴の血までをも搾り尽くそうと目を血走らせているこの不条理な世のなかにあって、このような既存地は五五、新墾地は七三という破格の租借体制は、彼らにとってまさに天から降った甘露(慈雨)に他ならなかった。農民たちはその言葉を聞くや眼眶(眼の縁)を真っ赤に腫らし、その場に崩れるようにして叩頭謝恩(頭を畳に擦りつけて感謝)した。なかには自ら進んで手紙を認め、人を介して四方に散り散りになっていた親族や同郷の者たちを呼び寄せようと動く者まで現れた。十日を待たずして、独竜岡の上へと結集した農民の数は、瞬く間に三百余人の規模へと突破していった。
新しく開墾された稲麦の収穫は一蹴にして成る(すぐに手に入る)ものではなかったが、これほど大量の農民の参入は、独竜岡の地に自給自足(糧食の自立)のための揺るぎない底気(確信)をもたらした。
そして、新しい兵糧が倉庫へと入るまでのこの「過度期(過渡期)」において、美嘉はかつて梁山泊が朝廷からの経済封鎖に対抗した際の策略をそのまま模倣(照搬)し、さらにそれを大きく拡張(拡大)させることで、恐るべきほどの変現(現金化)と調達の能力を天下に見せつけた。
現銀(銀子)が足りなければ、物資を以て糧食へと換えるまで。
美嘉が自らの手で調配(調合)した高純度の酒精(アルコール。医療や軍事において神物というほかない重要資態)、強力な去汚(洗浄)と防疫の能力を持つ石鹸、さらにはこの時代にあっては特效薬(特効薬)というべき数款の「涼血氷片散」は、朱貴が遺していった地下の細い商路を経由して、附近の高官貴族や富商たちの間で狂ったような買い漁り(大ヒット)を引き起こした。
一箱の高純度酒精や石鹸は、山の下の市場において、往々にして整整数十車分の精米(極上の白米)へと化けて帰ってきたのである。
この、全山の命脈を支え続ける「工業流水線(生産ライン)」を正規化(インフラ化)するため、美嘉、楽大娘子、顧大嫂の三人は再び協議を重ね、山砦が成立して以降、最初となる正式な人事任命を下した。
「『四面旗』の女兵頭領である百日姑を、独竜岡の『医薬・製鹸・蒸留酒』の三大後方工房の総負責人(総責任者)に擢升(抜擢)する」
百日姑は為人が沈着であり、物事を行う手際は一絲不苟(一ミリの妥協もない)であり、かつ梁山泊にいた頃から、美嘉の持つこれら現代の技法を最も深く透徹に学び取っていた女性だった。彼女が三十名の心腹(腹心)の女兵を引き連れて工房へ坐鎮(常駐)し、純度と産量を厳密に監修することで、「薬鹸を以て糧草に換える」という閉塞された独自の経済ネットワークが、じわじわと、しかし確実に独竜岡の地へと深い根を張り巡らせていった。
百工(職人)たちの住まう家屋が成り、百農(農民)たちの耕作が始まり、そこに百日姑の工房から立ち上る日夜途絶えることのない煙火(生産の煙)が加わった。総勢で二百人に満たない梁山泊の残部(残党)は、ついに、この大火によって焼き焦げた独竜岡の廃墟の上に、彼ら自身が五体満足で安身立命(生きていく)するための、最初にして強固な要塞(堡塁)を築き上げたのである。




