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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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31/44

30:俯瞰

 「――いやっ!……いやああああっ……!」

 その悲鳴は、晴天を切り裂く稲妻のようだった。

 次の瞬間、エリザベートが扉を乱暴に打ち開け、ほとんど転がるように飛び込んできた。

 

 アレックスに縋り付くように、エリザベートは泣き叫ぶ。

 泣きじゃくる声の合間から断片的な言葉を拾った瞬間、エーリカはほとんど反射的に駆け出していた。

 

 (なんで?どうして?)

 なにを自問しても、エーリカは正解を知りえない。


 城中に張りつめた空気が満ちていた。

 行き交う者たちは皆どこか蒼白で、誰もが何かに追われるように廊下を駆けていく。

 庭園に続く扉を開けると、魔法のライトがそこかしこに浮かんで辺りを明るく照らしている。

 薔薇園の片隅に、人が集まり垣根を作っている。


 風に乗った鉄の匂いが、エーリカの喉の奥を焼いた。

 

 人の間を縫うように進むと、サラサがエーリカに気づき、抱き留めた。

「――お嬢様っ!駄目です!見ては、駄目っ……!」

「っ……!」

 サラサが懸命にエーリカの視界を奪おうとするが、エーリカは隙間を見つけて覗き込んだ。

 魔法による光源で薄っすら見えたそこには、青いドレスと白銀のマントに、不釣り合いなほどの濃い赤が容赦なく飛び散っていた。

 

 その光景を視界に入れた瞬間、エーリカの身体から一気に力が抜けた。

 ぐらり、と世界が傾いた。

 

 遠くで誰かが何かを叫んでいる。

 だが、エーリカへ届く音はない。色も消えた。

 ただただ、鮮やかな赤だけが、そこに在り続けた。

 

 世界がそこだけ切り取られたようだった。

 夜風も、ざわめきも、遠くで誰かが叫ぶ声も、すべてが膜の向こう側にある。

 赤だけが現実で、それ以外は夢の残骸のようにぼやけていく。

 サラサが支えようとしても間に合わないほど、エーリカの膝から力が抜け、そのまま崩れ落ちた。

 

 眠っているような穏やかな顔のデイジィと、その表情が見えないけれど、首が痛そうなルーカス。

 生命を否定する光景から目が離せない。

 

 不意に、ギラツつく光の方を見ると、ルーカスの左手には、エーリカの渡した短剣が握られていた。

 刃先にこびりついた赤が、夜の光に鈍く滲んでいた。

 あの日、笑って差し出したときの自分の声が、鮮明によみがえる。

 祝福の象徴だったはずの刃が、今は罪の証のように見えた。

 

 押し寄せる光景に、エーリカの呼吸は次第に浅く、乱れていく。

 すると、吐息とともに、予想外の言葉が漏れた。

 

「ごめん、なさい……」

 なにがあったのかなんてわからない。誰に向けてなのかもわからない。

「ごめんなさい――私の――」

 エーリカ自身、どうして謝っているのかわからない。

 それでも、吐き出してしまわなければ、壊れてしまいそうだった。

 

 (もし、あの時――もし、あの部屋で――もし、私が――)


 へたり込むエーリカにサラサが寄り添う。

 優しく暖かなサラサの手が、戸惑いながらもエーリカの背を撫でている。

 

 背に感じる温もり、目の前にある現実、渦巻く思考、押し寄せる感情に。

 エーリカは圧し潰される。


 耳鳴りがする。頭痛が始まる。瞼が嫌に重い。

 

 (誰かが、私を呼んでいる。けれど、私は……)

 何かを考えなければならない気がした。

 けれど思考はうまく形にならない。

 指先から力が抜けていくのを感じながら、エーリカの視界は暗くぼやけてゆく。

 

 (私は――もう――なにも、掴んでは――いけないの――)

 

 エーリカの思考は闇に溶けていった。

 

◇◇◇◇

 

 エーリカが目を覚ますと、いつの間にかベッドで横たわっていた。

 見知らぬ天蓋。だが、それを疑問に思うだけの力も、今は残っていなかった。

 

「目が覚めたようだな」

「アレックス、様?……はっ!あの、私っ――」

 エーリカが身体を起こそうとするが、アレックスが手をあげそれを制止する。

「無理するな。……今日はこのまま城に泊ると良い。侍女を呼んで来よう」

 必要なことだけ伝えると、アレックスは静かに立ち上がる。


「あ……っ」

 独りにしないで――そう言いかけてエーリカは思わず言葉を飲み込んだ。

 (言っては、いけない……今の私は、あなたの隣にいる理由を持っていないもの……)


「……無理をするな」

 唇をぎゅっと結んで俯くエーリカへ、横になるよう促してアレックスはソファーに座り直す。

 

 心の声が届いたかの様なアレックスの行動にエーリカは少しだけ戸惑う。

「あの、申し訳、ありません……」

「大したことではない」

 素っ気ない返答だった。

 だが、その言葉とは裏腹に、アレックスの指先はわずかに強くソファーの肘掛を握っていた。

 

 ほんの一瞬のことだった。

 アレックスの緑色の目が、わずかに細められた。

 その仕草を、エーリカは知っていた。

 かつて婚約者だった頃、自分だけが気づき、他の誰も見出せなかった――アレックスの優しさ。

 

「……夢、ではないのですよね……。一体、なにがあったんでしょう……?」

「まだ捜査中だ……今はまだ、休んでいるがいい」


 ゆっくりと目を閉じるエーリカのまぶたの裏には、赤い色だけがいつまでも、鮮やかに残っていた。

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