第2話:俺の魔法は『ワケアリ』
街道から少し外れた雑木林で、俺たちは野営をすることにした。
宿に泊まる金はない。装備もない。あるのは、カノンが自分の財布で買ってくれた黒パンと、拾い集めた枯れ枝だけだ。
「……悪いな。巻き込んじまって」
「巻き込まれたんじゃありません。自分でついてきたんです」
カノンはそう言って、ぶるりと肩を震わせた。秋の終わりの夜風は、もう冬の匂いがする。
俺は枯れ枝の山に手をかざした。
「――ファイアボール」
いつものように、頭の中でその言葉の上に小さな空欄が浮かぶ。俺はそこに、五文字を書き込んだ。
ファイアボール
こぶし大の火の玉が、枯れ枝の上でふわりと止まる。燃え広がりもせず、煙も出さず、ただ周りの空気だけが、春のように緩んでいく。
カノンが、手のひらを火にかざした。
「……さっきと同じ。この温かさです」
「気づいてたのか」
「だって、おかしいじゃないですか。他のパーティーは、冬の野営で凍傷者を出すんですよ? 私たちは三年間、一度も風邪すらひかなかった」
それだけじゃない、と彼女は指を折った。
「夜の見張り中に、一度も奇襲を受けなかった。虫にも刺されなかった。……エイトさん、あなた、いったい何をしていたんですか?」
俺は少し迷ってから、地面に小枝で字を書いた。
「俺のいた国には、ふりがなってものがあるんだ。難しい言葉の横に、小さな文字で読み方を添える」
「読み方……を、添える? 文字は、書いてあるとおりに読むものでしょう?」
やっぱり、そうなる。
この世界の文字は、書いたとおりにしか読まない。一つの言葉に、別の読みを重ねるという発想そのものがないのだ。
「俺が『ファイアボール』と唱えると、頭の中でその言葉にふりがなの欄が空く。そこに書いた命令を、火の玉がそのとおりに実行するんだ」
焚き火には《あたためろ》。
ランタンの火には《てきをさがせ》。
野営地の周りには《ちかよらせるな》。今夜も一つ、置いてある。
「書く文字が多いほど威力は上がるけど、その分MPも食う。一文字につきMP1。欄に書けるのは二十文字まで。俺の最大MPは50しかないから、毎晩、安い命令をちまちま仕掛けてただけだよ。MPを払うのは撃つ瞬間だけだ。点けた火は、命令を果たすか夜が明けるまで勝手に燃えてる。一晩寝れば元に戻る」
「……ディランさんたちには、それが見えないんですね」
「そう。そして、代わりに聞こえるのは、ファイアボールだけだ」
カノンはしばらく黙って焚き火を見つめていたが、やがて真剣な顔で尋ねてきた。
「でしたら、もっと簡単に……『死ね』と書けば、どんな魔物も倒せるのでは?」
「やってみようか」
俺は指先に、新しい火の玉を生んだ。
ファイアボール
ぷすっ。
火の玉は、線香花火のようにしぼんで消えた。
「……な? こいつが死ぬんだ」
「……ふっ」
カノンが口元を押さえて、肩を震わせた。
「寒いなら、火の玉増やそうか?」
「いえ、そういう意味ではなく」
カノンが笑って答えた。
「……俺の国の言葉は、主語を省けるんだ。省いたら、命令されるのは火の玉自身。だから火の玉にできることしか起きない。燃やす、貫く、温める、照らす――その組み合わせだけだ」
そのときだった。
野営地の外れに置いた《ちかよらせるな》の火が、一方向だけ激しく揺れた。
地響き。木々をへし折りながら、三メートルを超える巨体が姿を現す。
「オーガ……!」
カノンが神杖を構える。獲物の匂いに餓えたオーガは、結界の火を踏み潰してこちらへ迫ってくる。安い命令では、大物は止められない。
ファイアボール
三文字。火の玉はオーガの胸でボッと弾け、毛皮を少し焦がしただけだった。
「グオオオオッ!」
怒らせただけだ。分かっている。だから、次は書く。
ファイアボール
十六文字。ごっそりと、体の奥から何かが抜けていく感覚。残りのMPは、12。
放たれた火の玉は二つに分かれ、オーガの両膝に吸い込まれた。次の瞬間、白い炎が丸太のような脚を内側から焼き尽くす。
巨体が、崩れ落ちた。
自分の重みを支えられず、地面に顎を打ちつけたオーガの頭へ、俺は最後の一発を向ける。
残り12。書けるのは、ちょうど十二文字。
ファイアボール
細く、鋭く、針のように絞られた火線が、巨体の眉間を貫いた。
それきり、オーガは動かなくなった。
「……はぁ、はぁっ」
膝が笑う。MPは、きっかりゼロだ。長い命令は強い代わりに、とにかく燃費が悪い。
振り向くと、カノンが神杖を握りしめたまま、瞳を大きく見開いていた。
「……私には、やっぱり『ファイアボール』としか聞こえませんでした」
それから彼女は、少しだけ笑った。
「でも、あなたの火が何かを言っていることだけは、分かります」




