第38話 四家との対面
土御門が手元の鈴を一度だけ鳴らした。
澄んだ高い音が、座敷の空気を一瞬だけ揺らして消えた。
その音が消えるか消えないかのうちに、廊下の奥から複数の足音が近づいてきた。三人分。それぞれに違うリズムの足音だ。
襖が、また静かに開いた。
最初に入ってきたのは、四十代前半の女性だった。
着物。深い紫。立ち振る舞いに無駄がなく、動作の一つ一つが計算されている。視線は俺たちを一瞥して、しかし長く留まらなかった。観察はもう済んでいる、という顔だ。
北小路琴音、と俺は頭の中で名前を当てた。事前に彰彦さんから写真を見せてもらっていた。
二人目は、五十代の男性。
スーツ。仕立てのいい灰色の三つ揃え。背筋が真っ直ぐで、軍人のような立ち姿。座敷に入った瞬間に、空気の温度が一段低くなったように感じた。視線は俺を真っ直ぐに捉えて、離さない。値踏みではなく、戦力評価をする目だ。
岩倉武継。
三人目は、七十代の老人。
和装。痩せた身体。ゆっくりとした足取り。座敷の入口で一拍立ち止まって、それから動く。視線は誰にも向けず、ただ虚空を見ている。何も見ていないのではない。見るべきものを既に見終わっている人間の目だった。
水野鶴一郎。
三人がそれぞれ座布団に座ると、座敷の空気が完全に変わった。
俺と彰彦さん、そして土御門の三人だった部屋に、急に三人増えた。物理的には三人だが、密度としては三十人分くらいの圧があった。
肩のイゾルデが、首を少し縮めた。空気の重さを感じている。
「お集まりいただき、ありがとうございます」土御門が静かに告げた。「今日は、神楽凪さんを皆さんにご紹介したく、お呼び立てしました」
北小路が頷いた。岩倉は何も言わなかった。水野は虚空を見たままだった。
「神楽凪さん」土御門が俺に視線を戻した。「改めて、ご挨拶を」
俺は座り直して、軽く頭を下げた。
「神楽凪です。本日はお招きありがとうございます」
「神楽凪、五級探索者」岩倉が低い声で告げた。声に温度がない。「経歴は把握している。もっとも、表向きの経歴だが」
俺は顔を上げて、岩倉を見た。
来たな、と思った。最初に圧をかけてくる役割を、岩倉が引き受けたらしい。
「裏向きの経歴、というのが、どこまで把握されているのか、興味があります」
「興味、か」岩倉が口の端を上げた。「面白いことを言う。把握しているのは、君が黒猫ちゃんねるの仮面の人物であること。一条グループと深い関係にあること。そして——大公の組織が、君を脅威と判断していること」
部屋の中の三人が、それぞれ違う反応を見せた。
北小路は表情を動かさなかったが、わずかに目を細めた。情報の精度を測っている顔だ。
水野は何も反応しなかった。聞いていないのか、聞いてもなお関心を持たないのか、どちらかは分からない。
土御門は、俺を見ている。俺がどう反応するかを、見ている。
俺は短く息を吸った。
「肯定も否定もしません」
「ほう」
「肯定すれば、それは公的な確認になります。否定すれば、嘘になります。どちらも、今この場でやることじゃない」
岩倉が、わずかに目を細めた。
「賢い答えだ」
「賢いというより、面倒を増やしたくないだけです」
「では、別の質問だ」岩倉が身を乗り出した。「君は、我々と組む気があるか」
部屋の空気が、一瞬止まった。
北小路が、初めて口を開いた。
「岩倉さん。順序が違います」
北小路の声は冷静で、しかし芯があった。
「神楽さんはまだ、五大華族とお会いになったばかり。まずはお互いを知る場であって、決定の場ではないはずです」
「決定を急ぐ理由がある」岩倉が告げた。「平野翔太の動きは、既に殺人配信として世間に流れている。新貴族の暴走は、止まる気配がない。我々は時間の余裕がない」
「時間がないのは、神楽さんに決断を強いる理由にはなりません」
北小路の声が、少しだけ硬くなった。
二人の間に、見えない火花のようなものが走った。岩倉の急進派と、北小路の中道派の対立——事前に彰彦さんから聞いていた構図が、今、目の前で展開されていた。
水野は、相変わらず黙っていた。
ただ、虚空を見ていた目が、ほんの少しだけ動いた。岩倉でも北小路でもなく——俺の方を見た。それから、また虚空に戻った。
何かを判断したのか、それとも判断を保留したのか、分からなかった。
