15:慕情
ふたりに別れを告げ、エーリカは帰りの馬車に揺られながら、窓の外をぼんやりと眺めていた。
街の風景は流れるように過ぎ去っていくが、頭の中では先ほどの話が繰り返し響いていた。
(アレックス王子とデイジィ様が……)
夢の記憶が、閉じ込めていた箱をこじ開けようとする。
箱に閉じ込めた“消さなければいけない感情”が出てくる前に、エーリカは脳裏に浮かぶ微笑むアレックスの顔を、頭を振って無理やり追い出す。
(私の選択が、招いた結果よね……受け入れなきゃ……)
自分の選択が、知らぬ間に誰かの運命を動かしているのかもしれない。
そんな想いにたどり着いたエーリカが少しだけ身震いする。
夢の未来と現実の今が、に食い違うことに不安を募らせる。
だからだろうか、ふいに、ルーカスの顔が見たくなった。
(ルーカス様は……今、何をしているのかしら……)
会いたいという気持ちに、理屈はなかった。
「ねぇ、サラサ。少し、我儘を言っていいかしら?」
「どうしました?」
「――私ね、今、ルーカスに会いたいの」
「あぁ、そんなこと……。気分が戻られたのなら今から向かいますか?」
「そんなことって……」
あまりにも事も無げにサラサが返答するものだから、エーリカの肩の力も少しだけ抜けた。
「いつでも伺えるようにメイドたちは準備していたのに、ちっともそんな気配がないので心配していたのですよ」
「心配?」
「愛する人とは毎日会いたいものです。お仕事の邪魔になるとわかっていてもね。……お嬢様はよく我慢した方ですよ」
にっこり笑うサラサの目は暖かい。
「――すみません、帰る前に寄り道をさせて!――お城、兵舎の方へ向かってくださいな!」
サラサが馬車の小窓から身を乗り出し、御者へ行先変更を伝えると「かしこまりました」と、御者の声が返ってくる。
(急に伺ったらご迷惑かしら……でも……)
それでも無性に会いたい。今。――と、エーリカは思ってしまった。
やがて、ルーカスが滞在している騎士団の宿舎が見えてきた。塀に囲まれた訓練場とそのもっと奥に王城も見えている。
(こんなに会いたかったのに、いざとなると……どうしてこんなに不安になるのかしら)
思い切りの良さには自負のあったエーリカだったが、こんなにもうじうじしてしまう自分に驚いてしまう。
深呼吸をして気持ちを落ち着けようとするが、うまくいかない。
「到着しました」
「えぇ、ありがとう」
立派で堅牢そうな扉の前で馬車が止まり、御者が声をかけてきたのでエーリカは馬車を降り、「もうどうにでもなれ」と、勇ましく前へ出た。
靴の音が石畳に響き、エーリカは心拍がさらに速くなるのを感じた。まるで、心が行き先を知っているかのように。
「屋敷までの帰りもお願いするのでこのまま待っていてくださいね」
「はい。ではお帰りの際は案内役にお申し付けください」
サラサがテキパキと指示を出して、御者に馬車を待機場へ回させる。
エーリカが少し戸惑いながらも扉に近づくと、扉の横に立つ守衛が軽く一礼する。
「ヴェーデキント公爵家のエーリカと申します。ルーカス・ヴィツォレクにお取次ぎをお願いできますか?」
「……は、はい。少々お待ちください」
エーリカの礼に見惚れていた守衛がハッとしてすぐに建物に入っていった。
少しすると宿舎の中から、慌ただしくバタバタと走っている音が聞こえてきた。
扉が勢いよく開き、見慣れたシルバー髪が視界に入った瞬間、抱え込んでいたものが音もなく崩れた。
ただ姿を見ただけで、張りつめていた感情が溶けていった。
それだけで、十分だった。
今日のルーカスはとてもラフな服装をしており、まだ正装や礼装しか見ていなかったエーリカには新鮮に思えた。
髪は少し乱れているものの、その姿がかえって魅力的で、エーリカは妙に心が弾んでしまう。
当のルーカスは少し驚いたような表情を浮かべながらも、すぐにいつもの笑顔に変わる。
「エーリカ様、急にどうしたんですか?」
「急に申し訳ありません……少しだけお話しできればと思いまして……」
問いかける声はいつも通り穏やかだった。
対して、返した声には、隠しきれない熱が帯びていた。
「エーリカ様ならいつでも歓迎ですよ。……俺こそこんな格好での出迎えですみません、完全に油断してました」
ルーカスが照れたように、乱れた前髪を軽く整えた。
普段の姿を見られたことを、少し気恥ずかしく思っているようにも見えた。
「ふふっ、どんな格好でも素敵ですわ」
「まいったな」
エーリカの言葉に、ルーカスは思わず頭をかく。
その瞬間、ルーカスの背後から突然声が飛び込んできた。
「え、俺ってば透明人間にでもなっちゃった?」
ルーカスの背後から、見知らぬ若い男がひょっこりと顔を覗かせていた。
エーリカは驚きつつも、その若者の軽妙な態度に少し面食らった。
「わっ、お前なんでいるんだ?!」
「ずっと後ろにいたのに全然気づいて貰えなかった…………初めまして、ルーカスと同期のマルクスです」
ルーカスの驚きもどこ吹く風で、マルクスはひらひらと手を振った。
「は、初めまして、エーリカ・ヴェーデキントと申します」
背後から、ひやりとした気配がした。
きっとサラサが笑っているのだろう。氷の刃のような笑顔で。
エーリカの丁寧な態度に満足げに頷いたかと思えば、マルクスは突然、その手を取った。
「可愛いっ!ルーカスが婚約者ができたってニヤニヤ自慢するから一度挨拶してみたかったんですよ」
「おいっ!なんで手を握るっ?!あと、ニヤニヤなんてしてないだろ!」
ルーカスが慌ててマルクスを引っぺがし、エーリカを身体で庇う。
エーリカの背後で、サラサの圧が増した。
それよりも、ルーカスのその反応と赤くなった耳を見て、いたずらっぽい笑みを浮かべた。
「自慢、しないんですの?」
「エ、エーリカ様……?」
「ハハハッ!婚約者としては、ニヤニヤ惚気て欲しいよね!わっかる~」
マルクスは陽気に笑いながら、ルーカスの肩を叩いた。
「……マルクス、いったい何の用だ」
「そりゃあ、同期の可愛い恋人を拝見しに…………面会室の空きが3番部屋だけなのを伝えようとしただけです、はい。」
サラサとルーカスの鋭い視線に怖気づき、スンッと真顔に戻ってそう告げた。
「じゃあもう用は済んだな。――行きましょう、エーリカ様」
「またねー、お嬢様と、美人さん!あとでお茶でも持っていくね~」
ルーカスがエーリカを、先へ進むように促した。
美人さんと呼ばれたサラサは一瞥もせずに背を向けている。
だが、わずかに口角が上がったのもエーリカは見逃さなかった。
唇は上向いても目が笑っていないサラサを横目に、エーリカは振り返り、軽く会釈を返した。
そんな三人をマルクスは満足げに、手を振りながら見送った。




