ティータイム・ストーリー(イゾルデ編)第4話「黒猫と、なんてことない午後のお茶会」
午後の陽射しが、スカイクレスト六本木のペントハウスの大きな窓からたっぷりと差し込んでいた。
眼下には、きらきらした都会の景色。
遠くまで伸びるビル群は、ダンジョンの石壁とはまるで違う。けれど、こうして高い場所から見下ろしていると、少しだけ“支配者っぽい気分”になるから悪くないにゃ、とボクは思う。
もっとも。
「凪、まだかにゃー」
ボクはいま、ふかふかのラグの上でごろりと転がりながら、ちっとも優雅ではない待機時間を過ごしていた。
今日は探索も配信もない、平和な昼下がり。
なのに凪はキッチンの奥で、なにやら真剣な顔をしている。
カチャ、コト、と小気味よい音。
ふわりと漂ってくる甘い香り。
むむむ。
これは期待してよい空気にゃ。
やがて、湯気の立つティーカップを二つ持って、凪が戻ってきた。
「待たせたな」
「遅いにゃ。待ちくたびれて、危うくこの高級そうなソファに爪を立てるところだったにゃ」
「やめろ」
「冗談にゃ」
「半分くらい本気だろ」
凪は呆れた顔をしながら、低めのガラステーブルにカップを置いた。
続いて、小皿が二枚。
その上には、ほんのり焼き色のついたクッキーが並んでいる。
その瞬間、ボクの耳がぴんと立った。
「おお……!」
「分かりやすいな」
「当然にゃ。ボクは食卓に関しては誠実なのにゃ」
「初めて聞いた理屈だな」
ボクはすっと姿勢を正し、クッキーを見つめた。
丸くて、香ばしくて、見るからにさくさくしていそうだ。
「これはただのクッキーではないにゃ」
「ただのクッキーだ」
「凪が用意した時点で、“ただの”ではなくなるにゃ」
「そういうものか?」
「そういうものにゃ」
凪は少し笑って、ソファに腰を下ろした。
ボクもテーブルのそばにちょこんと座る。
カップから立ちのぼる湯気は、ほんのり甘くて、やわらかい香りだった。
戦闘前のピリついた空気とは違う。胸の奥の力が、じんわり抜けていくような香りだ。
ボクはさっそくカップに顔を寄せた。
「……熱いにゃ」
「だから、少し待てって言っただろ」
「違うにゃ。これは熱さを確認しただけにゃ。ちゃんと作法に従ったのにゃ」
「いま考えたな」
「失礼にゃ。ボクは気品ある神獣にゃ」
そう言いながら、ボクはクッキーを一枚つまんだ。
さくり、といい音。
次の瞬間、口の中に広がる甘さと、少しだけ効いた塩気。
「……うまいにゃ」
「そうか」
凪はそれだけ言って、自分も紅茶に口をつけた。
なんでもない返事。
なのに、その声には妙に力が抜けた温かさがあって、ボクは少しだけ目を細めた。
戦いの中の凪は強い。
冷静で、容赦がなくて、時々こっちが止めたくなるくらい無茶をする。
魔神の力を持っていて、それでも妙なところで甘い。
そんな凪が、いまは高層マンションのペントハウスで、紅茶とクッキーを用意している。
その落差が、ボクは嫌いじゃない。
むしろ、かなり好きだ。
「にゃあ、凪」
「なんだ?」
「凪って、こういう時間、案外好きだったりするにゃ?」
そう聞くと、凪はカップを持ったまま窓の外を見た。
青空。
流れる雲。
遠くのビルのガラスに反射する光。
「……嫌いじゃないな」
ぽつりと、凪が言う。
「前は、こういうのを無駄だと思ってた。働いて、疲れて、寝て、起きたらまた仕事だったからな」
ボクは黙って聞いていた。
「でも今は違う。こういう時間のために動くのも、悪くない」
凪の視線が、ボクに向く。
「守りたいのは、こういう時間なのかもしれないな」
その言葉に、ボクの胸が小さく跳ねた。
ああ、そうかにゃ、と思う。
ダンジョンを攻略するのも。
強敵をぶっ飛ばすのも。
配信で視聴者を沸かせるのも。
全部すごいし、全部意味がある。
でも、その先にあるのが、こういう時間なら。
温かい紅茶。
甘いクッキー。
誰にも邪魔されない、穏やかな午後。
それは確かに、守る価値があるにゃ。
ボクは胸を張って言った。
「安心するにゃ、凪」
「なにがだ?」
「こういう時間は、ボクが守るにゃ。敵が来たら蹴散らすにゃ。不届き者が来たら追い返すにゃ。おやつを狙うやつがいたら絶対に許さないにゃ」
「最後のは、お前が一番怪しい」
「心外にゃ! ボクは高貴なる神獣! つまみ食いなど――」
そこまで言って、ボクはぴたりと止まった。
いつの間にか、凪の皿にあった最後のクッキーが、ボクの前に移動していたからだ。
凪がじっと見る。
ボクもじっと見返す。
沈黙。
「……イゾルデ」
「風が運んだにゃ」
「室内だぞ」
「では、空調の奇跡にゃ」
「苦しいな」
「あるいは、精霊のいたずらにゃ」
「エルのせいにするな」
ついに凪が吹き出した。
肩を揺らして笑うその顔は、戦闘のときとはぜんぜん違う。
それを見たら、ボクまでおかしくなってきた。
「にゃはは!」
笑い声が、静かなペントハウスに軽く響く。
こういうのがいい。
何かを倒したあとじゃなくても。
何かに勝たなくても。
ただ一緒に笑える時間があるのは、たぶんすごく贅沢なことだ。
やがて、紅茶もだいぶ減って、クッキーも残り少なくなったころ。
テーブルに頬杖をついたボクは、ふと思いついた。
「……にゃあ、凪」
「また何か企んでる顔だな」
「失礼にゃ。名案を思いついた顔にゃ」
「同じだろ」
「違うにゃ。全然違うにゃ」
ボクはしっぽを揺らして、得意げに言った。
「次はソフィアも呼ぶにゃ」
凪が少しだけ眉を上げる。
「ソフィアを?」
「そうにゃ。ソフィアがちょっと気取ってカップを持ってる横で、ボクがクッキーを一枚多く取って怒られるにゃ。完璧にゃ」
「お前が怒られる前提なのか」
「そこまで含めて完成度が高いのにゃ」
凪はまた小さく笑って、紅茶を一口飲んだ。
「……まあ、悪くないな」
「にゃはは、決まりにゃ!」
ボクは満足げにしっぽをぱたん、と床に打ちつけた。
窓の向こうで、午後の光が少しずつ傾いていく。
世界には面倒ごとも、強敵も、配信映えする大事件も山ほどある。
けれど、そんなもの全部を少しだけ忘れて、こうしてお茶を飲む時間があるなら。
それはきっと、悪くないどころか、かなりいい。
「……あと十分だけ休むか」
「賛成にゃ」
ボクは目を細め、ふかふかのラグの上にごろりと寝転がった。
あと十分。
たった十分。
でも、その十分が、次の戦いを少しだけ優しくしてくれる気がした。
そしてボクは思うのだ。
――次のお茶会は、もっとにぎやかになるにゃ、と。
読者の皆さん、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ここまでで、少しでも「面白そう!」「期待できる!」そう思っていただけましたら
応援よろしくお願いします。
作者のモチベーションとなります。




