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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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35/44

34:迷路

 エーリカはルーカスに、なにも言えなかった。


 (デイジィ様は、私が選ぶ側だと思っているようだけど、私は――)

 選び取る側の恐怖が、エーリカから言葉を奪い取っていた。

 

「……っ」

 小さく息を呑む音。

 顔を上げると、デイジィが胸元を押さえていた。

 呼吸が浅く、細い肩が、かすかに上下している。

 

「おいっ、大丈夫か?!」

 ルーカスの声音が変わる。

 ためらいなく傍へ寄り、その身体を支えた。

「……少し、疲れただけよ。ちょっと、休ませてもらっても……?」

「も、もちろんですわ。まずは、体調を治してくださいませ」

 エーリカは反射的に答えていた。

「……今日の所はここまでだ」

 命令というより、終わりを決める声だった。


 誰も異論を挟まない。

 張り詰めていた空気が、一気に現実へ引き戻される。


 エーリカは部屋を出かけて――ふと、振り返った。

 寝台に横たわるデイジィと、その傍らから離れないルーカス。

 苦しげな呼吸だけが、エーリカの耳に届いた。

 

 屋敷の玄関ホールは、先ほどまでの空気が嘘のように静かだった。

「まだ、聞きたいことがあるのだろう?こちらの馬車で送ろう」

 アレックスが口を開く。

「……すべて、お話しいただけますか?」

 エーリカの問いかける声は、自分でも驚くほど冷静だった。

 

「あぁ、約束しよう」

「では、行きますわ」

 その返答に、エーリカは小さく目を伏せる。

 

「――俺も行きます」

 低い声が響き、そちらを見れば、ルーカスがこちらへ歩いてくるところだった。


「まだ、話があるので」

 表情はいつも通りだった。

 けれど、その目に僅かな疲れが見えた。

 

◇◇◇◇

 

 馬車内にて。

 王家の馬車は最上級の魔法により、普通の部屋と遜色ない広さと快適さであった。が、その空気は張り詰めている。

 どれほど快適に整えられていても、その冷えた静けさは、かえってエーリカの不安を際立たせる。

 重い沈黙の中、誰も話を切り出せない。

 

「それで、なにを知りたい?」

「知りたいことは、たくさんありますわ。……けれど、多すぎてもう破裂しそうです」

 アレックスが問いかけ、エーリカは素直に答える。


「……俺たちは過去に戻ってやり直しをしている――で、いいんですよね?」

 ルーカスが遠慮がちに呟く。

「あぁ、その認識で間違いない……我々の目的は、デイジィ嬢が言っていた通りだ」


――『愛する人に、もう一度会うために』

 そう言っていたデイジィを思い出す。


 エーリカはちらりと盗み見たアレックスと視線が合ってしまった。

 困ったように眉を和らげたまま、アレックスがほんのわずかに唇の端を緩めた気がした。

 

――なぜ、今。

 場にそぐわないその柔らかさに、エーリカの思考が一瞬だけ止まる。


 けれどすぐに、アレックスはいつもの声音に戻っていた。

「我々の身勝手な行動でお前たちを巻き込んだこと、謝罪する」

 座ったままではあるが、一国の王子が頭を下げる光景にエーリカは慌てる。

 

「そんな!頭をお上げください!」

 オロオロと戸惑うエーリカの横から、ルーカスが声をかける。

「……」

 ルーカスの声を受けても、アレックスは頭をあげようとはしなかった。

「――時間が戻ったことで、あの時、失われたはずの自分たちの命が……今ここにあるのです」

 エーリカは言葉を選びながら、ゆっくりと紡ぐ。


 「それについて、私は――感謝しています」

 それは、本心でもあった。

 暗い牢獄から見えた微かな光が、自身の命を奪う鋭い刃の光だった時の絶望が思い出される。

 ずっと思い出すことすら苦痛だった記憶は、今のエーリカには“ただの記憶”に過ぎなかった。

 

 エーリカの発言にルーカスが大きく頷く。

 やっとアレックスが顔をあげる。

「……感謝されることと、責を負うことは別だ」


 低く、抑えた声。

「結果がどうあれ、禁を犯し、他者の人生に干渉した事実は消えない」

 ゆっくりと、言い切る。

「ゆえに、謝罪は撤回しない。その上で――」


 一拍。


「巻き込んだ以上、最後まで責任を持って関与しよう」

 アレックスがルーカスに向き合う。

「デイジィ嬢の療養先は最優先で手配する。ルーカス、お前が着いていくと言うならば、それもこちらで調整しよう」

 そして、アレックスの視線がエーリカに向く。


「……お前にもだ」

 エーリカの心臓が大きく脈打つ。

「デイジィ嬢は意思を示した。ルーカスも、身の振り方は決めているのだろう」

 静かな確認。

「お前は、どうする?」

 アレックスがエーリカへ問う。

 

