第31話 スタンピード
朝五時に、エルの声で目が覚めた。
《緊急報告です》
俺は即座に起き上がった。
《国内複数のダンジョンで、同時異常が発生しています。現時点で確認できているのは七か所。南大沢、新宿、渋谷、横浜、大阪梅田、名古屋、札幌。いずれも深層から大規模なモンスターの上昇移動が観測されています》
「スタンピードか」
《まだ地上への溢出には至っていませんが、このペースだと早い場所で二時間以内に地上に達します》
俺はスマホを掴んだ。着信が三件。彰彦さん、如月さん、ソフィア。ほぼ同時刻だった。
ソフィアに折り返した。
「起きてるか」
「起きている」とソフィアは即答した。「ニュースを見た。南大沢に向かう」
「俺も今から出る。入口で合流しよう」
電話を切ってイゾルデを見た。すでに獣人形態に変わっていた。金色の目が細く、静かに光っている。
「行くにゃ」
「ああ」
*
南大沢ダンジョンの入口は、朝の時間帯にもかかわらず騒然としていた。
特殊魔導大隊が展開しており、一般探索者の立ち入りを規制していた。報道のドローンが上空を飛んでいる。周辺住民が遠巻きに様子を見ていた。
坂崎さんが入口の外に出ていた。顔が青ざめている。
「仮面の……魔神様」と坂崎さんは言った。「中で特殊魔導大隊が十五層まで押し返していますが、数が多すぎて。まだ中に残っている探索者が十二名います。通信が取れない方もいて……」
「分かりました。中に入ります」
「待ってください。規制線が——」
「坂崎さん」
俺は坂崎さんを見た。
「俺たちが一番早い」
坂崎さんが少し間を置いた。それから、規制線のロープを持ち上げた。
「……お願いします」
*
ソフィアと合流して、三人でダンジョンに入った。
一層から空気が違った。魔力の濃度が高い。通路の壁が微かに振動している。モンスターの気配が、下から押し上げてくるような圧を持っていた。
《現在、南大沢ダンジョンで上昇中のモンスター数は推定四百体以上》とエルが言った。《種別は複数混在。上位種が下位種を押し上げている形です。通常のスタンピードとは発生パターンが異なります。人工的に引き起こされた可能性が高い》
「大公が時間を選んだ。如月さんの内部告発が動く前に仕掛けてきた」
《如月さんからも連絡が来ています。庁内が混乱しており、スタンピード対応に全リソースが向かっています》
うまく嵌められた。
俺は少し息を吐いた。怒りが来る前に、まず頭を動かした。
「エル、残っている探索者の位置は」
《十二名のうち七名は十層以浅で確認できています。残り五名が十二層から十五層付近。二名が十二層で動きが止まっています》
「十二層を先に」
「分かった」とソフィアが言った。
走った。
*
十層を過ぎたあたりから、モンスターの波と正面からぶつかり始めた。
オーク、ワーウルフ、石巨人。普段なら層ごとに棲み分けているはずの種が混在して押し寄せてくる。特殊魔導大隊が十五層で踏ん張っているらしく、そこより下に押し込まれたモンスターが上に向かって溢れていた。
「魔力錯乱——重圧崩落」
前方の群れにデバフを二重にかけた。動きが乱れた一瞬、ソフィアが前に出た。
片手剣に魔力を纏わせて、光の弧を描くように薙いだ。三体が一閃で吹き飛んだ。
「強いにゃ」とイゾルデが言いながら、別方向から二刀流で崩れた群れに飛び込んだ。
俺は後方から個別に対処した。デバフと魔弾の組み合わせで、抜けてくる個体を一体ずつ確実に止める。
十二層に着いた。
通路の奥に、二人の探索者が壁に背をつけて座り込んでいた。どちらも傷を負っている。意識はある。
一人に見覚えがあった。
楠木美紗だった。
六級バッジ。短剣を両手に持って、トロルの注意を引きながら仲間をかばっていた。どうやら上級探索者のパーティーに同行していたが、スタンピードの混乱で逸れてしまったらしい。
《美紗さんは今朝、知人の探索者に同行して潜っていたようです。スタンピードで逸れた形です》
美紗がこちらを見た。仮面のイゾルデを見た。目が大きく開いた。
「——魔神様!」
「退がれ」
腕輪を両方外した。
トロル二体が俺を向いた。
「束縛鎖鳴——重圧崩落——魔力錯乱」
三つを同時にかけた。動きが急激に鈍った。
イゾルデが跳んだ。風刃乱舞が空気を切り裂いて、一体の首を落とした。
ソフィアが残りの一体に雷属性の魔力を纏った剣を叩き込んだ。
通路に静寂が戻った。
