22:異物
朝の光は雲間から差し込み、整然と並ぶ軍旗を黄金色に照らしていた。
今日は闘技場にて毎年恒例の観兵式が開催される。
王都は常に華やかに騒がしいが、今日は格段に賑わいを見せる。
ルーカスは騎馬隊パレードだけでなく、近衛代表として模擬戦に出場が決定している。
エーリカはリヒトブルーのリボンを髪に結い、薔薇色のドレスにバンデブローチを胸に差して、貴族用の区画にいた。
「まだパレードは市中を回っている最中だそうですよ」
サラサがエーリカに伝える。
「少し早く着きすぎたわね。今、観覧席に行ってもつまらないし、どうしましょう」
広場に吹く風はどこか湿っている。
「あら、あなたエーリカ様よね?こんなところでいかがなさったの?」
声をかけられた瞬間、エーリカの全身が硬直した。
必死に取り繕い、口の端を引き上げる。
「エリザベート様……パレードを、近くで観ようと思いまして」
「観覧席じゃなくて道端で観るの?変わってるわね。……そうだわ!私、あなたに謝りたいことがあるの!」
無遠慮にエリザベートがエーリカの手を掴んでぎゅっと握る。
「良かったら、今からお茶でもいかが?パレードが返ってくるまで時間があるよね?」
王族の誘いを断るという選択肢は最初から存在しない。
自分の姿勢ひとつで、王女の機嫌を損ねる危険がある――そんな緊張が、震えに変わっていく。
「ご一緒させていただきます。王女様よりお誘いいただけるなんて、光栄ですわ」
ただ静かに、微笑む令嬢の仮面をつけるしかなかった。
隣にルーカスのいない心細さが、降り積もる。
臨時のお茶会は闘技場の前の広場に急遽拵えられたテーブルで開催された。
闘技場の貴賓入口にあたる場所で、通り過ぎる貴族たちの視線が惜しげもなく降り注ぐ。
だが、エリザベートは気にするそぶりもない。
“パレードが戻ったらすぐに気が付くように”と、エーリカへの気遣いの上に出来上がった茶会は、エーリカに眩暈を起こさせる。
まるで舞台の中央に引きずり出されたようで息苦しかった。
テーブルの上のティーセット、銀の縁に映る自分の顔は、どこか他人のよう。
貴族たちの好奇の視線に輪をかけてエーリカの空気を薄くしていたのは、エリザベートの表情だった。
エリザベートはずっと天使の様な笑顔で楽し気だったが、エーリカはどうしても、裏で蠢いている違和感に気を取られてしまう。
「さぁ、どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
王女付きのメイドが淹れた紅茶なら、疑いの目は向けられないはず―― 。
それでも、唇を寄せる瞬間は、不安がかすめる。
「私、あなたの婚約披露会でお約束したことが守れてないことがずっと気がかりだったの」
「ルーカスから聞き及んでおります。一介の騎士の婚約者である私にも心寄せていただいて感謝しております」
「最近ちょっと忙しくて、来客やお出かけが多いの。それが終わったらすぐに帰してあげれるようになるのだけど……」
「王族の護りの要ですもの。仕方のないことですわ」
「でも、私は早く帰すって約束したもの!約束は守らないといけないのよ!」
声の調子が一歩、鋭く跳ねた。
その圧に、エーリカの背筋がぞくりと震える。
(なにかに、怯えている……?)
そんな考えが頭をよぎるが、エリザベート付きのメイドが一歩前に出て、空気を切り裂いた。
「エリザベート様は王家の一員として貴族の模範にならなければなりません。口約束でも、交わした約束は絶対に守らなければならないお立場なのです」
メイドの言葉に怯えた様に縮こまるエリザベート。そんなことを言い放ったメイドとエーリカは目が合う。
(あっ!この人――)
エーリカの内側が、ふつふつと熱が上がる。
姿だけでは、思い出せなかったけれど、その粘つく棘のある喋り方で、エーリカの忘れていた記憶に火をつけた。
――夢の中で、エーリカとサラサを虐め抜いた女。
とくにサラサへの嫌がらせは凄惨で、今でも忘れていない。
沸き上がる怒りは止めどないが、エーリカは思考を怒りで塗り替えるような愚行は起こさない。
極めて冷静に話をする。
「……約束を守るためでも、ルーカスを無理に帰宅させては、それは近衛としての誇りに傷をつける行いですわ」
「そう、よね……」
風の音が変わる。
落ち込むエリザベートの肩へ、そっと白い手が添えられた。
「だったら、約束を変えてしまえばいいのでは?」
声の主が現れた瞬間、場の空気がふっと柔らぐ。
エーリカが持っていた怒りの炎も、押し隠さざるを得なかった。
「デイジィ様っ!」
デイジィの放つ穏やかな気配が、刺々しかった空気を一瞬で包み込んでいく。
「遅れてごめんなさいね」
「デイジィ様……」
紅茶のやけに甘く、乾いた喉にまとわりつく。
カップの中の紅茶が、光を受けてわずかに揺れる。
「王女様、できない約束ならば、最初からしないほうがマシです。できない事はできなと言ってしまって、できる事を精一杯やるしかないですよ……ね?」
「は、はい」
デイジィの不意な問いかけにエーリカは答える。
「それで、許してもらえるでしょうか……?」
「まずは、できない約束をしてしまったことをまず反省なさいね」
メイドの眼光が、眉が、口元が、不快を表している。
「そして、あとはもう許してもらえるよう、お願いするしかないですわ」
「そうね、謝って、約束を変えて貰えばいいのよね!」
「……」
無言の圧でメイドの視線はデイジィを射抜いている。
「エーリカ様!謹んでお願い申しあげます!どうか約束の変更をっ!」
茶番の様な現状にたじろぎながら、エーリカは答える。
「……もちろん、お受けいたしますわ」
「ありがとう!あぁ、ルーカスは幸せ者ね!こんなに優しい方が奥さんになるんだもの!」
全員が口角を上げているが、その笑みの色はそれぞれ違っていた。
深き紅、慈しむ蒼、澄みし翠。
紅は真を知らず、蒼は波を隠し、翠は闇に微笑んでいた。
風が吹いて、三人の淑女の髪がふわりと宙を遊ぶ。




