第26話(後編) 第六回配信——白い猫、現れる
田所と向き合ってから、二日後。
俺はペントハウスの窓際に立って、東京の夜景を眺めていた。
登録者数、百二十万人。第五回配信から数週間、配信を休んでいた。その間にも、アーカイブへのアクセスは止まらなかった。カネゴンから「次の配信はいつ」というスパチャが今週だけで三回届いていた。
「そろそろやるか」と俺は言った。
「にゃははっ」とイゾルデが布団から飛び起きた。「ずっと待ってたにゃ!」
「気にしてないふりしてたくせに」
「してたにゃ。待つのと気にしないのは別にゃ」
ソフィアにメッセージを入れた。
「今夜、配信に出る気はあるか」
返信は早かった。
「構わない。ただし顔は映すな。名前も出すな」
「了解です」
もう一行来た。
「白い髪が映るのは仕方ない。それは認める」
《ソフィアさん、案外乗り気ですね》とエルが静かに言った。
「口には出さないが、な」と俺は言って、黒猫マスクをつけた。
*
「黒猫ちゃんねる、はじまるにゃ!」
イゾルデが高らかに宣言した。長身の獣人形態——黒い猫耳がぴんと立ち、尻尾が大きく揺れている。ダンジョン内では認識阻害が解除されるため、視聴者の画面にはこの姿がそのまま映っている。
視聴者数が、開始と同時に五桁を瞬時に突破した。
【コメント欄】
鮭おにぎり:きたあああああ
魔神びいき:待ってた!!
DD(誰でも大好き):イゾルデさん!!
迷える剣士:久しぶりすぎる
名無しさん:登録者いつの間に百万超えてるじゃん
南多摩ダイバー:今日はどこまで行くの
「今日は久しぶりの南大沢にゃ。それと——今日は新しい仲間が一人、一緒に来てるにゃ」
その瞬間、コメント欄が止まった。
半拍の沈黙。それから一気に溢れ出した。
【コメント欄】
鮭おにぎり:は??仲間??
迷える剣士:新キャラ!?
DD(誰でも大好き):誰誰誰
名無しさん:魔神様の後ろに誰かいる
検証班A:白い……髪?
魔神びいき:え後ろの人誰
南多摩ダイバー:それ女性?
ソフィアは俺の斜め後ろに立っていた。カメラには後ろ姿しか映っていない。白銀に近い金髪が、ダンジョンの青白い光を受けてわずかに輝いていた。
「名前は出せない。ただ、強い。それだけ言っておく」
【コメント欄】
鮭おにぎり:強いだけで信用できるのが魔神様チャンネルすぎる
迷える剣士:名前も出せないってどういう事情
検証班A:あのシルエット、かなり背高いな
DD(誰でも大好き):白い髪の人……
名無しさん:正体気になりすぎる
「行くにゃ」とイゾルデが短く言って、走り出した。
*
三十層まで、流れは速かった。
イゾルデが前衛で捌き、俺がサポートを入れ、ソフィアが要所で重い一撃を差し込む。三人のリズムが、初めての配信とは思えないほど自然に噛み合っていた。
二十二層で、大型のトロルが二体出てきた。
《警告。トロル二体、推定レベル24。物理耐性が高く、正面からの斬撃は通りにくい》
「イゾルデ、片方を引きつけてくれ。もう一体はソフィアに任せる」
「なぁ~」とイゾルデが答えて、右のトロルへ向かった。
ソフィアが静かに左へ回り込んだ。片手剣を低く構えた。
俺はデバフを仕込んだ。
「重圧」
左のトロルの動きが一瞬、鈍った。ほんの僅かだが、ソフィアにはそれで十分だった。
一歩。踏み込みが深い。剣に魔力が集中して青白く光った。
横薙ぎに一閃。
トロルの横腹に深い亀裂が走った。巨体が傾いで、膝をついた。ソフィアが追撃を入れずに後退した。止めを焦らない判断だ。
「今にゃ!」とイゾルデが叫んだ。
風刃乱舞が閃いた。引きつけていた右のトロルが吹き飛ぶ。同時に俺が左のトロルに氷刃を放った。動きが完全に止まった一瞬、ソフィアが再び踏み込んで——今度は深く、首元に一撃を入れた。
二体が、ほぼ同時に崩れ落ちた。
【コメント欄】
鮭おにぎり:え
名無しさん:二体同時に?
迷える剣士:後ろの白い人、何者
DD(誰でも大好き):あの一撃の重さやばい
検証班A:魔神様のデバフ→白い人の攻撃の連携、これ練習してる?
南多摩ダイバー:初見っぽいのに息合いすぎだろ
魔神びいき:パーティーが三人になったの、強くなりすぎでは
「ナイスにゃ」とイゾルデが白い後ろ姿に言った。
「……どうも」とソフィアが短く返した。
低くて静かな声だった。その一言だけで、コメント欄が沸いた。
【コメント欄】
鮭おにぎり:声出た!