*
美紗が、俺のそばに駆け寄ってきた。
「怪我は」と俺は聞いた。
「ないです」と美紗は言った。呼吸が乱れていたが、目は落ち着いていた。「一緒にいた先輩が足を痛めて、動けなくて。なんとか時間を稼いでいました」
「よく持ちこたえた」
美紗がじっと俺を見た。
「魔神様は……怖くなかったんですか。こんな状況でも、逃げないで来てくれた」
「怖かったですよ。ただ、逃げるのは嫌いなので」
美紗の目が、少し潤んだ。
「……配信で言ってた言葉と同じだ」
「配信でも本当のことしか言わないので」
イゾルデが「なぁ~」と鳴いた。美紗がイゾルデを見て、少しだけ笑った。
「行きましょう」とソフィアが言った。
*
全員を五層まで誘導したところで、如月さんが待っていた。部下の木村も一緒だ。
「残り五名は全員回収しました。大隊と合わせて、南大沢は抑えた形です」
「他のダンジョンは」
如月の顔が、少し固くなった。
「横浜と大阪で、地上溢出が確認されています。横浜は市街地から離れたエリアで、死傷者は今のところ報告がない。大阪は——繁華街に近い場所で、負傷者が出ています」
俺は黙って聞いた。
南大沢は守れた。全部は守れなかった。その事実が、静かに胸の中に落ちてきた。悔しいとか悲しいとか、そういう分かりやすい感情ではなかった。ただ、重かった。守れた場所があって、守れなかった場所がある。それだけのことが、こんなに重い。
「南大沢を抑えられたのは、凪さんたちが早く動いてくれたからです」と如月は続けた。「他の場所は大隊だけでは間に合わなかった」
「大公が七か所を同時に選んだのは、大隊のリソースを分散させるためですね」
「そう判断しています」如月は声を一段低くした。「神楽さん。私の認識が変わりました」
俺は如月を見た。
「今朝までは、庁内の腐敗した人間を告発するつもりでいました。しかし——複数のダンジョンを同時にスタンピードさせ、民間人に被害を出した。これはもう、省庁の内部問題ではありません」
「国家に対するテロ行為だ」
「そうです」と如月は静かに言った。「告発の目標を変えます。庁内の腐敗を暴くのではなく、外国勢力による国家テロの実行犯として、大公を追います」
俺は少しの間、如月を見た。
「それは、如月さん一人で動ける話ではなくなりますね」
「分かっています。だから、あなたに言っています」
如月の目は揺れていなかった。
《如月さんの目標が変わりました》とエルが言った。《これで動ける範囲が変わります》
俺は頷いた。
「分かりました。一緒に動きましょう」
*
地上に出たとき、スマホが鳴った。
見知らぬ番号だった。
「はい」
「神楽凪さん」と、低い男の声がした。「楠木壱成です」
「……初めて連絡をいただきましたね」
「遅くなりました」と楠木は言った。「今日の件、大公が仕掛けたものです。俺はその計画を事前に知っていました」
「知っていた」と俺は繰り返した。
「止められなかった。ただ——これ以上は加担しない。それを伝えたくて電話しました」
「一つだけ聞きます」
「どうぞ」
「大公の次の手が分かりますか」
少しの沈黙があった。
「会って話せますか」と楠木は言った。「電話では言えない」
「分かりました。場所を指定してください」
電話が切れた。
空が白み始めていた。
南大沢の地上は、まだ騒然としていた。特殊魔導大隊の隊員が走り回っている。報道のドローンが増えていた。遠くに、サイレンの音が聞こえた。
横浜と大阪で、今日傷ついた人間がいる。南大沢は守れた。全部は守れなかった。
俺はその事実を、静かに頭の中に置いた。
《ご報告があります》とエルが言った。《今夜のスタンピード発生と、南大沢の鎮圧が各メディアで速報されています。黒猫ちゃんねるのアーカイブが関連情報として拡散されており、登録者数が急増しています。現在——百五十万を超えました》
「……今夜の話か」
《はい。南大沢のスタンピードが抑えられた映像や証言と、配信の映像が結びついて拡散されています。JIN_KIRISHIMAが今夜のアーカイブに高評価をつけたことも、拡散の一因になっています》
俺は少し間を置いた。
「配信、終わったら続けます。今夜は——まだ終わっていない」
それから、腕輪を嵌め直した。
まだ、終わっていない。
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