4:微睡
白い柱と添えられた花が美しい回廊へでてきたエーリカはその廊下のベンチへ腰を下ろす。
「私は、うまくやれてるかしら……」
ため息とともに漏らした言葉はか細く弱々しい。
「どうかこのままうまくいきますように……」
目を瞑り俯いて、気持ちを落ち着かせる様に自身を抱きしめる。
死がそばにいるという恐怖は、身体の底から震えを起こさせる。
——その時、不意に現実の世界が音を取り戻した。
「大丈夫ですか?」
ふと、柔らかな低音が頭上から降ってきた。
顔を上げた瞬間、白に近いシルバーの髪が日の光を弾いているのが目に入った。
庭とは反対側――回廊の切れ目から現れた男は、紺青色の礼装軍服を纏っていた。
急なことに涙も止まり、エーリカは瞬きを繰り返すばかりだった。男はその様子に気づいたのか、眉を下げて困惑の表情を作る。
おそらく気を使って声をかけたのだろうに、じっと見つめられては気まずいだろうと気づき、慌てて立ち上がって挨拶をした。
「す、すみません!少し驚いてしまいましてっ」
「急に声をかけてこちらこそすみません。……良かった、泣いているのかと思いまして」
エーリカの言葉に男はほっとしたように表情を緩め、その青い瞳も柔らかく細められた。
そのコロコロ変わる表情にエーリカは昔飼っていた子犬を思い出していた。
(だめよ、人をワンちゃんに例えるなんて失礼よね……でも、本当に似ているわ)
「エーリカ・ヴェーデキントですわ」
エーリカはゆっくりと膝を折り、優雅にお辞儀をする。
その目にはまだ涙の痕がかすかに残っていたが、それには触れようとせず、冷静さを保つことに努めた。
「俺はルーカス・ヴィツォレクと申します」
エーリカの前に立つ青年、ルーカスは胸に手を当てて優雅に一礼した。
その端正な顔立ちには穏やかで甘やかな笑みが浮かんでいた。
「広間が、わからないわけじゃないですよね?」
「もちろん、迷子ではございませんわ。ただ……ただ少し、休んでいるだけですの」
エーリカは自分の言葉に言い切れぬ辿々しさが響いたことを感じ、心の中で自分を叱咤した。
しかし、ルーカスはその言葉に対して追及することなく、優しさを持って答えた。
「この庭は素晴らしいですからね」
庭を見渡すルーカスの声は落ち着いていて、エーリカの心の不安を察しているかのようだった。
エーリカの固く組まれた手は、まだ少しだけ震えていた。
「……震えていますよ?……本当に、大丈夫ですか?」
ルーカスは心配そうに問いかけ、真っ直ぐな眼差しでエーリカを見つめた。
その瞳に宿る力強さは、エーリカを強烈に惹きつける。
エーリカは震える手を無理に抑え込み、椅子に座り直す。
深呼吸をして平静を取り戻そうと努めたが、その努力は無駄に終わった。
「本当に……大丈――」
「……あぁ、そうだ!良かったらこれをどうぞ」
エーリカの不安げな言葉は途中で途切れた。
隣に座ったルーカスが、優しい笑顔を浮かべながらその言葉を遮ったのだ。
ルーカスが差し出しているのは、クリーム色した小さな袋で、袋口には可愛い赤色のリボンが結ばれている。
「あ、可愛い……」
思わずそう呟いたエーリカにルーカスの顔がぱっと明るくなり、満足げな微笑みが広がった。
「この店のクッキー、俺もよく食べるんです。甘くて美味しいんですよ」
ルーカスがエーリカに小袋を手渡しながら説明するその声は低く、穏やかで、さながら長年の友人に話しかけるかのように親しみやすかった。
「甘い物を食べると幸せな気分になれますよね」
まるで子犬が自分のお気に入りのおもちゃを得意げに見せびらかすような、期待のこもった目をしている。
そうやって笑うルーカスをみてますますワンコを思い出したエーリカは肩の力が抜けていった。
なんとも、随分と気楽に振る舞ってくれる人だと感じた。
リボンをそっと解くと、たっぷりのチョコチップが入った、ずっしりと重く大きなクッキーが数枚重なっていた。
ふわりと漂う甘い香りがエーリカの鼻をくすぐる。
「いただきますわ」
「どうぞ」
エーリカはクッキーを一枚手に取ると、口に運ぶ。
小さな一口だったが、サクッとした食感とともに、濃厚なチョコレートの甘さが舌を満足させた。
エーリカの頬が緩み、その表情に喜びが満ちた。
「美味しい!」
エーリカが心からそう呟くと、ルーカスが満足げに微笑んだ。
「気に入ってもらえてよかったです」
その言葉にエーリカは小さく頷き、笑みを返す。
「とても大きいクッキーですし私だけでは食べきれませんわ。ヴィツォレク様も一枚いかがですか?」
「ルーカスでかまいませんよ。ではお言葉に甘えて一枚頂きます」
「ええ、ルーカス様ね。では私もエーリカと」
エーリカは笑みを浮かべながらルーカスがクッキーを取りやすいように小袋を差し出す。
ルーカスは少し照れくさそうにしながらも、エーリカの差し出した袋からクッキーを一枚取り出し一口齧る。
「俺はダンスが苦手で、抜け出してきたんです。クッキー食べながらサボろうと思ってたんですが、それが役に立ってよかった」
ルーカスはそう言って、照れくさそうに笑みを浮かべた。
「ふふっ、共犯ですね。甘い物ってホッとするから大好きですわ」
「俺もキツい訓練で疲れた時とか甘い物に助けられます。……皆には男らしくないと言われますけどね」
「まぁ!美味しい物には男も女も関係ありませんわ!」
そう力説するのを、にこにこと笑いながら頷いてくれるルーカス。
いつの間にか肩から力が抜けていることに、エーリカは気がついた。
クッキーを食べ終え、互いに何も言わずに静かな庭を眺めた。
風が優しく木々を揺らし、花々の香りが漂ってくる。
「あなたがここにいてくれて、良かった」
「……」
無言の返答に、エーリカの心の深いところが揺れる。
言ってしまった言葉だけが、そこに漂った。




