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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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36/44

35:齟齬

 静寂が落ちた。

 重たい沈黙だけが馬車の中を満たしていく。

 耐えきれなくなったように、エーリカは小さく息を吐いた。


「……随分と、潔いな」

 不意に落ちたアレックスの声に、エーリカの肩が揺れる。

 エーリカは視線を伏せたまま、指先をそっと握り込んだ。

 

「……最善を選んだだけです」

「本当に?」

 即座に返った声に、エーリカの頬が僅かに強張った。

 あまりにも自然で、逃がす気のない間だった。


 エーリカの喉が、かすかに動く。

「はい」

 エーリカの短い返答のあと、もう一度訪れた沈黙が、その言葉の薄さを際立たせていた。

 アレックスは否定しない。

 ただ、エーリカを見ている。

 

「……エーリカ」

 名を呼ばれた瞬間、エーリカの心臓は大きく脈打った。

 その響きは、どこか懐かしく、甘い。

 

 かつて婚約者だった頃の記憶――まだエーリカがすべてを失う前の時間へ、無理やり引き戻されるようだった。

 緑の双眸は、エーリカを逃さない。

 

「まだ、お前のことを聞けていない」

「私のこと、でございますか……」

「お前は、一度俺の手を離れた。……そう思えば、次にはルーカスの手を取っていた」


 淡々とした口調に責める響きはない。

 だからこそ、事実だけを並べた言葉が重い。


 アレックスが少しだけ姿勢を緩める。


「だが、その手を、お前は今、自分で放した」

 低い声が、静かに落ちてくる。

 逃げ場など最初から存在しないかのように。


「いったい、何を……おっしゃりたいのですか」

 エーリカの声は、自分でも分かるほど不安定だった。

 選んだはずなのに、決めたはずなのに、まだ痛いほど残っているのを、見透かされているようだった。


 アレックスは、その動揺ごと見透かすように、口を開く。

「――俺はもう、同じことはしない」

 緑の瞳は逸れない。

「もう、お前を手放すつもりはない」


 場違いなほど、穏やかな声だった。

 怒りも、執着を露わにする熱もない。

 それなのに、その言葉だけでエーリカの逃げ道は塞がれていく。

 

「お前は、この先、どうしたい」

 問いかけは続く。

「ここに残ったあと、お前自身が、どう生きたいのか――俺はまだ、その答えを聞いていない」

「私は……みんなが、幸せに、なれれば――」

 そう口にした瞬間だった。

「それは、答えになっていない」


 涼やかな声が、言葉を断ち切る。


「それは、“誰も選ばないため”の言葉だ」

 だからこそ、深く刺さる。


 エーリカは、すぐには言葉を返せなかった。

 考えあぐねているエーリカに、ふと、違和感が降りてくる。

 

(……この方は、ご自身のことだけ、何も仰っていないわ)

 エーリカのまつ毛が、わずかに動く。

「王子は……アレックス様は、どうなさるおつもりなのですか?」

 声に出して、初めて形になった。

 

「責任は取る」

 短い答え。

 だが、それは先ほど聞いたものと同じだ。


 エーリカは、ゆっくり首を振る。

「それは、伺いました」

 見据えた視線は逸らさない。

 

「そうではなく……ご自身が、これからどう在りたいのかを、お聞きしています」

 エーリカの気持ちが一歩、踏み込んだ。

 自分でも分かるほどに、少しだけ呼吸が早くなる。

 

 アレックスは、しばらく何も言わなかった。

 沈黙――だがそれは、言葉を選んでいる間だった。

 

「……お前に、選んでもらえるように動くだけだ」

 あまりにも飾り気のない言葉だった。

 エーリカの呼吸が、一瞬だけ止まる。


「待つつもりはない。だが、強制もしない」

 落ち着いた声音のまま、言葉だけがまっすぐエーリカへ届く。


「お前が選ぶ、その結果に――俺が入っているように」

 エーリカは胸から込み上げる感情に、内側から圧倒される。

 アレックスは、さらに続ける。

「だから聞いている」

 緑の瞳に熱が帯びる。

「お前は、どうしたい」

 エーリカは睫毛を伏せる。


「……私は……」

 言葉が、続かない。整理が、追いつかない。

 それでも、絞り出さなければいけない。


「……少しだけ、時間をいただけますか」

 やっとのことで紡げた言葉は、かすかに震えていた。


 アレックスは、しばらくエーリカを見つめていたが、やがて静かに頷いた。

「構わない」

 短く、それだけ。

 けれどそこには、急かす色も、失望もなかった。


 エーリカは小さく息を吐き、頷く。

 消えきれず、名もつかないまま燻り続けるものが、塊になっていく。

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