27:楔痕
「エーリカ様、巻き込んでしまい、申し訳ないわ」
「いえ、私は……」
先ほどの威圧感のある王女様から一転、愛嬌のある少女の顔をしたエリザベートにエーリカは戸惑いをひた隠す。
「もうおわかりでしょうが、あのメイドは私へ毒を盛り、混乱を引き起こそうとしてたの」
「……私は、証人、ですかね」
エーリカの言葉にエリザベートが頷く。
(前回、私を貶め、また今回も事件を起こした犯人は許せない。けれど、これから受ける罰の苛烈さを私は知っているわ……)
この後のメイドに待ち受けるモノを覚えているエーリカは思わず身を震わせた。
ずっと怯えていた冤罪の影は取り払われたのに、その心には未だ影が落ちている。
(しっかり、罪を償って改心してくれるといいのだけど……)
「伝言を伝えに来たメイドが“デイジィ様が持ってきたクッキー”だと、殊更に強調していたから違和感はありましたわ。私に、“送り主”を言わせたかったんですね」
「……そんな事までしていたのか」
衛兵に指示を出したりしていたルーカスが横から声をかけてきた。
「はい。確かですわ」
「大体、デイジィ様が私に毒を盛ったなんて、滑稽な話よ。私はデイジィ様を信頼しているもの、信じぬくに決まっているわ」
「ふふっ、ありがとう」
ルーカスとアレックスが忙しく兵へ指示を出している中、お茶会を再開しているエリザベートとデイジィが淹れ直された紅茶を嗜んでいる。
先ほどまでの緊迫が嘘のように、紅茶の香りだけが場違いに漂っている。
その不釣り合いさが、かえって現実感を奪っていた。
エーリカも席には着いているが、なにも喉を通りそうにない。
湯気の立つ紅茶の香りが鼻先をかすめても、心臓の鼓動ばかりが耳につく。
カップに指を添える手に、かすかな震えが残っているのを自覚していた。
意識していなくても、身体は正直だった。
「……人は信じたいものを信じるものですわ。それがたとえ嘘だとわかっていても、ね」
そう言ってエーリカは視線を伏せた。自分の時には信じてくれなかった王女へ、少しだけチクリと言葉に棘が生える。
エーリカの言葉に部屋が静まると、それは弁明の言葉が届かなかった、あの日の静けさのようだと思えた。
「信じたいもの?」
意味がわからない――と、首をかしげるエリザベートへ、デイジィが横から事も無げに呟く。
「……メイドと親しくて、私の事を知らない者なら、メイドの言葉を真実と思い込む者もいるでしょうね」
「そんなっ!それでも、みんながデイジィ様を悪者にしても、私は絶対にっ!信じてみせますからっ!」
「あらあら、頼もしい味方だわね」
「デイジィ様が教えてくれたことよ!」
エリザベートは身を乗り出した。満開の笑顔と声が一段と跳ねて語りだす。
「エーリカ様、知ってる?家族って血が繋がってなくてもなれるんですよ!支えあって助け合って、たくさんお喋りして、家族になっていくんですって!」
「……素敵ですね」
エリザベートが何を言いたいのかエーリカにはわからない。
ただ言葉に反応するだけで、せいいっぱいだった。
「そうなの!私、昔からお兄様方よりお姉様が欲しかったの!仲のいい姉妹が憧れで。だから、お兄様の結婚相手はどんな人だろう、仲良くしてくれるかしら?って、ずーっと楽しみだったんの」
「……それじゃあ、王子の婚約者がお茶会も誘ってくれないような人だったら……メイドの方を信じたんじゃないですか?」
バタバタと慌ただしい兵士やメイドたちと、自分たちのテーブル周りは世界が別れた様に空気が違っている。
エーリカにはこの質問が、自分自身を傷つける刃だとわかっていた。
それでも、確かめずにはいられなかった。
「んー、そうね。そんな薄情な人だったら、確かに無実を訴えられても信じきれないかもしれないわね…………あぁ、そうなったらメイドを信じちゃうわ。……そう言うことなのね?」
誰に問うわけでもなくエリザベートが呟く。
「デイジィ様――お義姉様が、信じるに値する人で良かったわ」
にっこり笑うエリザベートは裏腹に、エーリカは蒼褪めている。
ただの言葉が、答え合わせのように胸に落ちてきて息は詰まり、指先の感覚が薄れ、カップの温度すらわからなくなっていた。
アレックスの婚約者だった頃、エーリカとエリザベートの間にはなにもなかった。
お茶会で会話を楽しむ仲でも、お出かけに誘うような親しさも、姉妹の絆に繋がるモノなんて、少しも無かった。
(あの時、冤罪を信じてもらえなかった現状は、私自身が作り上げたと言うの……?)
エーリカは頭から冷水を浴びせられたように、全身の血が凍ってしまった。
今になって理解してしまった。
(あの時の私は、信頼関係を、怠っていただけなのね……)
「だからと言って、信じたいものだけを信じてもいけない」
それまで衛兵と話をしていたアレックスが、エーリカたちを見やり、言葉を発する。
その声がエーリカの思考を現在へ縫い留める。
「お前の判断ひとつで冤罪を生むかもしれない。どんな理由であれ、罪を作り上げるなんて、あってはならない事だ」
思わずぱっと顔を上げてアレックスをみても、相変わらずその表情は変わっていない。
(あの時、それを言って欲しかったわ……)
アレックスの言葉が、心臓の奥へ沁みこみ、抜けない痛みになった。
「それで、ルーカスはなにをそんなに、難しい顔してるの?」
エリザベートの声にルーカスがはっと顔をあげる。
「あ……いえ。なんでも、ないですよ」
歯切れの悪いルーカスだけでなく、お茶を嗜んでいるエリザベートやデイジィも、席についているだけのエーリカも、皆表面は取り繕ってはいるが空気はピリピリと張り詰めている。
窓から差し込む光に薄く照らされたアレックスと、紅茶の香りだけが、不自然なほど“いつも通り”だった。
「えっと……エーリカも疲れたでしょう?すみません、エーリカへの調書は早めに取るように伝えてるんですが」
「仕方ありませんわ。みんな混乱していて大変そうだもの」
空気をかき混ぜようと、ルーカスがエーリカへ歩み寄る。
「デイジィ嬢、君も今日は泊りを覚悟してくれ。……シシィは今から調書だ」
デイジィのお泊りに目を輝かせ、席から立ち上がらんばかりのエリザベートを、アレックスが淡々と制止する。
エリザベートがムっとしたのがわかった。
エーリカはそれを本能的に避けるように、椅子から腰を上げる。
「ルーカス、サラサはどこで待機しているの?そこで一緒に待つわ」
「それがいいですね、侍女殿は詰所にいますよ。マルクスがあらましを伝令しているはずですが、元気な姿は早めに見せた方が良さそうです。案内しますね」
「それでは、お先に失礼させていただきますね」
深い礼をして、その場を後にする。
背後で扉が閉まると、途端に心細く孤独な感情がエーリカを侵食し始めた。
(ルーカスが隣にいるのに――なんだか、ひとりぼっちの気分だわ……)
並んで歩く背中が、ひどく遠くに感じる。




