第39話 京都土産と、二人の女性
帰りの新幹線に乗る前、俺は京都駅構内の土産物売り場に立っていた。
彰彦さんが少し意外そうな顔をした。
「お土産ですか」
「社会人としての義務です」と俺は告げた。「特に、世話になっている人に対しては」
「凪さんがそういうことを気にする方だとは、知らなかったです」
「気にする方なんです。十年以上サラリーマンをやってると、そういうのが染みつくんですよ」
彰彦さんが小さく笑った。
俺は売り場の前に立って、しばらく考えた。
京都駅の土産物売り場は、観光地らしくバリエーションが揃っている。八ツ橋、おたべ、抹茶菓子、清水焼の小物、扇子、千枚漬け、湯葉、漬物、和雑貨。多すぎて、選びすぎると失敗する種類の選択肢の量だった。
「凪、ボクのもあるにゃ?」
肩のイゾルデが、囁くように告げた。
「あるに決まってるだろ。誰のために京都まで来たと思ってる」
「ボクのためにゃ?」
「お前のためじゃない。ただ、お前の分は買う」
「最高にゃ」
俺は売り場をしばらく歩いて、いくつか手に取った。
ソフィアには、生八ツ橋。無難で、京都らしさが分かりやすく、賞味期限も短くないやつだ。日本の和菓子文化に慣れていない人にも食べやすい。あの食感がロシア育ちの口に合うかは賭けだが、嫌いな材料は入っていないはずだ。
坂崎さんには、別の店の和菓子を選んだ。
観光客向けの量産品ではなく、奥にある店の上品な箱詰めだ。少し値段が張ったが、坂崎さんは日本人で、和菓子の格を理解できる人間だ。観光客向けの安いやつを渡すと、それは「雑に扱われた」というメッセージになる。仕事で世話になっている相手に、それは失礼だ。
イゾルデには、無添加のかつお節。京都土産としてはやや特殊だが、専門店があったので寄った。
彰彦さんと柚葉には、夫婦になる二人なので、揃いの湯呑み。
会計を済ませて、紙袋を四つ提げて、新幹線のホームに向かった。
「凪さん、本格的ですね」彰彦さんが、湯呑みの紙袋を見ながら告げた。
「俺の独断で柚葉と揃いにしたので、嫌だったら言ってください」
「嫌じゃないです。むしろ、ありがたいです」彰彦さんがわずかに口元をゆるめた。「凪さんに認めてもらった気がします」
俺は答えなかった。
答えるのは、なんだか恥ずかしかった。十七歳の身体になっても、こういう種類の照れくささは消えない。歳をとっても、消えなかった。
*
翌日、午後。
ソフィアと六本木のカフェで会う約束をしていた。
会う約束の理由は「次の探索の打ち合わせ」だが、実態は週に一度の情報交換に近い。ソフィアは単独行動の探索者で、組織には属さない。それでも俺と組むのは、共通の利害があるからだ——新貴族の動向。
カフェの窓際の席に、ソフィアは既に座っていた。
白銀に近い金髪。青灰色の瞳。今日は黒のジャケットの下に、深い緑のシャツを着ている。日本の街並みの中でも目立つ容姿だが、本人はそれを意識していない様子で、コーヒーを飲んでいた。
「遅くなりました」と俺は告げて、向かいに座った。
「いや。私が早かっただけだ」
ソフィアの日本語は、相変わらず固い。発音は綺麗だが、語尾の選び方に独特の硬さがある。それがこの人らしくて、俺は嫌いじゃなかった。
肩のイゾルデが、ソフィアに小さく挨拶をした。
「ソフィア、こんにちはにゃ」
「こんにちは、イゾルデ」
ソフィアは、イゾルデにだけ少しだけ柔らかい声を出す。観察していると分かる。
俺はテーブルの上に、紙袋を置いた。
「これ、よかったら」
ソフィアの視線が、紙袋に落ちた。それから、俺に戻った。
「……何だ、これは」
「お土産です。京都に行っていたので」
ソフィアが少しの間、黙った。
「私に?」
「あなたに」
「なぜ?」
俺は少し言葉に詰まった。
日本人なら、この質問は出ない。「なぜ」を聞かない。前提として「世話になっているから」が共有されている。ただ、ロシア育ちのソフィアにとって、その前提は当然じゃないらしい。
肩のイゾルデが、囁いた。
「凪、ソフィアは慣れてないにゃ」
「分かってる」
頭の中だけで返した。
「日本では、出張に行ったら、世話になっている人にお土産を買うんです」と俺は告げた。「義務というほど厳格じゃないけど、慣習として根付いている。ソフィアさんは俺の探索のパートナーなので、そういう立場の人にあたります」
ソフィアが、しばらく紙袋を見た。
「義務、ということは、断ってもいいのか」
「断ってもいいですよ。ただ、断られると俺がちょっと困るので、できれば受け取ってほしい、というのが本音です」
