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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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34/44

33:喪失

生活魔法で空調の保たれた部屋は快適であるはずなのに、エーリカは息苦しかった。

 吸い込んだ空気が肺の奥に澱のように沈み、吐き出してもなお重さだけが残る。


 窓の外では、雨粒が硝子を伝い落ちていた。

 

 エーリカは誰の顔も見られず、ただ自分の指先を見つめていた。

 ぎこちなく組まれた指先だけが、この場で唯一意識を向けられるものだった。


 「一度同行してしまうと、次も付いてくるなんて……面倒なことですね」

 沈黙を破ったデイジィが小さくため息を吐いた。

 

 その吐息はどこか諦めに近く、デイジィの表情には、怒りも焦りもない。

 ただ、どこか遠くを見ているような静けさがあった。

 それがかえって、エーリカにざらりとした不安を残す。

 

 「また、戻るおつもりですか……?」

 エーリカが思わず声をかける。

 胸の奥がなんだか言い知れぬ警鐘を鳴らしていたから。

 だからこそ、聞かずにはいられなかった。

 

 デイジィはにっこり、優雅に微笑んで答えた。

 「何度でも、ルーカスに合えるまで。……続ける、はずでした。――でも、強制的に同行者がいて、それにこ(・)の(・)ルーカスが組み込まれたとなったら、もう――無意味でしょうね」

 

 ルーカスの伏せた睫毛の下で、光が翳ったように見えた。

 俯いた先にある感情に、エーリカは辿り着けない。

 

「……エーリカ様、あなたは勝利できて羨ましいです」

 デイジィが一層の笑みを作ってエーリカへ向ける。

「勝利……?私は、なにも勝負などしていませんが」

「私は、もう何をしても、欲しかったものはもう手に入らない。でも貴女は、冤罪を免れただけじゃなく、ルーカスと王子――どちらを選ぶこともできる。良かったですね」

 いつもの調子で微笑むデイジィのその言葉に、嘘偽りは見受けられない。

 その言葉はあまりにも軽く、残酷に反響する。

 

 だからこそ、エーリカは絶句した。

 

 沈黙が、再び部屋を支配する。

 雨音すら、この部屋の沈んだ空気は崩せない。

 

「……私は、負けてしまいました」

 そう言って軽く笑おうとした、その瞬間、デイジィの肩が小さく揺れた。

 次いで、抑えきれない咳が、その細い喉から零れ出る。

「――っ……」

 デイジィの細い指が隠すように口元を覆う。

 喉が震え、咳は一度では収まらず、何度も繰り返された。

 呼吸のたび、喉の奥で何かが軋むような音がする。

 無理やり肺を動かしているような、その苦しげな異音に、エーリカは背筋が冷えるのを感じた。

 

「デイジィ……」

 まだ咳き込むデイジィに、ルーカスが一歩踏み出す。

「――来ないで」

 咳の合間に、デイジィがそれを鋭く制する。

 デイジィが息を整えようとするたびに、余計に浅くなっているのがエーリカにも見て取れた。


「医師を――」

「……必要、ありません」

 アレックスが廊下で待機している側近に声をかけようとするが、デイジィはそれを止める。

 その掠れた声に、室内の緊張がさらに濃くなる。


 扉に向かうのを静止されたアレックスが小さく息を吐き、ベッドへと歩み寄った。

「環境を変えた方がいいだろう。このまま王都に置くのは得策ではない。静養できる場所を手配しよう」

 アレックスのその言葉には、すでに覆し難い決定の気配が滲んでいた。

 デイジィは驚きも抵抗も見せず、ただ薄く笑った。

 

「……ずいぶんと手回しが早いのですね」

 その言葉に、アレックスはわずかに眉をあげる。

 咎めるでもなく、弁明するでもない。ただ、否定はしなかった。

「ただの療養だ。表向きも、実際も」

 静かでありながらも、緊張が張り巡らされたふたりの会話。

 

 一言でも逃せば、この濁流はエーリカを置いて行ってしまう――そんな確信があった。

 

 訝しむその空気を断ち切るように、ルーカスが口を開く。

「俺も行く」


 低く落とされたその声に、迷いは微塵もなかった。

 その言葉の意味を理解した瞬間、エーリカの喉の奥が強く引きつり、呼吸が遅れた。


 (――行く?誰と?どこへ?)


 エーリカの思考は追いついているはずなのに、理解は妙に鈍い。

 アレックスがルーカスへ視線を向ける。

「同行を希望する理由は?」

「理由はありません」

 ルーカスの低く、断定的な声。

「俺が、そうすると決めただけです」


 デイジィがゆっくりと顔を上げた。

「……この世界のあなたは、もういらないと、言ったでしょう?」

 デイジィの柔らかい声音に、微かな棘があった。

 

 エーリカには何の話か、わからない。

 だが、ルーカスの喉がわずかに鳴ったのだけは分かった。

 

「――それでも、行く」

 拒まれても、ルーカスの言葉は短く、固い。

「贖罪のつもり?」

「そうだな。お前が、許してくれるなら」

 みんな、それ以上は言わない。

 

 ただ一つだけ、エーリカにもはっきりわかった事――ルーカスは、もう決めている。


 


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