26:濁流
城の応接室の前まで来たところで、エーリカはふと窓の外に目をとめた。
近衛騎士たちが休憩を取っているらしく、その中にはマルクスの姿もある。
それを見た瞬間、ふとした思いつきに従い、そっとサラサへ声をかける。
「ねぇ、サラサ……このままお茶会を待っていても暇でしょう?休憩を上げるわ、マルクスさまとお喋りでもしてきなさいな」
促されて窓から外を覗き込んだサラサは、すぐにエーリカへと向き直る。
「急になに言いだすんですか?……そんな顔色したお嬢様を放っておくわけないでしょう」
サラサの心配はもっともだった。
けれど、エーリカは自分でも分かるほど無理に微笑んで肩をそっと押す。
「もう、大丈夫よ。ほら、落ち着いてるわ。……ねぇ、私もあなたの幸せな姿をみたいの。本当に嫌なら無理強いはしないけど、どうなの?」
エーリカがぽんぽんと自分の胸を叩いて“大丈夫”だとアピールする。
短い沈黙のあと、サラサは観念したように息を吐いた。
「……お嬢様が無理しないと約束してくれるなら」
「えぇ。約束するわ、無理なんてしない」
「少しでも具合が悪くなったらすぐお知らせくださいよ?」
サラサの言葉にエーリカは頷き了承する。
「わかりました――では、少しの時間休憩を頂きますね」
観念したサラサが少し微笑んで、歩き出す。
その後ろ姿を見送りながら、エーリカはひとり想いを馳せた。
(私には、もうこれからが、どうなるのかわからない……でも、サラサの無事と幸せだけは絶対に守るからね)
エーリカは浮かび上がる不安を押し殺し、応接室の扉をノックした。
◇◇◇◇
お茶会は混乱を極めて怒涛の展開となった。
お茶会の参加者はエーリカ、エリザベート、デイジィ。ここまでは想定の範囲だった。
だが、先ほどまで試合をしていたルーカスが同席し、さらにアレックスまで現れたことに、エーリカは息をのんだ。
王子付きの近衛兵とともに、ルーカスが扉の前に立つと、それは堅牢な番人のようで、空気が一気に張り詰めた。
ルーカスの纏う空気が“護衛”のそれへと切り替わったのが、エーリカにも分かった。
その変化は、まるでいくつもの扉が静かに閉ざされていくようで、胸の内がきゅっと縮こまる。
アレックスが参加するだけでも十分に心臓に悪いのに、居並ぶ王族と近衛の顔ぶれは、茶会というより裁きの場のようだった。
すべてが動き始めたのは、メイドがクッキーを給仕した瞬間だった――。
――――
『これはお前が食べるといい』
アレックスが静かに、吐き捨てるように言い放ち、デイジィが軽蔑を隠さぬ眼差しでクッキーの皿をメイドの前に差し出す。
自分に回ってくるとは思ってもいなかっただろうメイドは顔色を変え、しどろもどろに言い訳を並べた。
『わ、私が皆様のものをいただくわけには……』
『あなた、幼い頃から“正当な王族”であるアレックスお兄様の命は絶対だと教育してくれてたじゃない。たかが“第二王妃の子”のメイドが、“王妃の子”からの誘いをことわるの?侍女にもなれない、たかがメイドが?』
クッキーを一枚、指先で弄びながらエリザベートが淡々と言葉を発する。
デイジィやアレックスは眉間に皺を寄せてメイドを冷たく見据えている。
言葉が交わされるたび、エーリカの理解が半歩づつ遅れていく。
(今、何が起こっているの?)
喉がひりつき、呼吸が浅くなる。
『私にもいつも“身分相応”のご教授はしてくださっていますわね。……そう言えば、このクッキー、私がお持ちした物とは別物ですわね。今日は商会では売っていない、私の手作り品なんですよ』
デイジィが“今気づきました”とでも謂う様にクッキーを指す。
『ねぇ、あなた。このクッキーは誰が持ち込んだのかしら?』
エリザベートが事も無げに問いかけながら、指先でクッキーを弾き、メイドの顔に当てた。
クッキーが床に転がる軽い音が、妙に大きく響く。
『ほら、食べなさいよ。……あぁ、そうだ。魔術師たちは今、立て込んで不在らしいわよ』
メイドは観念したのか、震える手でクッキーを掴む。だが、その口が開くことはなかった。
その様子にエリザベートはため息を吐いて呆れた顔をし、エーリカは息をのんで事態を見守るしかなかった。
『……ぐっ』
メイドは震えながら目を伏せ、ひどく悔しそうに口を噤む。
『あなたが誰かに仕掛けようとしていたモノが、あなた自身に返ってきただけのよ』
デイジィがメイドを見下ろす。その声は平坦で、感情の起伏がなかった。
メイドの肩にぐっと力が入り、目の端が吊り上がる。
ルーカスが無言のまま一歩前に出て、立ち位置を変えた。
笑顔も優しさも完全に消え、ただ主を守る盾としての顔だけがあった。
エリザベートもデイジィもアレックスも、そしてルーカスも迷いがない。
鼓動がうるさいほど響き、手のひらがじっとりと汗ばむ。
メイドの見開かれた瞳に浮かぶ感情は、恐怖か、後悔か、あるいは――歪んだ執着か。
エーリカが話の内容を受け入れようとしても時間は止まらない。堰を切ったようにメイドの金切り声が劈く。
『私はエリザベート様に真摯にお仕えしましたっ!厳しくしたのも、本当の妹だと思ったからでっ!こんな女より、私こそがエリザベート様の姉に、王弟妃に相応しいのです!』
『幼い子供へ折檻するほど厳しい教育ねぇ……目立つな、喋るな、笑うな、逆らうな……あぁ、あと、“王妃様のお子と第二王妃の子は身分が違う”だったわね』
指を折り論うエリザベートが、どこか達観しているようにエーリカには見えた。
王女へ長年向けられた言葉の暴力に、エーリカは思わず背筋を強張らせる。
『シシィは私の大切なただ一人の妹だ。だが、仮にシシィの姉役に収まろうと、王弟妃の座はただ一人の為にしか空けられない』
空気が尖る中、アレックスの表情は微動だにせず、けれど瞳だけが鋭く光っていた。
エーリカのその胸は圧し潰されそうにざわついている。
メイドの顔が、怒りなのか悲しみなのか妬みなのか――どんな感情かわからない程にぐしゃぐしゃと歪んでいる。
『もういいわ。この裏切り者を、私たちの前からすぐに連れ出しなさい。そして、王族を護るための戒めとして、決してこのようなことが二度と起きないように処罰を与えるのです』
そう命じるエリザベートの言葉には、幼く無邪気な面影はなく、王女としての威厳と冷酷さが宿っていた。
エリザベートの命令が部屋を支配している中、エーリカだけが別の世界に取り残されたような、ひどく孤独な心地がした。
――(……私は、なぜ――ここにいるの?)




