24:継承
「あぁ、こちらにお出ででしたか」
穏やかだった空気が止んだ。
振り返れば、エリザベート付きのメイドが二人の傍に来ていた。
ただ立っているだけなのに、影がひどく長く伸びて見えた。
唇の端は吊り上がり、目は三日月形に歪んでいる。
言葉だけで礼節を被った声は、底に沈む毒が漏れ出ている。
“醜悪”という言葉が、自然と脳裏をよぎった。
エーリカの背に“嫌な予感”がぞわりと這い上がる。
「あなたは……」
エーリカの眉間の皺が深くなる。
先ほど、王女を冷徹に見放し、デイジィを射殺すように睨みつけていた人物と同一だと信じられないぐらいににこやかな顔で恭しくエーリカたちに頭を下げる。
「エリザベート様からのご招待です。閉幕次第、姫様が慰労会を開くのでエーリカ様に是非お越しいただきたいとのことです」
「……わかったわ。閉会式のあとに、そちらに参ります」
エーリカが会話を終わらせても、メイドは微動だにしなかった。
張り付いた笑みだけが、空気の温度をじわりと下げていく。
エーリカはこの女が嫌いだった。
エーリカ自身は、まだ、今は、なにもされていない。
未来でも、サラサの死の原因である虐めはしていたが、この女が直接殺したわけじゃない。
それでも、嫌いだった。
それは、先ほどのエリザベートへの態度、デイジィを見る目付きも、その気持ちを増長させた。
「まだ、なにか?」
「ヴェーデキント家と言えば王家に引けをとらない名家ですのに、こう度々王女の気まぐれで振り回すのは私共としても心苦しく思っております」
つらつらと言葉を重ねるメイドに、エーリカの笑みがゆっくりと凍り付いた。
「元々は大人しい方だったのですが、最近の王女様は準男爵家のデイジィ様に影響を受けていまして、我儘三昧で――」
「デイジィ様は私のお友達です」
きっぱり言い切ったエーリカだったが、メイドは怯むどころか、さらに口を開く。
「ですが、アレックス王子を盾にデイジィ様が――」
「黙りなさい。あの方が、そんなことなさるはずないでしょう」
エーリカの怒りの言葉を受け取ってなお、メイドは薄ら笑いを浮かべている。
なにも、響いていないことがよくわかる。
「――ねぇ、あなた、なにが言いたいの?」
エーリカの声は落ち着いているのに、沸き上がった熱は身体から滲み出ている。
「下位貴族はアレックス王子には相応しいと思えません。高位貴族のエーリカ様ならお判りいただけるでしょう?」
「お言葉ですが、下位貴族なら高位家に入れます。下級でもなんの問題ありませんわ」
メイドのエーリカへの態度に眉間に皺を寄せたサラサが口を挟む。
「…………それでも平民の出です。せめて養子になるとしても子爵家ぐらいの出生が望ましいのでは?」
サラサの言葉には、あからさまに不快な顔をつくる。
「……あなたみたいな?」
「そう言っていただけるなら光栄でございます」
エーリカの言葉にメイドの顔がにこやに醜く歪む。
丁寧すぎる礼が、むしろ敵意の形に見えた。
きっと本人はにこやかに笑っているつもりだろうが、それは周囲に不穏を齎す笑顔だった。
(あぁ、この人――アレックス様に恋をしているのね)
メイドの表情に、恋の顔をした“執着”を見つける。
――あの頃の態度も、あの時の言葉も、悪夢が腑に落ちた。
「あぁ、今日のお茶会にはデイジィ様が珍しいクッキーをお持ちになるそうです。楽しみですね。それでは、閉会後お待ちしております」
貼り付けられた笑顔とは裏腹に、メイドが影のように去っていくと、残された空気だけが冷たさを保っていた。
沈殿した不快感だけが、じわりと肌にまとわりつく。
――あのメイドは、アレックス王子に恋をしている。
だから“王子の婚約者”が憎いのだろう。
未来でエーリカとサラサが憎悪の矛先となった理由が暴かれた。
どこからか鐘の音が響いた。
まるで糸を引くように、過去と未来の出来事がひとつの線で結ばれていく。
夢で見た悲劇の影は、形を変えて今なお、傍で息づいている。
恋をしている者ほど、愚かになる。
“王子婚約者による王女毒殺未遂事件”がメイドの暗躍であったなら、きっとまた起こるだろう。
(もう猶予がないのかもしれない。そして、今回の冤罪の標的は、デイジィ様……)
デイジィの顔が脳裏に浮かび、守らなければという焦りだけが先に立った。
だが、エーリカは自分の考えをまとめてみたはいいものの、証拠がない。
(あの暗殺未遂事件が起きると言う証拠……あぁ、こんなに早く事が起きるとは思いもしなかった……)
「お嬢様、どうなさったんですか?もう始まりますよ?」
「え、あ、そうね……しっかり応援しなきゃ、ね……」
エーリカがサラサの声に思考の海から這い上がると、いつのまにか会場の椅子に腰を下ろしていた。
舞台中央ではエリザベートが華々しく開会宣言をし、拍手喝さいを浴びている所だった。
ステージの光があまりに眩しくて、現実へ強引に引き戻された。
視線の先で旗がはためき、銀の剣が陽光を受けて閃いた。
歓声が一層高まる中、エーリカの血は冷えたままだった。




