14:鎮静
今日のエーリカは、学生時代の友人たちとカフェにお茶をしに来ている。
背が高く、ショートカットが恰好良いクルカイ公爵家のジェニー嬢は、カップを片手に軽く背もたれに寄りかかり、余裕のある笑みを浮かべている。
一方で、ふわっとしたドレスを着こなし、その柔らかい雰囲気が周囲を包むブラウン伯爵家のニーナ嬢は、可愛らしいお菓子を微笑みながら嗜んでいる。
最近市場に出始めた「コーヒー」という黒いお茶は、香ばしく苦みのある香りが鼻をくすぐる。
新しい味に戸惑う様子もなく、ジェニーはそれを一息に飲み干し、にやりと口角を上げる。
「まさかエーリカ嬢が騎士に嫁ぐなんてね」
「エーリカ様ならぴったりですわ」
「そうかしら?」
エーリカは意味が分からず小首をかしげる。
「騎士様にも負けないぐらいお強いからな」
「なんですの、その理由は……」
ジェニーが茶目っ気たっぷりに言い放ち、エーリカは気が抜けるように呆れて返答した。
ニーナはコロコロと楽しそうに笑いながら、優しく目を細めている。
「学生時代は剣術の授業で上位だったじゃありませんか、エーリカ様」
エーリカは軽く肩をすくめ、諦めたように息をつきながら返答する。
「兄が筋肉バカの剣オタクだったおかげね」
みんなでエーリカの兄、バートを思い浮かべて笑い合う。
「騎士の方はお家を空けることが多いと聞くよ。実際、うちの姉も結婚してからもずっと実家に入り浸りだしね」
ジェニーが少し困ったように話すと、ニーナが笑い声をあげた。
「それ、学生時代から言ってましたわよね。あの時はまだ婚約中でしたっけ?」
ジェニーがそれに頷き、軽く目を伏せながら続けた。
「そう、結婚してからも変わらずさ」
「そうね。ルーカス様も今、訓練期間で最近会えていないの。……手紙の返事も、しばらく届いていないわ」
「姉も同じ愚痴をよく言っていたよ」
ジェニーが苦笑まじりに頷く。
「同じ近衛でも、魔術師団の方々とは違うんですね。そんなんじゃ、寂しいですよね」
ニーナがカップを傾けながら思案した言葉を発し、それを聞いて、エーリカがふと思い出す。
「あぁ、そう言えばニーナ様の婚約者って……」
ニーナは控えめに微笑みながらカップを置き、軽く頷いた。
「はい、近衛魔術師団に属しておりますの。魔術師団の方々はお家にいることが多いので、奥様方はこうした外出で息抜きが必須だそうですわ」
「それなら、これからもしばしばお誘いいたしますわね」
エーリカが言うと、ニーナは感謝の意を込めて微笑んだ。
そのやり取りを聞いて、ジェニーが軽く眉をひそめ、少し不満そうに唇を尖らせた。
「あー、二人ともいいなー。私の婚約者は長男だからなー」
エーリカが少し首を傾げながら尋ねた。
「でも、王都にいらっしゃるのでしょう?ジェニー様もお誘いしますわよ」
しかし、ニーナは大きくため息をついて、肩を落とした。
「それがさ……領地に大規模な交易港を作るって話が持ち上がってね。結婚したら、一緒に戻ることになりそうなんだ」
その一言に、エーリカとニーナは驚いて目を見開いた。
王都暮らしの長い令嬢たちにとって、領地に帰るというのは流行とのお別れを意味していた。
最新のドレスや、華やかなパーティ、美味しいお茶を持ち寄ってお喋りする友人たち。そうした楽しみと離れてしまうのだ。
「しかも、隣国との貿易らしくてね。今、必死に言葉の勉強中さ……」
ジェニーは疲れたように頭を抱える。ニーナがすかさず彼女の肩を軽く叩き、慰めるように優しく笑みを浮かべた。
「まぁ、お勉強嫌いのジェニー様には地獄ね。頑張ってくださいまし」
「人の地獄を楽しまないでくれ」
その様子を見ながら、エーリカはふと表情を曇らせた。
(王女様がそんな行動をされるなんて、私、知らないわ……)
夢の記憶を掘り起こしても、そんな話は思い出せない。
エーリカが裁判にかけられた辺りから、友人の記憶はあまりなかった。
それでも、幸せそうに過ごしていて、ジェニーは領地に帰ってなどいないはずだ。
「でもどうして急に隣国なのでしょう?隣国と王国って、交流があまりありませんよね」
ニーナの問いに、ジェニーは肩をすくめ、あっけらかんと答えた。
「んー?なんだったか、隣国にエリザベート王女が働きかけたらしくて、リーベルス商会のリヒトブルーとの交易が始まるのだそうだ」
「王女様?!」「リヒトブルー?!」
エーリカとニーナが同時に叫ぶと、ジェニーは驚いて肩をすくめた。
三人の間に一瞬の静寂が訪れるが、こんな時は友人同士と言えども貴族の礼儀と階級がその沈黙を破る。
侯爵家のエーリカが先に話し出す。
「王女様が外交なさっているの?隣国と?」
「あぁ、あの方の母上……第二王妃は元々隣国の姫君だからな。第二王妃が亡くなってから交流は途絶えていたらしいが、王女様が間に入って復活したらしい」
「そうなのね……」
未来は確実に変わっている――。
「それで、リヒトブルーが隣国で売られるのですか?!」
考え込むエーリカをよそにニーナがぐいっと前のめりになる。
「ふふふ、そうさ。我が未来の領地でリヒトブルーが売りに出されるのだよ」
自慢気にジェニーが胸を張って答える。
「……待って。リヒトブルーですって?!」
エーリカはたった今気づいたようで目を見張る。
「やはりリーベルス商会のリヒトブルーは人気だな」
「ヴィツォレク領の特産じゃないんですの?」
満足そうに頷くジェニーと対して、エーリカは眉をひそめる。
「確か、リーベルス商会の秘匿生産品なだけなはずだよ。希少だから外に出せなかっただけのようだ」
「これで少しは私達も手に入るかしら」
ニーナは希望に満ちた笑顔をするが、その答えにジェニーは首を横に振った。
「ニーナ嬢、残念なお知らせだが……隣国に輸出される分、我々は、もっと手出しできなくなるだろう」
「そんなぁ。今ですらずっと予約待ちですのに。あの青の替えはありませんわ……」
ニーナの肩ががっくりと落ちる。
しおしおと眉を下げるニーナの横顔を見つめながら、エーリカは小さな違和感を掬いとる。
(一体、何が起きているの……?)
――ヴィツォレク領のリーベルス商会。隣国との貿易。エリザベート王女の外交。
未来との齟齬による混乱と、計り知れない現状とでエーリカの頭はパンク寸前であった。
「リーベルス商会といえば――そこのご令嬢とアレックス王子が恋仲だという噂を耳にしましたわ」
ニーナの声は何気なかったが、その一言は、ガラス越しに差す光のように鋭くエーリカのを刺した。
「……え?」
「私も聞いたな、確か名はデイジィ嬢と言ったかな。王子との逢引きを見られたらしい。リヒトブルーをふんだんに使ったドレスを着られる人間は限られているからね、その方で間違いはないだろう」
「エーリカ様?なんだか顔の色が優れないようですが……?」
「え、あ……そうね……少し、気分が悪くって……」
「それはいけない、サラサを呼んで来よう!」
「ありがとう、ふたりとも……」
エーリカは微笑もうとしたが、唇の端はわずかに震えていた。
穏やかで楽しかった麗らかな午後が、静かに遠のいていった。




