第33話 スサノオの願い
楠木から情報を受け取った翌日、彰彦さんが動いた。
午前中に連絡が来た。「各方面への調整を始めます。凪さんはヴァルナさんへの確認をお願いできますか。深層素材と門の関係について、ヴァルナさんが知っていることがあれば聞いておきたい」
「分かりました」
午後、如月さんからも連絡が来た。「告発の準備を変更します。庁内腐敗の証拠は保持したまま、大公のテロ関与の証拠として組み替えます。時間をください」
聖羅からも短いメッセージが届いた。「新貴族の内部資料をまとめました。今日中に送ります。使えるものがあれば使いなさい」
三十億の借りの返し方が、これだったらしい。
塚田は「俺は俺で動く」とだけ言って、それ以上は何も言わなかった。あの男らしかった。
*
夕方、町田の実家に向かった。
電車の中で、エルから通知が来た。
《カネゴンさんから、本日三回目のスパチャです。「次の配信はいつ? 戦いが終わったら早めにしなさい」とのことです》
「……戦いが終わったら、か」
《把握されているようですね》
「あの人は、たぶん全部分かった上でスパチャしてる気がする」
《そうかもしれません》エルが少し間を置いた。《なお、JIN_KIRISHIMAから先ほどアーカイブへの高評価が入りました。コメントはありませんが——見ています》
俺は窓の外の景色を少しの間、見ていた。
霧島迅が、まだ見ている。カネゴンが待っている。百五十万人が、次の配信を待っている。
戦いが終わったら、配信しよう。それだけは決めた。
久しぶりに蔵の前に立った。石造りの門構え。青白い光が文様から漏れている。変わらない。
「ヴァルナさんに会いに行く」
「なぁ~」とイゾルデが静かに鳴いた。
いつもと違う鳴き方だった。
扉を開けて、階段を降りた。
*
ヴァルナの空間は、いつも通りだった。
石造りのアーチ。暖炉の火。白いベッドリネン。
ヴァルナが窓際の椅子に座っていた。金髪に白いドレス。深い碧の瞳が、俺を見た。
「来ると思っていました」
「なぜ分かったんですか」
「精霊ネットワークを通じて、あなたの魔力の波動が伝わってきます」ヴァルナの声は穏やかだった。「何かを決めたときの波動は、特に分かりやすい。詳しいことまでは見えませんが——今日のあなたが、何かを問いに来る顔をしていることは分かりました」
俺は椅子に腰を下ろした。ヴァルナの向かいだ。
「大公の計画が分かりました。グリウムと繋がっている。深層素材を使って門を安定させ、グリウムのモンスターを際限なく地上に溢れさせる。それが最終目標です」
ヴァルナが目を閉じた。しばらく、そのままでいた。
「そうですか。千年以上経って、また同じことが起きようとしている」
「止められますか」
「あなたなら、止められます」ヴァルナの声が静かに響いた。「スサノオがそうだったように」
俺は少し間を置いた。
「一つ、聞いていいですか」
「どうぞ」
「イゾルデを俺に遣わした理由を、まだ教えてもらっていません」俺はヴァルナを見た。「スサノオの願いが理由だと、ずっと感じていました。今日、聞かせてもらえますか」
ヴァルナが目を開けた。
暖炉の火が、静かに揺れた。
「……そうですね」ヴァルナは少し息を吐いた。「話す時が来ました」
ヴァルナが立ち上がり、暖炉の前に歩み寄った。炎を見ながら、ゆっくりと話し始めた。
「スサノオは、グリウムの魔王リゲルバランを倒すとき、自分が死ぬことを分かっていました。自爆に相当する大魔法でなければ、あの魔王は倒せなかった。スサノオはそれを選んだ」
俺は黙って聞いた。
「死の直前、スサノオは私に言いました」ヴァルナの声に、千年の時間が滲んでいた。「『俺の子孫が生まれたら、伝えてほしい。俺が諦めたものを、お前には諦めてほしくない』と」
「諦めたもの」
「平穏な時間です」ヴァルナの目に、ほのかに微笑みが浮かんだ。「戦うことに追われて、スサノオは一度も、ただ生きるということをできなかった。誰かと飯を食って、何でもない話をして、眠れる夜を過ごす。そういう時間を、スサノオは最後まで手に入れられなかった」
俺は、ヴァルナの横顔を見た。
「イゾルデを遣わしたのは」ヴァルナは俺を振り返った。「あなたが一人でいないようにするためです。スサノオは最後まで、誰かの隣で戦うことを選ばなかった。一人で全部抱えて、一人で死んだ。あなたには、そうなってほしくなかった」
イゾルデが、俺の肩の上で静かにしていた。
いつもの軽口がなかった。
「イゾルデは知っていたんですか。この話を」
「知っていました。だから、あなたの隣にいることを、あの子は一度も嫌がらなかった」
俺はイゾルデを見た。
イゾルデが、金色の目で俺を見た。
「……知ってたなら、言えよ」
「言ったら、凪が気にするにゃ。気にしないで隣にいてほしかったにゃ」
俺は少しの間、何も言えなかった。
肩の上のイゾルデの体温が、やけにはっきりと伝わってきた。ずっとそこにあったはずの温もりが、今になって初めて届いたような気がした。
暖炉の火が、また揺れた。
「悠々自適に生きたい、と言っていましたね」
「はい」
「スサノオも、そう言っていました」ヴァルナはかすかに微笑んだ。「一度でいいから、のんびり飯を食いたい、と」
「……そうですか」
「あなたは、スサノオが諦めたものを、既に少しずつ手に入れています。イゾルデがいる。ソフィアがいる。柚葉さんがいる。彰彦さんがいる。あの子たちは全員、あなたの隣を選んだ」
俺は、それをしばらく考えた。
ヴァルナが挙げてくれた名前を、頭の中で一人ずつ確認した。確かに、いる。一人ずつ、いる。
「だから、勝ちに行きます。諦めたくないので」
「なぁ~」とイゾルデが鳴いた。今度はいつもの声だった。
ヴァルナが「ええ」と頷いて、また暖炉の炎を見た。
「勝ったら、ゆっくり話しましょう。スサノオのことを、もっと話せていなかった」
「楽しみにしています」
*
蔵を出ると、夜になっていた。
町田の空に、星が出ていた。
スマホを見ると、彰彦さんから短いメッセージが入っていた。「各方面、動き始めています。準備が整い次第、連絡します」
如月さんからも。「証拠の組み替え、完了しました。あとは時機を待ちます」
ソフィアからは一言。「準備できている」
俺はスマホをポケットに入れた。
「凪」イゾルデが囁いた。「怖いにゃ?」
「怖いですよ」
「なぁ~」
「ただ」空を見上げた。「逃げるのは嫌いなので」
イゾルデが「なぁ~」とまた鳴いた。今度は少し笑っているような声だった。
町田の夜は静かだった。
明日から、動く。
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