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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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37/44

36:断罪

 ――数日後。

 王都の外れにある門前は、朝の冷たい空気に包まれていた。

 遠くで朝市が建ち、人々の賑やかな音が、エーリカの耳にも微かに届いている。

 

 空は青いキャンバスのようで、白い雲が自由に遊んでいる。

 エーリカの胸の奥だけが、曇天のように重い。


 石畳の上に並ぶのは、数台の馬車と、最小限の従者。

 ひどく静かな出立だった。


 その中でひときわ目を引くのは、ひとつの馬車。


 王家の紋章が控えめに刻まれたそれは、外見こそ簡素だが、明らかに作りが違う。

 揺れを抑えるための厚い車輪、広く取られた車体――長旅に耐える仕様。


 中には、寝台が据えられていると聞いている。

 エーリカは、無意識に指先を握りしめた。


(……本当に、行ってしまうのね)


 現実が、遅れて胸に落ちる。


 少し離れた場所で、アレックスとルーカスが言葉を交わしている。


 ルーカスの横顔は、笑っていない。

 前髪の隙間から見えた瞳に、光はなかった。


 反射的に、エーリカは視線を逸らした。

 胸が、ひりつく。


「エーリカ様」

 不意に、声をかけられる。

 振り向くと、馬車の傍に控えていたメイドが一歩進み出ていた。

「デイジィ様が、お話をされたいと」

 一瞬、息が詰まる。

 逃げ場はない。

 けれど、拒む理由もなかった。


「……分かりました」

 声が、思ったよりも静かに出た。

 足を進めると、一歩ごとに、石畳の音がやけに大きく響く。

 アレックスとルーカスが揃ってこちらを注視しているのがわかったが、それに気づかぬふりをする。

 

 馬車の扉の前で、わずかに足が止まった。

 ざわめきはが背中を這いまわる。

 それでも、ノックをひとつ。

 

「――エーリカです」

「どうぞ」

 すぐに返る声。

 変わらない、穏やかな響き。

 それが逆に、喉を詰まらせる。


 扉を開けると、柔らかな布の匂いと、かすかな薬の香りが混じった空気が流れ出た。

 中は広く、簡素だが整えられている。

 

 その中央――寝台の上に、デイジィはいた。

 背を預けるようにして座っているが、その身体はやはり細い。


 けれど顔だけは、いつも通りに微笑んでいた。

「来てくださったのね、エーリカ様」

 その一言に、なぜか逃げ場がなくなる。

 

 扉が、後ろで静かに閉じた。

 外の音が、遠ざかる。


 ――ふたりきり。


 エーリカの心臓が、ひとつ、大きく鳴った。

 

「――あなたは結局、王子を選んだんですね」

 扉の外では、人の気配が微かに動いている。

 逃げ場のない沈黙に、足元が固まる。

 

 デイジィの声音は穏やかなのに、その一言一言は妙に鋭かった。

 柔らかい布で、ゆっくり首を絞められているような感覚。

 反論しようとしても、言葉が絡まる。

「私は、まだ……」

「まだ?じゃあルーカスを選ぶんですか?」

「ルーカスは、貴女ととともに行くじゃありませんか」

「迷惑ですけどね」

 冗談めいた口調だった。

 けれど、そこに笑いはない。

 

 デイジィは窓辺から差し込む朝の光を受けながら、どこか遠くを見るような目をしていた。

 その横顔は穏やかなのに、エーリカには妙に冷たく見える。

 

「迷惑だなんて――あなた方は、愛する人に会いたくて時間を戻したんですよね?」

「えぇ。愛する人――私を愛してくれたルーカスのために。……あそこにいるルーカスは、貴女を見ているもの。あれは、私のルーカスじゃないわ」

 心臓が破裂したかと思えるほど痛い。

「ルーカスは、貴女と行くことを、選んでいます……」


 デイジィから小さなため息がひとつ、生まれる。


「あなたが、私からルーカスを奪ったんですよ」

 エーリカの喉が鳴る。

 否定したかった。

 そんなつもりではなかったと叫びたかった。

 けれど、“違う”と言い切れるほど、自分が誰かを傷つけていない自信もなかった。

 

「始めに、あなたがエリザベート様とうまくいっていれば、冤罪自体産まれなかった」

「そんな、ことは……」

 そんなこと言われてもエーリカにはどうしようもなかった。

 