 逃げ場は残されていない。

 選べ、と。そう言われている。

 エーリカの喉が、わずかに乾く。


「私は――」

「……あのっ」

 遮る声。

 顔を上げると、ルーカスと目が合った。

 青い瞳に迷いはない。


「俺、が……デイジィに着いていくのを、エーリカ……――様に、相談もせず、勝手に決めて、しまって……その――」

 ルーカスが言葉を探すように、わずかに詰まる。

 

 ――“エーリカ様”。

 エーリカは自分で選択することもなく、自分が選ばれることもないこの決定を静かに受け入れた。

 

「私たちは、今日、会ったばかりです」

 先に、口を開いたのはエーリカだった。

 自分でも驚くほど、静かな声だった。


 ルーカスが、わずかに瞼を揺らす。

 それでもエーリカは続ける。

「どうぞ――あなたの思うまま、行動なさるといいわ」

 感情を置き去りにしたまま、線を引くようにエーリカは口調を正す。

 

 この感情を飲み込むことには、もう慣れているはずだった。

 それでも、エーリカの指先が、見えないところで強く握られる。

 

 ゆっくりと視線を伏せたルーカスは、迷いを断ち切るように、深く頭を下げる。

 

「……本来なら」

 ぽつりと、ルーカスが言葉を落とすと、それに応えてエーリカが顔を上げる。

「――あなたに、釈明しなければいけないんでしょうが」

 低く、押し殺した声。

「ですが……今は、それを言葉にできる余裕が、俺にないんです」

 ルーカスが眉を寄せ、悔しそうな顔でエーリカを見据える。

 

 エーリカはそんなルーカスの青い瞳を見つめたまま、息を吸い損ねた。


「――――私は、怖くって動けないの……」

 つい本音を零してしまったエーリカの肩が小さく跳ね、ストロベリーブロンドの毛先が揺れる。

 自分に呆れてしまい、小さく息を吐いた。

 (もう、言ってしまったんだもの……いっそ、全部……)

 エーリカの決意の様に白い両手は硬く組まている。

 

「選ぶことが、こんなにも怖いなんて……思わなかった」

 エーリカが少しだけ俯くと、その髪がさらりと流れる。

「私は、もう、選ぶ勇気はない。……すでに選んだ貴方を、否定する資格も、ないわ。それに、約束の存在しない“今”だもの。……謝罪も言い訳も、必要ないんですよ」

 聞き分けの良い言葉を並べただけの、欺瞞だ――と、エーリカは自身を卑下する。


「……ありがとうございます」

 ルーカスが深く頭を下げる。


(私が、巻き込んだのに……。その優しさが、痛いわ……)

 

 邪魔をしない。

 それを、エーリカは“選んだ”。

 

 雨音も、車輪の音も聞こえない。

 誰も、言葉を継げない。


 ――気を抜けば、縋ってしまいそう。

 その自覚が、かえって身体を強張らせる。

 視界の端で、ルーカスがわずかに息を吸った。

 だが、その前に。


「……決まったな」

 静かに、アレックスが口を開いた。


 断じるでもなく、ただ事実を確認する声音。

 だが、それだけで場の流れが固定される。


「ルーカスの同行を許可しよう。デイジィ嬢の療養に随伴できるよう、勅令を出す」


 選択の整理。

 逃げ道を塞ぐようでいて、誰も否定しない形。

 エーリカの喉が、かすかに鳴った。

 それが、自分の“選択”として確定したのだと、遅れて理解する。

 

 ルーカスが、わずかに顔を上げた。

 何かを言おうとした気配。

 けれど。

 エーリカは、先に口を開いた。


「……それで、構いません」

 驚くほど、平坦な声だった。

 感情は、追いついていない。

 それでも、言葉だけは形になる。


「巻き戻った今、私たちは、今日、初めて会った関係――ですもの」

 もう一度、迷いを断つように、言い切る。


 ルーカスの指先が、わずかに動く。

 だが、伸びることはない。

 ただ、拳がゆっくりと握られるだけだった。


「……そう、ですね」

 短い肯定。

 それ以上は、なにも言わない。

 言えないのか、言わないのか――エーリカには分からない。

 けれど、その沈黙がすべてを物語っていた。

 アレックスが、ふたりを一瞥する。

 

 ほんの一瞬だけ、視線がエーリカに留まった。

 何かを確かめるように。

 そして、すぐに外される。


「……話は終わりだ」

 決裁の声音。

 その一言で、場が完全に閉じる。

 ルーカスは座ったまま深く一礼した。


 形式に則った、隙のない動作。

 けれどその背は、わずかに強張っている。


 いつの間にか馬車が停車しており、アレックスが扉を軽くノックする。

 すると外から扉が開かれ、エーリカも訪れたことのあるヴィツォレク家の門が見えた。

 

 

「――失礼します」

 馬車を降りたルーカスがこちらに向かって深い礼をする。

 大粒の雨が降り注ぐ中、そのまま、ルーカスが顔を上げることはなかった。

 

 扉が閉まり、雨音も消してしまう。

 静寂が戻る。

 

 ――取り残されたのは、二人。

 そしてエーリカの心中には、行き場を失った熱が、いつまでも燻り続けていた。

 


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