7:柔和
「あら?お嬢様、なんだかお疲れですわね?」
自室のソファーにへたり込むエーリカに紅茶をいれながらサラサが問いかける。
「昨日遅くまで着せ替え人形だったもの……。ただ披露会に行くだけなのに家の中がこんなに慌ただしくなるなんて思わなかったわ」
あのパーティから一週間。
今日は婚約お披露目会としてヴィツォレク家へ家族総出で向かうことになっている。
婚約お披露目会、一番やる気を見せているのはサラサだった。
――あのパーティの後。
ルーカスと家族を引き合わせたとき、父と兄は第一声こそ『認めない』や『まだ早い』などと声を荒げた。
けれど、母とお義姉様が、にこやかに場を整えてくれた。
――『まぁ、アナタ。エーリカが“自分の意志で選んだ”ということがおわかりにならないの』
――『バート、あなたもよ。妹の幸せを願うなら、見守ってあげるのが兄の務めよ』
あの時の二人の微笑みの奥には、氷のような鋭さが潜んでいた。
そんな二人の後ろでは、サラサが“お嬢様の幸せ”を誰よりも信じる笑顔で無言の圧を放っており。
そんな迫力に、父も兄もすぐさま引き下がり、最後には苦笑しながらも祝福してくれた。
きっと言い出したら聞かない娘、動く時は烈風の如き妹、そんな気持ちもあったのだろう。
そのやり取りを、ルーカスは少し照れくさそうに見守っていた。
思い出すだけで、頬が少し緩む。
ルーカスの澄んだネイビーブルーの瞳を思い出したその瞬間、ふと言葉がこぼれた。
「今日のドレス、本当は青系のドレスが着られたら良かったのだけどね……」
婚約相手の瞳の色を身に着けるというのは昔からある風習で、ドレスに取り入れるのが最新の流行だった。
「ヴィツォレク領だと、リーベルス商会のリヒトブルーの生地がありますからね」
サラサが悔しそうに答える。
リヒトブルーの生地、その生地はあまりに希少で、予約順が回ってくるのは何ヶ月も先になるという。
仕方なく、代わりに青い石の髪飾りを選んだ。
「主役のお嬢様に“霞んでみえる色”を着せるわけにはいきませんわ。それに――今日の赤いドレスはお嬢様にぴったりです! サラサが断言いたします!このドレスならルーカス様もきっとお気に召しますわ。衣裳部屋からドレス持ってまいりますね」
「そうかしら。ふふ……ありがとう、サラサ」
部屋から出ていくサラサの後姿を眺めながら、エーリカはソファーの背もたれに体を預け、婚約披露会について考えた。
披露会は、夢でも経験していた。
王弟妃としての婚約のときは、全て王家主導で進められ、ヴェーデキント家はほとんど関わらなかった。
衣装も式次第も宮廷付きの侍女と執事が取り仕切り、エーリカ自身もただ流れに身を任せるだけだったのだ。
――あの頃は王子の隣にいられるだけで幸せだった。
思わずアレックスの瞳を思い出したエーリカは、先ほど入れてもらったばかりの熱い紅茶を勢いに任せ煽る。
その熱で過去も想いも誤魔化さないと、胸が押しつぶされ、痛くなるとわかっていたから。
過去を振り切って無理やり別の事を考える。
(私の未来は……少しでも、変わったのかしら)
あの回廊で、ルーカスに未来の話をした時、エーリカは全てを伝えたわけではなかった。
どこまで信じてもらえたのか――確信がなかった。
(……疑うなんて失礼よね)
助けを求めておきながら、それでも怯えてしまう自分に苦く笑う。
(だめよね。こんなことで怖気づいていたら……あの未来を、繰り返させるわけにはいかない)
震えそうになる手を強く握り込む。
コンコン、と扉が叩かれた。
真紅のドレスを恭しく抱えたサラサが、静かに部屋へ入ってくる。
「お待たせしました、お嬢様……あら?なんだかお顔が元気になりましたね」
「そうよ。私、大人しくなんてしてられないもの」
エーリカは精一杯胸を張る。
「良いことですわ。サラサは元気なお嬢様が一番好きですもの。ちょっと元気すぎて困る時もありますけど」
いけしゃあしゃあと答えるメイドに主は笑って答える。
「まぁ、私が元気でいったい何が困るのかしら……こんなにもいい子なのに」
妹を慈しむように接してくれるサラサを、エーリカも姉のように慕い、いつまでも傍にいてほしいと願った。
「はい、お嬢様。もうお着替えしましょう」
サラサがドレスを広げ、エーリカを促す。
エーリカはドレスの生地に手を伸ばし、その感触を確かめるように指先で軽くなぞった。
滑らかなシルクの感触が、手に心地よく伝わる。
その瞬間、記憶が騒めき立った。
この赤いドレスは、かつてアレックスから褒められたものだった。
――『エーリカ……やはり、その色が一番似合うな』
あの柔らかな声が、耳の奥でよみがえる。
記憶の中のアレックスが、エーリカの心を勝手に“夢の中”へと引き戻そうとしてくる。
エーリカは小さく息を吐き、目を閉じた。
「……これは、今の私のためのドレスよ」
自分に言い聞かせるように呟き、もう一度生地を撫でた。
今日はルーカスとの婚約披露会であり、アレックスに褒めてもらう日じゃない。
「ありがとう、サラサ。あなたがいてくれるからこそ、私はこうして立っていられるわ」
エーリカは少し照れくさそうに、背後のドレスを整えるサラサへ顔が見られない内に感謝の気持ちを伝えた。
サラサもそれをわかって、視線を合わせるような無粋なことはせずに微笑みを返した。
「……お嬢様、私はいつでもお側におりますよ。お嬢様がどんな決断をされようとも、サラサは全力でお嬢様の味方ですからね」
それはエーリカの欲しい言葉であった。
込み上げる思いを抑えて、表情を綻ばせる。
「……知っているわ。サラサは私のだもの」
「ふふっ、さぁ、お髪とお化粧も仕上げてしまいましょう」




