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それでも、同じ空の下  作者: 夜唏


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3/4

2:決意

朝食を終え庭園に出ると、エーリカの頬を撫でるように、風が優しく通り抜けた。

(あぁ、私、牢から出てるわ……)

 それは、久しく忘れていた“自由”の感触だった。

 

 庭園のガゼボはエーリカお気に入りの場所で、昔からここでゆったり過ごすのが日課だった。

 サラサが給仕した紅茶を嗜みながら、ひといきつく。


(――私は、夢で未来をみた、のよね……)

 夢で見たものと全く同じ会話。少しだけ若くなっている自分と周り。


 その考えが、エーリカの胃を重くした。

 信じられない程に、夢も希望もない、真っ暗な未来。

 否定したくても、身体は“命さえない未来”を肯定していた。

 エーリカが無意識に首を触る。

 

 あれがただの夢じゃないことは、なんとなくわかっている。

 何故だかはわからない。

 けれどエーリカには、あれが未来の事実なのだと、そう言い切れた。

 その確信に、鈍い頭痛がこめかみを叩く。

 

(……でも、私は未来を知れた)

 胸の奥で、別の感情が小さく顔を出した。

(じゃあ、あの場所へ行く前に、避けられるんじゃないかしら?)

 処刑台へ続く階段の記憶に縛られていた気持ちへ、わずかな熱が灯る。

 エーリカはゆっくり顔を上げた。


(そうよ。私は未来を知れたんだもの。わざわざ正面から受けて立つ必要なんて無いわ――私は、死にたくない!)

 

 失敗を恐れる気持ちよりも、未来を掴もうとする意志の方が強かった。

 指先に伝わるカップの温もりが、不安よりも確かな現実を教えてくれる。

 ほんの少し、心が軽くなった気がした。


 エーリカがぐいっと紅茶を飲み干すと、すぐにサラサが次の紅茶の準備を始める。

 

 エーリカは淹れ直された紅茶の表面を見つめた。

 湯気が揺れ、映った自分の顔を曖昧にする。


 なぜ自分は王女暗殺未遂の犯人になったのか。

 指先がティーカップの縁をなぞる。

 牢では、悲嘆に浸るだけだった。

 明日を恐れて眠れず、答えを探すことすら諦めていた。


 だが、今は違う。

 温かな紅茶があり、家族の声がある。

 あの日にはなかった時間が、目の前にある。

 

――エリザベート王女。

 アレックスの妹であり、夢の中では義妹になるはずだった人。

 

――『あの、よろしく、お願いします――お義姉様』

 初めて会った時、小さく儚い声だったが、エリザベートは微笑んでいた。


 そして、次に会った時には、その緑色の瞳は凍えていた。

 虫でも見るような眼差し。

 礼節を欠いた覚えはない。

 それでも、エーリカは嫌われていた。

 

(あんなに私を嫌っていたのに、贈り物を口にするなんて――ありえないわ。受け取ることすら拒まれるはずよ)

 なぜ王女は毒を口にしたのか。

 なぜ犯人の名前に自分が上がったのか。

 

 行き場もなく、ぐるぐると紅茶をかき混ぜていたスプーンを止めた。

 

 毒を飲んでも、エリザベートは助かっていた。

 近衛師団の魔術師の聖魔法で一命を取り留めていた。

 この百年、王族の暗殺成功例はない。

 

 色々な事をかんがえながら、クッキーを皿に並べるサラサの手元を、エーリカは見つめた。

「――なにか?」

「なんにも。――うん、やっぱりサラサの入れた紅茶が一番美味しいわね」

「ふふっ、ありがとう存じます」

 白い指。慣れた所作。暖かな声音。

 あの時は、この手が失われるなんて、エーリカには信じられなかった。


 エーリカの婚約を、自分の事のように歓喜していたサラサ。

 結婚式に参列することを心待ちにしながら、サラサは死んだ。


(……貴女も死なせないわよ)

 その笑顔が、どれほど自分の心を支えてきたことか。

 自分だけが助かっても、隣に大事な人たちがいなければ意味がない。

 エーリカは、そう強く思った。

 

(誰が何の目的で私の名を使ったのかはわからないけど、まずはエリザベート様と関わらないことが優先ね)

「王家主催のパーティ、どうしましょ……」

 王家主催のダンスパーティ。

 その日、エーリカはアレックスと踊り、そのまま婚約者に選ばれた。

 

 まるで夢のようなひと時だった。

 拍手と花の香りに包まれ、世界が祝福してくれていると錯覚した。

 けれど、今思えば、あの夜がすべての始まりだったのかもしれない。

 

 この国の第二王子であるアレックス王子は聡明な男で、めったに笑うことのない、真面目だが口数の少ない堅物だった。

 それは婚約者となったエーリカ相手でも崩れることはなく、二人のお茶会はとっても静かなものだった。

 だがエーリカはそんな沈黙も不快ではなかった。

 ただ自然を眺めたり本を読んだり、互いが邪魔にならない距離でのんびりできていたのだ。

 それを幸福な時間だとも思っていた。


 カップを持つ指先へ、自然と力が入る。

 エーリカの知るアレックスは、無表情な人ではなかった。

 話しかければわずかに耳を寄せる癖も、滅多に見せない微笑みも、紅茶が冷めれば、無言でカップを入れ替えてくれることも。

 エーリカだけが知るアレックスのだと思っていた。

 

 自分にだけわかるように小さく目を細めていたアレックスを思い出して、口元が綻びそうになった。

 

 けれど、あの牢で向けられた視線が、不意に脳裏をよぎる。

 妹の命を狙った相手を見る目としては、あまりにも当然だった。


 思い出されていた、小さく微笑んだ王子と、牢の鉄格子越しに見た王子が重なる。

 あの瞳に、エーリカは映ってはいなかった。

 どれほど訴えても、信じてもらえなかった。

 

 カゼボを通り抜ける風が、エーリカの髪を揺らした。

 エリザベートを避けるなら、顔を合わせる機会そのものを減らさなければならない。

 それは、王家そのものから距離を取ることにもなる。

 導かれる答えはひとつだった。

 

(アレックス様と、婚約は、してはいけない……)


 夢で愛しただけのアレックス。

 それだけなのに、彼を避ける決断は、胸を裂くほど痛かった。

 

 けれど、処刑台へ続く未来より、この痛みの方がまだ耐えられる。

 運命に背を向ける覚悟を、エーリカは静かに固めた。


 エーリカはカップを置き、ゆっくり息を吐く。

(私が動けば、守れるものがあるんだもの。……なら、やるしかないわ)

 エーリカの気持ちは、もう決まっていた。


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