12:露見
「……あの時、声をかけてくれたのがあなたで、良かった」
思わず零れた言葉に、ルーカスは少しだけ驚いたような表情を見せる。
「俺も、あなたが話してくれて良かったと思っています。……もし誰にも言えずにいたら、きっとその方がつらかったでしょう」
沈黙がまた戻る。
けれど、そこには恐れではなく、信頼の香りがあった。
「まだ、泣きそうな顔をしていますよ?」
「……泣いてなんて、いませんわ」
先ほどの涙の痕を無視しても、声が掠れてしまい、エーリカは思わず唇を噛んだ。
ルーカスの笑みがわずかに柔らかくなる。
「えぇ、そうですね。あなたは強い方ですから」
ルーカスが軽く息をつき、真剣さを交えた表情で尋ねる。
「……とりあえず、もう少し詳しくお聞きしても?」
「……はい」
エーリカは小さく頷く。白いハンカチを指先でぎゅっと握りしめ、前を見る。
「あの時の私たちに、“接点”はありませんでしたわ――」
エーリカは絞り出す様に語り始めた。
暗殺未遂と冤罪、そして“断罪”と呼ばれたあの日の記憶を。
淡々と語ろうとしても、唇が震え、喉が痛む。
最後、ルーカスの最期の噂を伝える時には、唇から血がにじむほど噛み締めていた。
「毒で暗殺未遂なんて……王女付の近衛なら、責任を取るしかないですね」
ルーカスの声は低く落ち着いていた。
その静けさが、逆にエーリカの感情を刺激する。
「だからと言って!処刑はあまりにもやりすぎです!」
椅子の肘掛けを握る手に力が入り、怒りよりも恐怖に近い感情でわなわなと震えた。
「っ……!あのようなっ!恐怖を与えられるほどの責任があなたにあるとは思えませんわっ!」
エーリカの声は上ずり、思わず首元へ手が伸びる。
肌に触れた瞬間、あの日の冷たい感触がまざまざと蘇る。
刃が落ちる――夢の中で何度も見た、あの絶望の光景。
「落ち着いてください。――騎士とは、そういう生き物なんですよ」
「……そう、なんですか?」
エーリカは握りしめたこぶしから力を抜く。
「……すみません、冗談です。――でも、本当に、俺は大丈夫ですよ。だって、死んでないので」
少しだけ眉を下げたルーカスが白状する。
それでも、その声にはなぜか説得力があった。
「――――。……そうよね、事件が起こらなければ、それでいいのよね」
ルーカスの冗談に、改めてエーリカの全身の力が抜かれる。
そのために、今、ここにいる――そう思い出してエーリカは落ち着きを取り戻した。
「そう言えば、エーリカ様の知っている未来――そこから、今は変わっているんですか?」
冗談から一転、ルーカスの真剣な眼差しに、エーリカはしばし黙考したのち、静かに頷いた。
「難しい質問ですね。でも、もしかしたら……私が知っている未来への道から、少し逸れたと感じています」
「道、ですか?」
言葉の意味を考えるように、ルーカスが眉を寄せる。
「未来のルーカス様が近衛に任命された経緯など、私は存じ上げないのですが……」
エーリカは、言葉を慎重に選びながら続ける。
「前回の私たちはお互いを知りません。なのでこの婚約披露会自体、ありませんでした。でも、あなたは今日、王女付に任命されました。……そうなると、事件が起これば――」
エーリカはそこで言葉を切り、唇を噛んだ。言葉にはしたくない未来の光景が、脳裏にちらつく。
未来が変わっている――それは希望でもあり、同時に新たな危険の兆しでもあった。
「俺が騎士として責任を取ることは覚悟の上ですが……エーリカ様が冤罪に巻き込まれる道は、もう変わっていてほしいですね」
ルーカスが軽く頭をかく。その柔らかな仕草に、エーリカの緊張が少しだけ緩んだ。
「変わった事と言えば、エリザベート様ですね」
何気なく思いついたことをエーリカは口にする。
「変わった?」
「あの方は、もっと口数が少なくて大人しくて、……社交界に顔も出さず、王宮からも出ていなかったと記憶しています。だから“深窓のお人形”と呼ばれていました」
今日のエリザベートは別人を疑うほどに性格も表情も違ったが、天真爛漫に笑う顔と脳裏に思い出す顔は、エーリカの知る王女である事は間違いない。
「あと……理由はわからないのですが、未来ではあの方に……私は、嫌われていたんです」
「嫌われていた?だから冤罪を疑われたのですか?」
ルーカスが思わず眉をひそめる。
「いえ、疑われたのは、私の名前で毒入りのお菓子が贈られたからです。……正直、あの方が嫌いな人間からの贈り物を口にするとは、思えないのですが」
エーリカは思い出すだけで、指先が冷たくなる。
「……未来の王女様は、無事なんですよね」
「はい。近衛魔術師の浄化によって、助かったと聞いています」
「そうですよね……魔術師団が優秀なのは、皆が知っていることで……」
そこまで言って、ルーカスの言葉が途切れる。何かに気づいたように表情が変わり、沈黙が落ちた。
エーリカは不安げに覗き込み、声を潜めて尋ねる。
「どうかなさいましたか?」
「…………自作自演」
ぽつりと落とされた言葉が、書斎の静寂に沈む。エーリカは思わず息を呑んだ。
「えっ……」
「いえ、ただの、仮説ですよ?……でも、毒なんて浄化でほぼ無効化されることは、平民ですら知っている常識です。けれど、王族が毒を飲めば――それだけで大事件になる」
ルーカスは、静かに、ゆっくりと言葉を継いだ。
「命の保証があるうえで、自ら毒を口にすれば“暗殺未遂”という形で、誰かを陥れることもできるなって……」
「そんな……王女自ら……毒を?」
だがルーカスは、首を横に振る。
「もちろん確証はありません。ただ、王女を殺すのが目的ではなく――“あなたを罪に落とす”のが目的なら、そういう手もあるというだけです」
その声音は慎重でありながら、どこか冷静な響きを持っていた。
「もし……貴女に他の心当たりがあれば、それも候補に入るのですが」
「心当たりなんて……私は……」
エーリカは視線を伏せる。指先が無意識に膝の上で絡む。
(どうして。誰が。なぜ、私が……)
何度も考えたこの問いに、未だ答えは出ない。未来でも、今でも。
「仮に、あの方の自作自演だったとして……なぜ、自ら毒を飲むというリスクを負ってまで、エーリカ様を陥れたんでしょう?」
ルーカスの問いが静かに落ちる。これもエーリカ自身、何度もぶつかった疑問だった。
「それが全くわからないのです……初めてお会いした時は、何も変わったところはありませんでした。次にお目にかかった時には……もう、目も合わせていただけませんでしたが」
エーリカは小さな砂粒を集めるように、記憶を手繰る。
「それは、いつ頃の話なんですか?」
ルーカスの質問にエーリカは小さく息をのむ。
「……初めてお会いしたのは……今の時期と、変わりないです」
言葉を繋ごうとすればするほど、声が掠れていく。
そして、次の言葉を告げる前に、エーリカは一瞬だけ目を閉じた。
「……私が、アレックス様の婚約者として――紹介された時でした」
言葉の最後が、空気の中に溶けて消えた。




