16:余震
案内された部屋に入る寸前、マルクスがティーポットとカップを持ってやってきた。
だが、すぐにサラサの検問に引っかかる。
「なぜ、カップが4つもあるのでしょう?」
「んー?なんでだろうね?」
のらりくらりと交わすマルクスからサラサは笑顔でトレイを取り上げる。
「ルーカス様、びっくりするほど渋い紅茶が飲みたい時だけお嬢様にお茶を入れて貰ってください」
そう言いながらサラサがルーカスにトレイを渡す。
「私はこの方に少しお話がありますので」
笑顔の奥でサラサの目が鋭くなっている。
「美人さんからのお誘いは大歓迎だよ!」
マルクスがヘラヘラと応える度に、サラサの笑顔は黒くなっていく。
この後のサラサによる「階級の上の者に対する口の利き方について」少々“丁寧な講義”は苛烈となるだろう。
「えっと、じゃあ、エーリカ様、どうぞ」
「あ、は、はい――」
部屋に入って扉を閉める時、マルクスの小さな「助けてルーカス~」という情けない声が聞こえ、ルーカスは思わず額に手を当てる。
「……まぁ、あれも良い社会勉強でしょう。アイツは軽すぎる……」
廊下の声が聞こえてこないように、しっかり扉を締めながら、苦笑したルーカスが呟く。エーリカも思わずくすりと笑った。
部屋の中はしんと静まり返っていて、外の喧騒が遠い世界の出来事のように感じられた。
エーリカは少しだけ背筋を伸ばし、心の中で深呼吸をする。
「どうぞ、会議室なんでなんにもないんですが……俺、前回もこれ言った気がします……」
先のヴィツォレク邸の書斎でのやり取りを思い出したルーカスが少し恥ずかし気に、小さな部屋へとエーリカを案内した。
そこは、本当に質素な部屋で、何脚かの木製の椅子と、中央に置かれたテーブルがあるだけだ。壁には装飾もなく、窓から差し込む光が暖かく広がっていた。
エーリカはその質素さに気取られることなく、ルーカスが隣にいることが嬉しくて仕方がなかった。
「ふふ、確かに聞きましたわ。でも、お話しするだけならここで十分ですわ」
ルーカスが手際よくお茶を準備する。
ティーカップから立ち上る香りが、穏やかに空気を満たしていく。
(男の人なのに手際がいい……私が淹れる。と、言えないのが悔しいけれど。――まるで、日常の中の小さな幸せね)
先ほどサラサがさらりと暴露していたが、エーリカにお茶を入れる才能はなかった。
「あの、今日は急に申し訳ありません……突然お邪魔してしまって」
「いえいえ、今日は訓練も朝だけだったし大丈夫ですよ。あっ!でも、いつもここにいるわけじゃないので、次は先にお知らせください」
その何気ないルーカスの言葉に、エーリカは心臓が一叩きされる。
(次は……ってことは、また来てもいいということかしら)
「そういたします」
「それで、今日は何かありました?」
ルーカスが真面目な顔で問いかける。
その視線に、エーリカは少々気おくれしたが、ゆっくりと口を開いた。
「えっと……ただ、あなたとお話ししたかっただけなんです。――ごめんなさい」
「……寂しい思いをさせましたか……?」
ルーカスの声は、思いがけず優しく響いた。
この優しさに触れるたび、エーリカの中ので蠢く迷いが、静かに消えていく。
沈黙の合間に、外から訓練場の掛け声が微かに聞こえる。
窓から射し込む光が、ふたりの間に柔らかい陰影を落としていた。
「……少しだけ」
契約的な婚約だとわかってはいるけれど、エーリカはこの優しい騎士にもう少しだけ甘えたくなった。
「大事なお仕事ですから、お邪魔になるようなことはしたくなかったんですが……」
「…………」
ルーカスは再び黙り込み、何かを考えるように視線を落とした。
「……あの……?」
反応がないので不安げに声をかけたエーリカに、ルーカスはふっと顔を上げた。
「あぁ、すみません。そんな事、言われたことなかったんで――」
少し照れくさそう、でもいつもより一層柔らかく、ルーカスが口角を上げる。
訓練中の凛々しい顔ではなく、ひとりの青年としての表情を見た気がして、エーリカの心がふわりと浮き上がった。
幸せな瞬間ほど、なぜか心の奥に小さな痛みが刺さる。
エーリカはゆっくりと瞼を落とし、あたたかな紅茶の香りが残る空気の中で、言葉を選ぶように唇を開く。
――この穏やかな時間を、壊したくない。
けれど、理由のつかない焦りは、それを許してはくれなった。
「……私は、もしかしたら……お友達の未来を奪ったかもしれないのです……」
「詳しく聞いても?」
「はい……聞いてください」
エーリカは話し出した。
「今日は、お友達とお茶をしている時に、色々なお話を聞いたんです。エリザベート様が隣国と外交するに伴って、王都を離れると――でも、夢では、そんなこと起こってもいなくって……」
「未来が変わっている証拠ですね」
「でも、夢ではジェニー様は幸せな生活をしていたのに、その未来がなくなったと思うと…………今回、何事もなければいいのですが……」
呟かれる声はだんだんと小さくなり、最後の言葉はほとんど囁きのようだった。
ルーカスは腕を組み、じっとエーリカの顔を見つめる。
「……エーリカ様、あなたがみんなを幸せな未来へ導きたいことはわかります。でも、それはご友人を蔑ろにしていますよ」
「蔑になんて、そんなこと……!」
「確かにエーリカ様の行動で王女様が動いたかもしれないけれど……未来を決めたのは、そのご友人、ご本人ですよ」
「本人決めた未来……」
「そうです。未来を知っているからと言って、あなたが全てを背負う必要はないんです。それに、俺もいるじゃないですか。背負いますよ。ね?」
そう言ってルーカスの目が一層優しさを湛える。
その青い瞳に射貫かれたエーリカは、 迷いも恐れもなくすことはできないけれど、それでも、少しだけ救われた。