DD(誰でも大好き):声めっちゃいい
名無しさん:外国の方?
迷える剣士:何語かと思ったら日本語だった
検証班A:訛りある気がする
肉球信者:白い人好きになった
ソフィアが俺を一瞥した。「コメント欄、うるさい」
「仕様です」と答えた。
「……そうか」ソフィアは前を向いた。
*
三十層を超えたあたりで、コメント欄の流れが変わった。
最初は気づかなかった。ただ、流れの中に引っかかるコメントが混じり始めた。
【コメント欄】
名無しさん1234:これCGだろ どうせ
nobody_real:白い人も魔神も偽物くさい
検証班A:おい待って偽物アカ増えてないか
鮭おにぎり:急にコメント欄荒れてきた
迷える剣士:なんか変なコメント増えてる気がする
DD(誰でも大好き):アカウント作成日が全部今日じゃん
《確認しています》とエルが言った。《新規アカウント群からの書き込みです。IPアドレスの分布から、先週の荒らしと同一の組織的なものと判断します》
俺は少し間を置いた。
コメント欄に向かって言った。
「荒らしは無視してください。続けます」
【コメント欄】
鮭おにぎり:了解
迷える剣士:分かった
南多摩ダイバー:魔神様が言うなら
肉球信者:荒らし消えろ
そのとき、見覚えのあるアカウントがコメント欄に現れた。
【コメント欄】
JIN_KIRISHIMA:白い剣士、剣筋がいい
コメント欄が、一瞬静止した。
それから爆発した。
【コメント欄】
鮭おにぎり:霧島さん来てる!!
迷える剣士:JIN_KIRISHIMAじゃん本物マーク付いてる
DD(誰でも大好き):特級が来た!!
南多摩ダイバー:霧島さん白い人を評価してる
名無しさん1234:偽物とか言ってたのにこれ
検証班A:荒らし一瞬で黙った草
肉球信者:霧島さん神
迷える剣士:特級が認めた配信で偽物はないだろ
荒らしアカウントのコメントが、ぱたりと止まった。
ソフィアが振り向かずに言った。「あの霧島迅か」
「そうです」
「……ふん」短い一音だったが、悪くなさそうな音だった。
【コメント欄】
JIN_KIRISHIMA:魔神様、その白い剣士はどこで拾った
俺は少し笑いそうになるのを抑えた。
「……拾ってはいないんですが」
「拾ったにゃ」とイゾルデが無責任に言った。
「ボクが声をかけたにゃ」
【コメント欄】
鮭おにぎり:イゾルデちゃんが拾ってきたの草
DD(誰でも大好き):スカウト担当イゾルデちゃん
南多摩ダイバー:霧島さんとのやり取り見たかったやつ
迷える剣士:黒猫ちゃんねる、どこまで行くんだ
「行くぞ。まだ先がある」
「なぁ~!」とイゾルデが答えた。
*
三十五層まで降りて、今日の配信を終わりにした。
「今日はここまでにゃ」とイゾルデが視聴者に向かって言った。「新しい仲間、強かったにゃ。次回もよろしくにゃ!」
【コメント欄】
鮭おにぎり:白い人また出る?
DD(誰でも大好き):次も来てほしい
迷える剣士:チャンネル登録した
南多摩ダイバー:霧島さんまだいる?
検証班A:JIN_KIRISHIMA今日ずっといたな
名無しさん:白い人、名前教えてくれ
「名前は出せません。ただ——また来ます」
ソフィアが小さく、「……また来る」と言った。
コメント欄がまた沸いた。
「お疲れ様にゃ! 今日も見てくれてありがとうにゃ! チャンネル登録と高評価をお願いしますにゃ!」
二十三万人に向かって、イゾルデはいつもと全く同じ声で言った。初回の三百四十一人のときと、何も変わらない。
「よろしくお願いします」と俺は添えた。
配信を終了した。
*
地上に出たとき、エルが報告した。
《配信中の最大同時視聴者数、二十三万人。配信終了後、登録者数が急増しています。現在——百五十万人を超えました》
「一回の配信で三十万増えたのか」
《白い剣士の登場と、JIN_KIRISHIMAのコメントが拡散の起爆剤になっています。特に荒らしを霧島さんが間接的に黙らせた場面が、切り抜き動画として既に複数投稿されています》
「霧島さんが来るタイミングが良すぎる」俺は腕輪を確認した。
「強かったにゃ」とイゾルデがソフィアを見た。
「当然だ」ソフィアは前を向いた。
「……名前、本当に出せないのか」
「今は出せないです」
「そうか」ソフィアは少し間を置いた。「コメント欄は——悪くなかった」
俺は少し笑った。
「それはよかったです」
ソフィアが何も言わずに歩き出した。三人で、夜の南大沢を歩いた。
登録者百五十万人。荒らしは今日も来たが、霧島の一言で潮が引いた。白い剣士の正体は謎のまま、コメント欄で今も話題が続いている。
悪くない一日だった。
明日も、やることはある。
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