第32話 楠木壱成の証言
ペントハウスに戻ったのは、昼前だった。
テレビをつけると、どのチャンネルも同じ映像を流していた。
横浜のダンジョン緩衝地帯。石畳が抉れ、フェンスが内側から押し曲がっている。救急車が数台停まっていた。担架で運ばれる人影が映った。画面の隅に「死者一名、重傷者五名」というテロップが出た。
次のカットに切り替わった。大阪梅田。地下街の入口付近が崩れている。規制線の外に人だかりができていた。「死者二名、重傷者十名以上」。レポーターの声が震えていた。
俺はリモコンを置いた。
「……三名」ソフィアは隣のソファに座って、同じ画面を見ていた。「緩衝地帯があってこの数字だ」
「次に市街地中心部を狙われたら」
「桁が変わる」とソフィアは静かに言った。
イゾルデが窓の外を見ていた。いつもより尻尾の動きが少なかった。
《横浜と大阪の溢出は、いずれも緩衝地帯の外縁付近で止まっています》とエルが言った。《偶然ではなく、大公側が意図的に「死者を出しすぎない」範囲で制御した可能性があります》
「制御した?」
《死者が出すぎると、日本政府が本格的に動きます。国際問題になれば大公にとっても都合が悪い。今回は「脅し」だったのかもしれません。次に動く前の、警告として》
俺は少しの間、テレビを見た。
横浜で死んだ一人と、大阪で死んだ二人の顔は分からない。名前も分からない。ただ、今朝まで生きていた人間が、大公の計画のために死んだ。
「楠木さんとの約束は何時ですか」とソフィアが聞いた。
「午後三時」
「私も行く」
「来てもらえると助かります」
*
指定された場所は、渋谷から少し外れた静かな喫茶店だった。
楠木壱成は奥の席に一人で座っていた。いつものスーツ。ただ、表情が少し違った。南大沢で遠目に見たときの、張り詰めた無表情とは違う。何かを決めた人間の顔だった。
俺とソフィアが向かいに座った。イゾルデは黒猫の姿で俺の肩にいる。
楠木がイゾルデを見た。一瞬、目が細くなった。
「認識阻害が、俺には効かない」確認するような口調だった。
「知っています」
「南大沢で何度か見ていた」楠木は視線を俺に戻した。「あなたが仮面の配信者だと確信したのは、南大沢で角を見たときです」
ソフィアが俺を見た。俺は頷いた。
「話を聞かせてください。大公の次の手を」
楠木がコーヒーカップを両手で持った。一口飲んでから、静かに置いた。
楠木は少し間を置いてから話し始めた。声は低く、一定のペースだった。喫茶店の周囲を、目だけで確認してから。
「大公の計画は三段階です。第一段階は、ダンジョン庁の内部に人間を入れて情報を掌握する。これは既に完了しています。第二段階は、スタンピードを使って政府と世論を揺さぶり、特定のダンジョン周辺の土地利用権を外国資本に移す。今朝のスタンピードは、その布石でした」
「特定のダンジョンとは」
「南大沢と新宿です。この二か所は深層素材の質が特に高い。大公はその採掘権と周辺の土地を、セントアーリア公国の関連企業を通じて取得しようとしています」
「第三段階は」と俺は聞いた。
楠木が少し間を置いた。
「グリウムとの接続です。大公は、グリウム側から地球に門を開く技術を受け取っています。深層素材を使ってその門を安定させる。完成すれば、ダンジョンを通じてグリウムのモンスターが際限なく地上に溢れ出します」
俺は、テーブルの上で指を組んだ。
「以前から掴んでいた情報と一致します。ダンジョンを地球に送り込んだのは、地球の外の勢力だという筋です」
「大公はその代理人です。セントアーリア公国は名目上の隠れ蓑に過ぎない」
《アビスゲートで確認した素材の買い占め》とエルが言った。《魔力増幅と空間干渉に関わるもの。全て門の安定化に使えます》
「タイムラインは」とソフィアが口を開いた。「次の動きまで、どのくらいありますか」
「二週間から一か月。土地利用権の交渉が完了すれば、大公は次のスタンピードを仕掛けます。今度は南大沢と新宿を同時に。規模は今朝の三倍以上を想定しています」
三倍。
今朝で死者が三名。三倍なら——
「楠木さん、なぜ話してくれるんですか」
楠木が俺を見た。
「娘が、あなたの配信を見ています。『逃げない人だ』と言っていました」
それだけだった。
それ以上の説明はなかった。
俺は少しの間、楠木を見た。
「美紗さんは今朝、南大沢で仲間をかばっていました。よく似ていますね、親子で」
楠木の目が、わずかに動いた。
「……そうですか」楠木の声は低かった。
「一つ、お願いがあります。大公側の動きを、引き続き教えていただけますか。こちらの情報も共有します」
「それが目的で連絡しました」楠木はスマホをテーブルに置いた。「この番号で」
*
喫茶店を出ると、空は曇っていた。
「信用できると思うか」とソフィアが聞いた。
「百パーセントは無理です。ただ、今日の情報は——」
《エルの確認では、楠木さんの発言内容は既知の情報と矛盾していません》とエルが言った。《嘘をついている可能性は低いと判断します》
「それと」と俺は続けた。「美紗さんのことを話したときの顔は、嘘じゃなかった」
ソフィアが少し黙った。
「……そういう判断の仕方をするのか、あなたは」
「数字だけじゃ判断できないことがあるので」
ソフィアが少し間を置いた。
「……ロシアにいた頃、パーティーが壊されたとき、私は数字で判断した。勝率、損失、効率。全部計算して、一人で動く方がいいと決めた。それは間違っていなかった。でも——」
少し黙った。
「あなたと組んでから、たまに計算以外のことで動いている自分がいる。それが悪くない」
ソフィアが短く息を吐いた。笑いをこらえているような音だった。
「彰彦さんと如月さんに連絡します。二週間から一か月。それまでに動かなければならない」
《承知しました》とエルが言った。《全員への連絡を準備します。なお、登録者数が現在四十八万人を超えています。カネゴンさんから「次の配信はいつですか」というメッセージが届いています》
「終わったら配信する。それまで待ってもらう」
《承知しました》
「にゃ」とイゾルデが短く鳴いた。
曇り空の下、渋谷の雑踏が続いていた。
終わりが、見えてきた。
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