「俺から、よろしいですか」
俺の声に、四人の視線が集まった。
「先ほど、組む気があるかと聞かれました。それに答えます」
俺は岩倉を見た。岩倉が俺を見返している。
「組む気は、ありません」
部屋の空気が、また一段下がった。
「ただし——新貴族の暴走を止めることに関しては、協力します」
「条件付きの協力、か」岩倉が低く告げた。
「条件というより、立場です」俺は告げた。「俺は誰の駒にもなりません。なるつもりもありません。ただ、新貴族の動きが俺の周囲の人間を脅かしているのは事実で、それを放っておくつもりもありません。だから、新貴族阻止という一点でなら、協力する用意はあります」
「それを、組むと言うのではないか」
「組むというのは、上下関係や指揮命令系統が発生することだと俺は理解しています」俺は告げた。「俺が想定しているのは、利害が一致する範囲での協調です。指揮されるつもりはありません」
岩倉が、少しの間黙った。
怒っているのか、評価しているのか、表情からは読めなかった。
肩のイゾルデが、囁くように告げた。
「凪、結構強気にゃ」
「強気じゃない。本気で言ってるだけだ」
声には出さずに、頭の中だけで返した。
ただ、イゾルデには伝わったらしい。尻尾が一度、軽く揺れた。
「神楽さん」北小路が静かに告げた。「あなたの立場は、よく分かりました」
「ありがとうございます」
「ただ、一つだけ確認させてください」
「どうぞ」
「あなたの言う『協力』の範囲は、どこまでですか。例えば——情報の共有は」
「内容によります」
「具体的な作戦への参加は」
「内容と相手によります」
「身を危険にさらすことは」
「俺自身の判断で、必要だと思えば」
北小路がしばらく俺を見た。
値踏みではない。観察でもない。この人物がどこまで信用できるかを、丁寧に確かめている目だった。
「結構です」
北小路が引いた瞬間に、岩倉がまた口を開きかけた。
ただ、その前に——
「北小路さんの言う通りだ」
水野が、ゆっくりと告げた。
部屋の全員が、水野を見た。
水野はそれまで一言も発していなかった。発しないことが当然だ、という空気を作っていた。その水野が、初めて声を出した。
「急ぐ必要はない」水野は虚空を見たまま続けた。「神楽さんは、まだ若い。若い者の動きを、我々が決めるべきではない。決めさせるべきでもない」
「水野殿——」岩倉が何か言いかけた。
「岩倉君」水野が遮った。声は静かだったが、有無を言わせない響きがあった。「君は急ぎすぎる。新貴族を潰したい気持ちは、私も同じだ。だが、急いで踏み外すと、踏み外した分だけ取り返しがつかなくなる」
岩倉が、口を閉じた。
水野の言葉が、ただの諫めではないと感じたらしい。
そして俺は、今、目の前で何が起きたかをゆっくりと理解した。
水野鶴一郎。寡黙で、距離を取る、と聞いていた。動かないことが哲学だ、とも。
その水野が動いた。動いたのは、岩倉の急進を抑えるためだった。
水野は、俺を擁護したわけではない。事を荒立てたくないという自分の哲学を、俺の若さを利用して通したのだ。
結果として、俺は救われた。ただし——救われたことは、水野に何かを返さなければならない、という意味でもある。
借りを作るのは、好きじゃない。
土御門が、初めて笑みらしい笑みを見せた。
「では、今日のところは、ここまでとしましょう」土御門が告げた。「神楽さんのお立場は、皆様にお伝えできました。今後の関わり方は、また個別にご相談ということで」
北小路が頷いた。岩倉は何も言わなかったが、引き下がる気配はあった。水野はまた虚空に戻っていた。
俺は座布団から立ち上がる前に、肩のイゾルデに小さく告げた。
「終わったぞ」
「足、痺れてないにゃ?」
「痺れた。ただ、立ち上がる時に倒れない程度には」
「それは、おっさんとして合格にゃ」
「お前の合格基準は、どんどん厳しくなるな」
立ち上がるとき、俺は一度だけ水野の方を見た。
水野は、俺を見ていなかった。ただ虚空を見ていた。
ただ——その虚空に、何か別のものが映っているような気がした。
ただの気のせいかもしれない。気のせいだとしても——いつか、確かめる日が来る気がした。
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