百工の安居と十両の安家費。――独竜岡に芽吹く最初の民草
時光荏苒、知らぬ間にすでに十数日が経過していた。
全山上下の共同の努力の下、扈家荘の廃墟の上には、陸続(続々と)十数間の簡易な木屋が建て並んでいった。原主が遺した四、五間の瓦房(かわら屋根の家)を加え、この百数十人の命は、ひとまず露雨を凌ぐための安頓の場所を得るに至ったのである。
しかしながら、わずか十数間の家屋を頼るのみでは、到底長久の策とは言えなかった。
美嘉は凌振に指示を出し、暗闇に乗じて附近の県城へと赴かせた。かつて朱貴が遺していった地下の商路のつながりを頼り、腕の立つ十数人の木匠(大工)や瓦匠(左官)を、密かに山へと招き入れたのである。
これら民間の巧匠(職人)たちが上山した後、美嘉はすぐさま彼らを山上の弟兄たちと混合編組し、三つの建房小組(建設チーム)へと再編した。それぞれを阮小二、阮小五、阮小七が各々率いる一隊とし、手分けして伐木と開墾へと赴かせた。
一方、大公子の扈成は、十数名の古参の荘客を引き連れ、岡の上にある、大火に焼かれながらも基骨(基礎)の未だ頑強に残されている古い家屋に対して、徹底的な整修と補修を執り行っていった。
一ヶ月に満たぬ時間ののち、扈家荘は驚くべきことに、かつての三成(三分)の光景を取り戻すに至っていた。
放眼(見渡せば)、山岡の上には陸続として、新しく整修された数十間の家屋が錯落と姿を現していた。何より難得(素晴らしい)なのは、美嘉自らの差配の下、村落の中央に、広々とした会議庁、食堂として用いるための大棚(大きな天幕小屋)、そして草薬の清香が仄かに漂う医務室が落成したことだった。
この時の医務室は、日頃から美嘉の傍らで熱心に学び、医術の基礎を確固たるものにしていた数名の「四面旗」の女兵たちが、責任を持って坐鎮(常駐)していた。彼女たちの手際は風のごとく迅速であり、すでに傷口の簡単な包帯交換、洗浄、そして日常の看護を熟練の手つきでこなすようになっていた。
山へと招かれた木匠や瓦匠たちは、当初、この梁山泊の好漢たちが盤踞する山岡を、人を目もくれずに殺める魔窟(おぞましい場所)であると思い込んでいた。しかし、この一ヶ月を共にするうちに、彼らは驚愕の事実を知ることとなった。天下に名を轟かせる「豹子頭」林冲であれ、高挑で秀麗な「三姑娘(美嘉)」であれ、自分たちのような泥水にまみれた工匠に対して、どこまでも客気(礼儀正しく)に接し、工賃は十分に払い、飯菜(食事)は腹一杯になるまで保証してくれる。ここで働く時間は、彼らの全生涯において、ただの一度も経験したことのないほどに舒心(居心地が良く)かつ快活なものだった。
工程がすべて完工し、本来であれば帳簿を精算して下山すべきその日、数人の頭領格の老木匠と瓦匠が、密かに阮小二の元を訪れた。その面に難色(申し訳なさそうな顔)を浮かべながらも、しかしその瞳の奥にどこまでも誠実な光を宿らせながら、無骨な手を擦り合わせて言った。
「阮二哥(阮の二兄貴)、実を包み隠さずに申し上げます。……今や天下は大乱のなかにあり、山の下の官府は横徴暴斂(過酷な搾取)を繰り返し、俺たちも城内では上の飯を食えば下の飯がなくなる始末にございます。この一ヶ月、この岡の上にあっては、毎日温かい熱飯にありつけ、眠りもどこまでも安穏でございました。俺たち数家で合意いたしました。どうか、三姑娘に恩を降していただき、俺たちをここの一員として収留(受け入れて)はいただけないでしょうか。俺たちは他には何も望みません、ただ毎日食うに事欠かない飯があり、眠る場所がありさえすれば、俺たちの命も、この技術も、生々世々(未来永劫)この岡の上に捧げる覚悟にございます!」
美嘉は阮小二からの転述(報告)を聞き終えると、その清徹な大きな瞳を、満面の欣喜の色彩で潤ませた。
この、今にも分崩離析(崩壊)しようとしている宣和の末年において、流民は職を失い、手工業者たちの命は草芥の如くに軽んじられていた。この職人集団の定着は、三山一崗の地が、真に独自の核心たる「工業(生産の基礎)」を手に入れたことを意味していた。
美嘉はその場で、即座に決断を下した。彼らが望むのであれば、いつでも山の下に残してきた家眷(家族)を呼び寄せ、共にここで暮らすが良い、と。
その後、美嘉は楽大娘子や顧大嫂とともに偏棚(奥の間)で細かく帳簿を照合し、二人の姉たちの同意を得た上で、残り少ない山砦の庫銀(蓄え)の中から、新しく加わった工匠たちへ、一戸あたり整整「十両の銀子」を安家費(支度金)として支給した。
家屋にいたっては、当然のことながら、これら老練な木匠や瓦匠たちの自らの手によって組み立てられることとなった。美嘉は独竜岡の広大な平原のなかに一処の空地を切り拓き、彼らが自ら風水(好みの場所)を選んで定居の家を建てることを許した。
前後を合わせて、総勢で三十数名の瓦匠、木匠、およびその家眷たちが、この岡の上へと至り、安家落戸(居を構えて定住)していった。これは、美嘉たちが独竜岡へ至って以降、自らの主導で受け入れた「最初の外部からの移民(民草)」であった。
新しく掘り起こされた泥土の匂いと、新築の家屋から漂う瑞々しい木香が、空間のなかに濃厚に満ち溢れていく。この、元は一片の死に絶えた廃墟に過ぎなかった場所は、ついに、百工の営む煙火(生活の煙)のなかに、一線の新たなる命の苗頭(兆し)を青青と芽吹かせ始めたのである。




