25:破綻
開会式の喧騒が落ち着いて、ステージでは次の演目に向けて騎士たちが入場を始めていた。
風に揺れる旗の音、甲冑がこすれる低い金属音、観客のざわめき。
エーリカの思考はまだ整理しきれないままだったが、現実は心とは関係なく前へ進んでいく。
騎士団による模擬戦が始まると、観客の興奮はさらに高まった。
騎士たちが次々と名前を呼ばれ、ステージへ上がっていく度に歓声が上がる。
エーリカも気を取り直して視線を向けると、ルーカスがこちらに気付いたようでステージからエーリカに向かってブンブンと手を振っている。
「ふふっ……表情豊かな人って、見ていてあきないわね」
エーリカも微笑んで手を振り返す。
魔術師団の模擬戦が終わると、次はルーカスも出場する騎士師団の番になった。
「ルーカスのお相手は誰かしら」
「あ、出てきましたよ」
ルーカスとアレックスがステージに上がるなり、女性たちの黄色い声援が飛びかう。
「あぁ、そう言えば……」
エーリカが夢で見た“勝旗を掲げたアレックス”の姿を思い出す。
「……あの方、結構強かったけど、ルーカスは大丈夫かしら」
「現場に出ている叩き上げのルーカス様の方がお強いのでは?」
「せめて、ケガだけはしてほしくないわ……」
模擬戦はアレックスの圧勝であった。勝負の決着に観客席から歓声と拍手が溢れ出る。
未来で見た時の様に、アレックスが凛とした表情で勝旗を掲げる。
その瞬間、翠色の瞳がエーリカを抉る。
アレックスのその視線に、沸き上がる懐かしさや罪悪感、そして名も付けられない感情が混じり合った複雑な気持ちに、エーリカは蓋をして押し殺す。
それ以上、アレックスを直視できなかった。
視線から逃げるように、自分の気持ちから逃れるように、エーリカは慌ててルーカスへ意識を戻す。
ステージ上のルーカスが苦笑しながら自分に向けて小さく手を振っていることに気が付いた。
「どうやら、大丈夫そう?」
遠目からは怪我の有無はわからないが、手を振る元気があるのならと、エーリカはホッと胸を撫でおろした。
その時、背後の空気が、ひとつ揺れた。
「大丈夫じゃないと思います」
エーリカが返答の様な声に思わず振り返ると、デイジィがいた。
耳に落ちた声は、妙に落ち着き払っていた。
エーリカたちの後ろの席で観覧していたのだろう、その手には煌びやかな単眼鏡が握られている。
「――デイジィ様?」
「ルーカスは意外と負けず嫌いなんで、今頃腹の中では悔しさでいっぱいですよ。あと途中で動きが鈍ったので腕を怪我したと思われます」
ステージ上のルーカスを見ながらデイジィが淡々と分析結果を話す。
デイジィの言葉にエーリカは心配が募る。
「お嬢様……ルーカス様に会いに行かれますか?」
サラサがそう提案したが、デイジィに咎められる。
「……それは辞めた方が賢明かと。王女様の慰労会にお呼ばれしているのでしょう?控室と茶会場は反対方向なので時間がありませんよ」
「誰かに見られでもしたら大事になります」そう付け加えてデイジィはため息をつく。
その指摘は正しく、現実的だった。
王族からお呼ばれを遅刻することはもちろん、逢引の為となればそれはルーカスにも責はいくだろう。
「そう、ですね……でも、怪我しているなら心配で……」
「今日は魔術師団の精鋭がいるので、すぐに回復して貰えますよ。大怪我でも……たとえ毒を盛られても、ね」
“毒”の言葉にエーリカは全身で反応する。
喉の奥がひゅっと萎む。処刑台の冷たい風が、背筋を撫でた気がした。
――『今日のお茶会にはデイジィ様が珍しいクッキーをお持ちになるそうです』
メイドの言葉が蘇る。
「……ご忠告です。あのメイドに付いてはこちらで動くので、貴女様が動くことはありません。大人しくしていてください」
デイジィの懇願めいた声に、エーリカの胸の奥で絡まり続けていた思考がさらに混乱した。
「あ、あの、私……なにが、なん、だか……っ」
聞きたいことは山ほどあるのに、唇がうまく動かない。
なにを聞けばいいのか、どこから聞けばいいのか、息ばかりが浅くなる。
「予定が狂ってしまいますので、お願いですから、これ以上、余計なことはしないでください……お願い……」
「……わ、わかり、ました……。大人しく、します……」
エーリカが言葉を選んだのではない。
ただ心が追いつかず、搾り出せたのがその返答だけだった。
「……代わりに……詳しいお話、聞かせていただきたいわ……」
かすれた声で、やっとそれだけ言う。
「…………閉会式の間だけ、質問に答えますわ」
乗り気ではないようだがデイジィが問答に了承する。
エーリカはサラサを下げさせた。
「腐ったクッキーを、食べる人はいないのですよね?」
「誰も――私も妹様も、クッキーは口にしません。もちろん、あなた様も」
「黒い仮面を持っているのはメイドだけでしょうか?」
「そうですね。本人は隠し持っているつもりでしょうが、みんな――私の周りは彼女が仮面を持っていることを把握しています」
「……まだ、無邪気な子供が仮面を隠し持っているのでは?」
「その仮面は黒色ではありませんわ。それに、今回は私が色を変更しておきました」
「……デイジィ様……あなたは、いったい……なにを、知っているのですか?」
「総てを」
静かなのに雷のようだった。
「っ……」
観客が大きく拍手をし、各々立ち上がりだした。
ステージにいたアレックスとルーカスはもういない。
デイジィがふと視線を落とし、意味深な沈黙を挟む。
「……終わりですわ。――あぁ、エーリカ様は気にしなかったことですが、ひとつだけ」
そう言ってデイジィがエーリカの瞳を射貫き、スッとエーリカの胸元を指さした。
「そのバンデブローチを前回、着けていたのは――――私です」
「………………え?」
世界が音を失ったように感じられた。
理解が追いつかず、ただ心臓だけが苦しげに脈を打つ。
「それだけです。お先に失礼しますわね」
呆然とするエーリカを一瞥してデイジィは真っ直ぐ出口に向かった。
エーリカは力なく椅子にへたり込み、項垂れると、サラサが心配そうに駆け寄ってくる。
「お、お嬢様……大丈夫ですか?」
「サラサ……私、とんでもない過ちを犯してしまったかも…………」
エーリカは独り言のように呟いて、ぐっと胸を押さえて感情を殺そうと試みる。
自分でも何を恐れているのか分からない。ただ胸が痛かった。
「過ち?」
「あぁ……どうしよう……。こんなこと、ルーカスに相談もできない……教えたく、ない……吐きそうだわ……」
「このまま帰宅することは……?」
「それは、できないわね……行くわ……」
茶会場に向かう足取りは、死刑執行の時よりも重く苦しい。
“総てを――”その言葉だけが、何度も何度もエーリカの頭の中で反響した。
歩くたび、靴音が自分の罪悪感を打ちつけてくるようだった。




