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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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32/44

31:天秤

 エーリカがもう一度目を覚ますと、そこは自室のベッドの上だった。

 見慣れた天蓋。淡い刺繍。窓から差し込む朝の光。

 あまりにも、穏やかすぎる空気がエーリカの胸をざわつかせる。

 

(夢なら、よかったのに……)

 そんな淡い期待を抱いても、エーリカの胸の奥に沈んだ重さが、はっきりと昨夜の現実を主張していた。


 コンコン、と扉が鳴る。

「お嬢様、ご起床くださいな。準備の時間がありませんよ」


 聞き慣れた声と共に、サラサが部屋へ入ってくる。

 その柔らかな微笑み。その変わらぬ所作。

 エーリカは、その違和感を敏感に感じ取る。

 

「サラサ……?」

 掠れた声――自分でも驚くほど弱々しい。

 喉がひどく渇き、胸が詰まって息苦しい。


「どうしました?なんだかお顔色が優れませんね」


 心配顔のサラサ。

 いつも通りの優しい声が、妙に耳に残る。


 (違う。このサラサは、昨日私を心配してくれたサラサじゃないわ。絶対に……)


 訝しんでいたエーリカが、ふとサラサに目をやると、その持っていたドレスに目を縫い留められた。

 

 (その、ドレスは――)

 

 ――これは、あの夜の“後”ではない。

 そう悟ったエーリカは跳ねるように起き上がった。

 サラサが心配げに見つめる。

 「お嬢様、本当に大丈夫ですか……?」

 「え、えぇ……大丈夫……まだ私、寝てるみたい……」

 エーリカは未だ混乱しているが、気丈に振る舞いながら鏡の前に座る。

 

 鏡越しに、ワインレッドのドレスが視界に入る。

(また、戻って、いる……?)

 サラサに悟られないように、エーリカは震える手を握りしめた。

 

(なにが、どうなっているの……?――すべて“なかったこと”なの?)

 凍り付くように体温が下がっていく。


 (――私は、なんの為に、こんなにも、やり直しているの……?)


◇◇◇◇ 


 馬車に揺られながら、エーリカは静かに息を吐いた。

 窓の外を流れる景色も、石畳の振動も、すべてが既視感に満ちている。

 でもそんな事よりも、エーリカはずっと正解を探していた。

 

(ルーカスと、会えるかしら?――いいえ、違う。それよりも――アレックス様は――)

 答えの出ない自問自答。わかってはいるのに、考えずにはいられない。

(誰か、覚えている人はいるかしら……私は、今日、どこに行けばいいの……?)


 城に到着し、広間へ足を踏み入れる。

 眩い灯り。楽団の旋律。貴族たちの笑い声。

 何も変わらない華やかさが、かえって現実味を失わせる。

 

(なにも、変わらないわね)


 いつもと同じ位置に同じ花が飾られ、同じ音楽が流れている。

 人々の会話も、いつか聞いたものと全く同じだった。

 

 違うのは、エーリカの胸の内だけ。


 王家の人たちが立ち並ぶ壇上を見ると、まず、エリザベートの姿が目に入った。

(エリザベート様の、記憶はあるのかしら?)

 エーリカの疑問はすぐに解消された。

 

 壇上のエリザベートは大人しく控えめで、長い前髪に隠れる自信なさげな表情が、“記憶の有無”をしっかり示していた。

 あの怒涛のお茶会で、エリザベート自身が語った幼少期の話を思い出してチクリと胸が痛む。

(いつか、本来のエリザベート様に、戻れるといいんだけど……)

 

 俯くエーリカを、アレックスの新緑を宿した瞳が捉える。

 顔を上げると、視線が交差した。

 

(――あの目……アレックス様……やっぱり、貴方は――)

 

 アレックスに気を取られていたエーリカが、ふと気づいて辺りを見回した。

 

(……ルーカスの姿が、ない?)

 

 心細さが爪を立てて引っ搔いてくる。


 長い挨拶が終わり、エーリカは今回も庭園に続く扉を開いた。

 外に出てすぐに、風が花の香りを運んできた。

 あの時の庭――あの夜匂いを、かき消してくれるようだった。

 

 ――薔薇園へ行くか、回廊に行くか。

 

(私が、選択していいのだろうか……また、取り返しのつかない間違いを選んでしまったら――)

 それは目の前に、はっきりと分岐点として現れている。

 

「ルーカスは……今日、城に来ていない」

 思い悩むエーリカの背後で、衣擦れの音がすると、別の香りが漂った。

 振り向けば、アレックスが立っている。


「アレックス様……」

「君は、今日はこのまま帰った方がいい。……誰とも、婚約は、結ぶな」


 アレックスのその声音は穏やかだ。

 だが、有無を言わせない。


 エーリカは息を呑んだ。

「アレックス様……覚えて、おいでなのですね」

 一瞬の沈黙。

 アレックスが、わずかに目を逸らす。


「ずっと……前回から、覚えていたさ」

 エーリカの世界から、音が消えた気がした。

 

「前回も……?」

「ああ」

 短い肯定。

 それだけで、エーリカの足元が揺らぐ。

 

「やっぱり……じゃあどうして――いえ、…………今日は、このまま失礼いたしますわ……」

 

 たくさん、言いたいことも聞きたいこともあった。

 なのに、エーリカは感情が渦巻くばかりで、言葉にはできなかった。

 

 口惜しそうに俯くエーリカに、アレックスは静かに頷いた。

「あぁ、それがいい。後日、使いを出す。みんなで、集まれるように」


「……みんな?」

 その言葉に、エーリカに嫌な予感が芽吹く。

「私たちと、ルーカスとデイジィ嬢。……シシィは何も知らない」


 エーリカの瞳が揺れる。

 風が再び吹き抜け、遠くで笑い声が響いている。

 華やかな音楽とは裏腹に、回廊だけがひどく静まり返っていた。


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