8:暁鐘
馬車の中は豪華な内装で、クッションの効いたシートが柔らかく、窓からは外の美しい景色が流れていく。
馬の蹄の音が心地よいリズムを刻む中、エーリカ、シャーロット、サラサ、そして母が会話に興じていた。
そんなエーリカの胸にはバンデブローチが輝いている。
「それでエーリカ!ルーカスのどこに惹かれたのですか?」
「もう何度も言いましたよ……私のことを何よりも信じて支えてくれる所ですわ……」
シャーロットが興味津々に身を乗り出して問いかけると、エーリカは少し恥ずかしそうに目を伏せた。
打算にまみれた婚約に後ろめたさを覚えていたエーリカだが、ルーカスのことだけは本心からそう言えた。
「うふふ、娘たちの恋のお話を聞けるなんて、幸せなことね」
母がそんなやり取りを聞きながら、優しく目を細めた。
「そうですね、奥様。あのお嬢様がこんなにも慎ましやかに恋のお話をするなんて、驚きましたわ」
「わ、私はもう十分白状しましたわ!今度はお義姉様のお話も伺いたく……」
「あら。私は自分の婚約時に随分お話しましたよ。今はエーリカの番ですわ」
エーリカは顔を赤らめ、少しむきになってはぐらかそうとしたが、シャーロットが軽く首を振ってにんまりする。
「そうそう、こういうのは順番なんですよエーリカ。さぁ、もっと聞かせて? ルーカス様とはどこでお会いになったの?」
母が少し顔を寄せて優しくたずねる。
「お母様まで……」
エーリカは顔を覆いながらも、幸せが香っている。
「本当に、こんなに話すことになるなんて思ってもみませんでしたわ……」
「淑女の嗜みですよ、お嬢様」
サラサがしれっと続きを促す。
「お茶会の噂話より疲れるわ……」
会話は絶え間なく続き、賑やかな雰囲気のまま、気づけば馬車はヴィツォレク邸の壮大な門の前に到着していた。
「はいはい。皆様、そろそろご支度なさいませ」
サラサが手を叩きながら到着を知らせる。
スピードを落としながら馬車がゆっくりと門の中へ入っていく。
窓の外から前方を窺うと、先行していた父と兄が、ルーカスと、もう一人の男性と話をしているのが見えた。
男性陣の待つ扉前で、馬車がゆっくりと停車する。
外から馬車の扉が開かれると、目の前にはルーカスが立っていた。
「こんにちは。エーリカ様」
「ご機嫌よう。ルーカス様」
「お手をどうぞ」
優しく差し出されたその手を支えに、エーリカはそっと馬車を降りた。
そのままルーカスにエスコートされながら、父と話していた男性の前に連れて行かれた。
「エーリカ様、俺の父です」
「ご機嫌よう、ヴィツォレク伯爵。エーリカと申します」
「エーリカ嬢、ようこそ。歓迎いたします」
ヴィツォレク伯爵は息子のように人懐っこくはないが、柔らかな雰囲気はどこかよく似ていた。
エーリカは、少し緊張していた気持ちが和らぐのを感じながら、丁寧に頭を下げた。
「さぁみなさまどうぞ。茶会開始までお寛ぎください」
伯爵の誘いに従い、一行は屋敷の中へと足を進める。
「父が無愛想ですみません」
ルーカスそっとエーリカに囁いた。
その声に、エーリカはくすっと笑いながら答えた。
「緊張なさったのかしら」
「あー……まぁ、パーティー大好きって人ではありませんからね」
「堅実なことは、良いことですわ」
屋敷は質素でありながら整頓され、数は少ないが装飾品も良品ばかりだ。
控室に入るなり、バートがルーカスに尋ねる。
「そういえば、今日は騎士団からは誰がくるんだ?やっぱりアレックス様か?」
「その予定です。上司で、同級生ですからね」
そう言いながらルーカスがエーリカをちらりと見やる。
彼は彼なりにアレックスとエーリカの間になにかあると感づいているのだろう。
「アレックス王子と言えば……学生時代のバートは避けられていましたね」
シャーロットはバートと同じ学年だったので学生時代のことはよく知っている。
そんな妻の軽口に、バートは口を尖らせ反論する。
「人聞きの悪い!ちょっと稽古に誘いまくっただけさ」
「その稽古が後輩の間では地獄だったんですよ……」
「なんと……」
ルーカスが呆れている横で大げさにバートが驚く。
「バートは筋肉より頭を鍛えるべきね」
「母上?!」
家族の楽しげな会話にもエーリカは無理に笑顔を貼り付けて、やり過ごすしかできない。
――アレックス王子。
「……あぁ。エーリカ様、ウチのメイドがブーケを用意しているのでご確認いただけますか?」
「あ……はい」
ルーカスに促され、エーリカは隣の部屋に足を踏み入れる。
花束を調整をしていたメイドが軽く頭を下げた。
「こちら、最後にリボンで飾ろうと思っています。どうぞご確認くださいませ」
メイドがブーケを見せながらそう言うと、ルーカスが柔らかな表情で返答する。
「うん、いいね。あとはこっちでやるから、下がっていいよ」
ルーカスに従ってメイドが退室すると、部屋には沈黙が落ちた。
可憐な花束を前にしても、エーリカの中心には抑えつけた感情が渦巻いている。
「このブーケなんですが……」
ルーカスが口火を切ると、エーリカはそれに応じて、少し視線を上げて花束を見つめた。
「えぇ、素敵なお花ですね……」
二人の間に、言葉にできない気まずさが顔を覗かせる。
「……」
「……」
未だ沈黙。
その静けさに耐えられなくなり、ルーカスが意を決して口を開いた。
「……あの、聞いてもいいですか?」
エーリカはその言葉にわずかに眉をひそめ、少し間を置いてから答えた。
「……今は、ちょっと……」
きっと泣いてしまう――そうわかっていたから。
エーリカはアレックスへの想いは封じたつもりだった。
けれど、それを“過去”にするにはまだ早すぎた。
それと同時に、ルーカスにだけは嘘をつきたくないと、強く思えたのもまた事実。
(私を、信じてくれるルーカスには対しては誠実でいたい……)
「では、あとで時間を取りましょう」
「えぇ。その時に……お話いたしますわ」
エーリカは小さく頷き、そっと花束へ視線を落とした。
淡い花の香りが揺らめいていた。