「困る、というのは」
「持ち帰ったら、俺が一人で食べるしかない」
ソフィアが、わずかに目を細めた。それが、彼女の今日初めての笑みらしい表情だった。
「分かった。受け取る」
ソフィアが紙袋を引き寄せた。中身を見て、生八ツ橋の箱を取り出して、しばらく眺めた。
「これは、何?」
「京都の和菓子。生八ツ橋というやつです。シナモンの香りがして、中に餡が入っている」
「餡」
「豆を甘く煮たやつです」
ソフィアがもう一度箱を見た。
「ロシアにはない」
「でしょうね」
「……ありがとう」
ソフィアの「ありがとう」は、いつもより少しだけ長かった。一拍分くらい長かった。
たぶん、それが、ソフィアにとっての精一杯の感謝の表現だった。
*
夕方、俺は南大沢ダンジョンの探索者協会に向かった。
今日は探索の予定はない。坂崎さんに会いに行くだけだ。
お土産を渡すためだけに、わざわざ六本木から南大沢まで電車で移動するのは、客観的に見ればやや不思議な行動かもしれない。ただ、坂崎さんは普段、俺の探索登録の手続きで世話になっている。直接渡しに行かないと、こういう種類の感謝は伝わらない。
窓口に立つと、坂崎さんはすぐに気づいてくれた。
「神楽さん。今日はご予定が」
「ないです。これを渡しに来ました」
俺はカウンターに、紙袋を置いた。
坂崎さんの視線が、紙袋に落ちた。それから、俺に戻った。
「これは」
「京都に行く機会があったので。世話になっているお礼です」
坂崎さんがしばらく紙袋を見て、それから、俺を見た。
その視線に、わずかな揺れがあった。
日本人なので、お土産文化は理解している。理解しているがゆえに、わざわざ自分のために選んでくれたということの意味が伝わってしまう。
「……わざわざ、ですか」
「序でと言いたいところですが、序でじゃないです。坂崎さんの分を選ぶのに、十分くらい悩みました」
坂崎さんが、少し下を向いた。それから、紙袋を両手で受け取った。
「ありがとうございます」
坂崎さんの「ありがとうございます」の声に、いつもの仕事モードとは違う、わずかな揺れがあった。
俺は、それに気づかないふりをした。気づいたと示すのは、坂崎さんへの礼儀じゃない気がした。
「中身は何ですか」
「老舗の和菓子です。日持ちはしますが、できればお早めに」
「お一人でいただくのは、もったいない気がします」
「ご家族と一緒にどうぞ。あと、もし探索者協会の同僚と分けるなら、それも構いません」
「いえ」坂崎さんが少し笑った。「これは、自分のためにいただきます」
俺は何も答えず、軽く会釈をして、窓口を離れた。
協会のロビーを出ながら、肩のイゾルデが囁いた。
「凪、坂崎は嬉しそうだったにゃ」
「そうか」
「気づいてないふりにゃ?」
「気づいてる。ただ、気づいたって言わない方がいい場面もある」
「おっさんは、めんどくさいにゃ」
「おっさんはめんどくさいの。それで世の中、回ってるんだよ」
俺は南大沢の駅に向かって歩いた。
夕方の街は、いつも通りの喧騒だった。家路を急ぐサラリーマン、買い物帰りの主婦、塾通いの子供。普通の日本の街の景色。
こういう細々した気遣いの積み重ねが、悠々自適に生きるための土台だ。世話になっている人に、ちゃんと感謝を伝える。それだけのことが、案外、難しい。長く生きてきて、ようやく身についてきたことの一つだ。
ペントハウスに戻って、一息ついた。
紅茶を淹れて、ソファに座る。肩のイゾルデが、もらったかつお節を満足げに眺めていた。
「凪、ボクの分は最高にゃ」
「お前は単純でいいな」
「複雑になる理由がないにゃ」
その時、スマホが震えた。
画面を見て、俺は紅茶のカップを置いた。
非通知。
通常、こういう着信は出ない。ただ、彰彦さんから「岩倉さんが連絡してくる可能性がある」と事前に聞いていた。岩倉武継。元自衛隊出身、急進派、俺を駒として使いたい男。
俺は通話ボタンを押した。
「もしもし」
『神楽くん』
岩倉の声だった。電話越しでも、温度の低さは変わらなかった。
『先日は失礼した。少し、二人で話したい。来週、時間をもらえないか』
「……内容によります」
『内容を言ったら、君は来ないだろう』
岩倉が、わずかに笑った気配があった。
『だから、来てもらってから話す』
俺は短く息を吸った。
悠々自適に生きたいだけなんだけどな、と独り言を漏らしそうになるのを、ぎりぎりで止めた。
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