「エリザベート様はまだ幼い子供ですよ。仲良くすることは難しいことじゃなかった。

 あのメイドにしても粗が多く、こちらから隙を作らなければ毒を盛るなど不可能だったわ」

「それは、あなたが二度目だから――」

 そう反論しても、デイジィの蔑んだ笑みは崩れない。

 「私もエリザベート様の信頼を勝ち取る事は初めてでしたよ?」


 デイジィのヘーゼルの瞳が細められる。


「なのに、どうしてあなたはしなかったの?機会はいくらでもあったでしょう。王女様は、ただ寂しがり屋なだけだもの。少し寄り添えば、いくらでも懐いたはずよ」

「私は……その……」

「怖かった?」

 即座に刺された。

 内の奥に隠していたものを、迷いなく抉り出された気分になる。

 

「失敗するのが?嫌われるのが?それとも――自分から歩み寄ること自体が、面倒だったのかしら」

 デイジィの口元が、わずかに歪む。

 

「違います……!」

 エーリカは思わず声をあげた。

 だが、それはただの、逃避のための言葉だった。

 デイジィは、小さく首を振る。

 

「……そうやって、いつも“違います”で終わらせるのね」

 呆れとも、失望ともつかない声音。

「ねぇ、エーリカ様。覚えていらっしゃる?」

「……なにを、ですか」

「あの牢獄での事を――」

 エーリカの呼吸が乱れ、もう動揺を隠せなくなっていた。

 

「あの時あなたは、最後まで――処刑台の上ですら、“なぜこうなったのか分からない”って顔をしていたわ」

 

 逃げ場がない。

 牢獄の冷たい床。

 首筋に触れた刃の気配。

 遠巻きに向けられていた視線。

 

 記憶が色を、音を、痛みを取り戻す。

 エーリカの額に嫌な汗が滲んだ。

「……違いますか?」


 唇をきゅっと結び、エーリカは否定できないでいる。


「私はね、悔しかったの」

 デイジィから、わずかに感情が滲む。

「どうしてあなたは、何も知らないまま死のうとしているのって、私のルーカスを巻き込んでいるくせに。ってね」

 デイジィのその声は小さいけれど、エーリカに降り注ぐそれはなによりも重かった。


「自分が何をしたのかも、何をしなかったのかも、理解しないまま――ただ、被害者の顔をして嘆くだけなんて……許せなかった」


「……っ!」

 エーリカは喉が潰された様に、もう何も言葉にできない。

「私は……私たちは調べたのよ。あなたの周りも、全部」

 静かに、告げる。

「誰が、どこで、何をしていたのか。どこに隙があったのか。何が引き金になったのか」

「それで……」


「ええ。分かったわ」

 デイジィはさらりと答える。

「全部、防げた」

 その断言は、あまりにも静かだった。

 だからこそ、残酷だった。

 

 もし怒鳴られていたなら、もし感情的に責められていたなら。

 エーリカも傷ついた顔くらいできたかもしれない。

 感情に任せた糾弾なら、こちらも感情で押し返せたかもしれない。

 

 けれどデイジィは、事実を確認するような静けさで、エーリカの弱さを並べていく。

「少しだけ視点を変えれば。少しだけ先を読めば。もう少しだけ、他人を見ていれば――」

 デイジィが小さい子を諭すように、指を折り罪を数えるように、ひとつずつ積み上げる。


「あなたは、あんな風に死ななくて済んだの」

 静かな声なのに、冷たく痛い――そう思えて、エーリカの指先は、震えた。


「……だから、助けたんです。貴女が、可哀想だったから」

 ぽつりと落とされる。

 その言葉に、エーリカの眉が寄る。


「何も知らないまま終わるなんて、あまりにも無意味だったから」

 視線が、真っ直ぐに突き刺さる。

「でも――」

 デイジィは、微かに笑う。

「結局こうなった。――私も、選択を間違えたんです」

 

 はっと気が付いたエーリカが息を呑む。

 その先は、聞きたくなかった。

 

 「あなたを、助けるんじゃなかった」

 

 呼吸音さえ、消えた気がした。

 遠くでは朝市の喧騒が続いているはずなのに、ここには何も届かない。

 

 ――許されたかったわけではない。

 けれど、 エーリカを支え“何かが”、崩れていく音がした。


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