21:傍観
ルーカスは近衛控室の長椅子に腰を下ろし、肘を膝に乗せたまま俯いていた。
鎧の金具が冷たく、やけに重く感じる。
このところ、心に鉛のような重さを抱えていた。
先日のエーリカとの初めての外出――あの日の失敗が、今も頭を離れない。
デイジィを怒らせ、幼馴染という気安い関係にヒビを入れ、自分の婚約者は彼女からの信用を失った。
どうにか失態を取り戻したいと思っているが、繋ぎ役のルーカスが王女付に昇進したのでそんな暇がなかった。
「我らが班長様はお疲れだね」
「マルクス、そう思うなら変わってくれ……」
「え、やだ」
軽口のやりとりが、余計にルーカスの胸を締めつけた。冗談ひとつ笑えない自分が、少し嫌になる。
眉間をグッと押して目を瞑り、この現状を憂う。
(まずはデイジィと話さないと、エーリカのフォローもできないな……)
ルーカスはあれから何度もデイジィと顔を合わせている。けれど、会話どころか今は目も合わせてもらえない。
「ルーカス様。エリザベート様へ来客がございました。付き添いをお願いします」
王女付きのメイドが控えめに扉を叩いた。
「すぐに行く」
顔も上げずに返したその声は、我ながら少し乾いていた。
来客が誰かなんて聞くまでもなかった。
ルーカスは大きく息を吐き、背筋を伸ばした。
どれだけ心がざわついていても、顔に出すことだけは許されない。
王女付きの騎士としての仮面を、そっとかぶり直す。
「ルーカス、早く早くっ!」
重い足取りで廊下を歩いていると、部屋の前でピョンピョンと跳ねながらエリザベートが声をかけてきた。
「姫様、お待たせいたしました」
ルーカスが返事をする前にエリザベートは扉を開け放ち、すでに中へ滑り込んでいる。
「デイジィ様!お待たせいたしましたわ!」
来客として部屋にいたのはデイジィであった。姿を見るとよけいに胃が縮まった。
「王女様、本日もお誘いありがとうございます」
デイジィが膝を折り挨拶をするのを、ルーカスは扉の横に立ちながら眺める。
数日前、ルーカスが女王付きになった初日にもデイジィはエリザベートの客として登城していた。
その時に初めて彼女のカテーシーを見た。
それはルーカスの知らない誰かの様に、優雅で、完璧で、まるで舞台の上の人物だった。
その一礼の奥にあった距離は、かつて笑い合っていた時間を簡単に切り離してしまうほど冷たかった。
「もうっ!シシィとお呼びくださいな!家族は愛称も大事なのでしょう?!」
「……人目がありますから。……シシィ、今日もありがとうね」
こっそり耳打ちをしたのがルーカスにも微かに聞こえた。
エリザベートは隣国との交易品に関しての会議や、ドレスの新調為だと、理由をつけてはデイジィを城に呼び出している。
時には王女自ら街へ出て商会へ向かうこともある。
(一国の王女がただ一人に依存すると、なんとも歯止めが利かないな――)
「あぁ、そうだ、今日はお兄様もいらっしゃるそうよ」
「そうですか」
「きっと婚約披露会についてよ、楽しみね」
「はい」
この頃、デイジィとアレックス王子の婚約の噂は本格的なものとなっていた。
観兵式が終わってから発表するのだろう。
ルーカスは心に針穴が開いたような気がしてならなかった。
「失礼する」
低く抑えた声が部屋に響く。アレックスが入ってきた瞬間、空気がわずかに変わった。
立ち位置も呼吸も、誰もが半歩引いて王族を迎える。
ただそこにいるだけで場を支配する存在なのだと、改めて思い知らされる。
アレックスは扉横に立つルーカスとしっかり目が合っているが、何も言わずに中へ進む。
「遅くなった」
「お兄様!デイジィ様を待たせるなんて、なにをしてらしたの?!」
「……仕事だ」
椅子は座らず、アレックスは立ったまま話す。
「待たせて、すまない」
「いいえ、エリザベート様と楽しくお話ししておりましたから」
ふたりの会話は、どこかよそよしいとルーカスは感じた。思わず婚約者同士には見えないと、面食らっている。
「そう!仲良くお喋りしていたのよ!姉妹の会話って楽しいですわね!」
「打ち合わせがある。彼女を借りても?」
「えぇ、もちろん。本当は私も参加したいけど、我儘は言わないわ。その代わり終わったらお茶会の続きをしましょう。お兄様も一緒に!みんなで!」
そう言うエリザベートは夢見み心地のようにひとり浮いている。
「あぁ、わかった。……では、こちらへ」
「はい」
そう言って二人連れ立って部屋を出ていく。
二人の視線は、最初からルーカスの存在を見ていない。
ルーカスがわずかに足を踏み替えると、鎧の金具が、小さく鳴った。
アレックスの後ろを歩くデイジィの髪が肩で揺れてキラキラ光流れるのを、ただ見つめるしかなかった。
「ねぇ、ルーカス?」
ルーカスが言い知れぬ心の重さに気を取られていると、エリザベートの自分を呼ぶ声で我に返る。
「は、はい」
扉の前から慌てて返事を返す。
「みんなが戻ってくるまで暇だわ。お話の相手になってよ」
ルーカスをソファーに座るように促しながら、コロコロと弾む様にエリザベートは笑う。
「メイドはどうしました?俺なんかの話じゃ、もっと退屈になっちゃいますよ」
「……あの人はお兄様たちの方でお茶を出してるわ。打ち合わせなんてさっさとすまして、結婚しちゃえばいいのに」
「王家の婚姻は色々とありますからね」
「あぁ、そう言えばあなたも結婚前だったわね。……早く帰してあげる約束、守れなくて申し訳ないわ」
ふと、エリザベートが思い出したことを口にする。
ルーカスは自分たちの婚約会の時に、エーリカへエリザベートがしていた約束だと察した。
「エーリカ様、だっけ?怒ってないかしら……?」
「騎士の仕事を理解してくれているので、大丈夫ですよ」
「そう?だったらいいのだけど……約束したのになぁ」
一介の騎士の婚約者にまで気を回し、分け隔てなく愛嬌を振りまく王女は、はたから見れば天使のようだとルーカスは思った。
自分たちの運命を握っている人物だと、疑うことも忘れそうになる。
「……ねぇ、見て!デイジィ様に似合いそうでしょう」
エリザベートがどこからか取り出したそれは、コインよりも少し大きい、翠色の透明度の高い石だった。
「綺麗な翠色ですね」
「そうなの!お兄様の瞳の色に一番近い色を選んだのよ。婚約祝いにはピッタリでしょう?」
エリザベートはにこにこと楽しげに、石を両手で握り込んで魔力を込める。
「あぁ、魔石にするんですね」
「そうよ。デイジィ様は魔法が苦手らしいから、この魔石で私がお助けするの。喜んでくれるといいんだけど」
王族の魔力濃い魔力が込められた魔石ならば、時に“奇跡”と呼べるほどの力さえ引き出せる。
婚約祝いにしては、少々重すぎる贈り物だった。
「まだ内緒よ?ビックリさせるんだから。あぁ、早くお義姉様とお呼びしたいわ」
悪戯っ子のようにエリザベートが笑う。
その内、廊下の奥から複数の足音がルーカスの耳に届いた。
反射的に視線を扉へ向ける。
「姫様、そろそろみんな戻ってきますよ」
ルーカスがそう言うとエリザベートは慌てて宝石を懐にしまう。
間もなく部屋に戻ってきた二人の表情はいつも通りだった。
だが、その視線は一度もお互いを捉えない。
隣に並んで立っているのに、まるで別々の時間軸にいるようだと、ルーカスは訝しむ。
「お話は終わったかしら?」
エリザベートが軽い声で尋ねる。
「はい、打ち合わせは無事に終わりました」
デイジィは朗らかに答えたが、その声がわずかに平たかった。
「じゃあ、お茶会の続きをしましょう。みんなで一緒に過ごす時間が、私にとって一番大切なんだから!」
エリザベートは屈託のない笑顔を振りまく。
笑う三人を眺めながら、その表情の裏に何が隠されているのか――ルーカスは考えずにはいられなかった。




