15 王国+風呂
◇◇
暗い、とても暗い、光のない中を進んでいた。周囲のことが何もわからない中で、緩やかな落下感を感じていたから進んでいたという表現は間違っていないと思う。何も見えない、何もわからない中で私が落ち着いていられたのは、抱きしめてくれていた浩一のぬくもりのおかげだった。
そんな中で再び目の前に現れた最初の光は、夜空に浮かぶ星の光だ。その星が見せてくれたのは、紫色に染まる空と黒い裂空間の広がる夜空。いつも見ている夜空とは彩色が逆の夜空だった。
そして、そのことを確認して間もなく、急激な落下感が私たちを襲った。
「えっ?」
私たちがいたのは、何もない空中だった。そのまま重力に従って落下するしかなかった。
落下して、最初に音が遮断された。次に体を冷たさが包み、息苦しくなった。重力に逆らって首を上げると、息苦しさはすぐに消え、普通に呼吸をすることができた。
自分の周りを見てみるとそこは、水の中だった。平らに加工された石で周りを覆われた、噴水か池のような物だと思う。私たちは、そこに横になっていた。
「怪我は?」
そう聞いてくる浩一の声は、すぐ耳元にあった。
「ないと思う。大丈夫」
思わずそう答えて、私は浩一のほうを向いた。
「うっ」
息が詰まった。
「どうした?」
「なん、でも、ない」
本当は、なくない。その状況に一瞬、心臓が止まったかと思った。
近すぎる。
それも、いつも見慣れている普段の浩一とは違う。全身が水に濡れて、妙な艶っぽさのにじみ出ている姿だった。そんな姿で真剣な眼差しを至近距離で向けられてしまった。しかも、今の私は下にいて、浩一が上にいて、要するに、押し倒されているような状況で。
反則だよ。
そう思っても私の口は動かない。目もそらせない。体のどこも一ミリだって動かせない。微妙に触れ合っている体が、生暖かい体温を伝えてくる。服が濡れているから、浩一の体温が際立って感じられる。動いたら、何かを伝えてしまいそうで動けない。
浩一本人は自覚していないだろうけど、浩一はかなり見れる容姿をしているのだ。道乃森では知名度も高いので、ファンがついていたりもする。ついでに、よく一緒にいる裕也もなかなか良い容姿をしているため、二人合わせてコンビとして道乃森ではいろいろ言われることもある。
浩一の髪を伝わる水滴が頬を流れて、私の腕に落ちた。それだけのことなのに心臓が高鳴る。
「動くな!」
またもや、心臓が止まったかと思った。
いきなり大声で静止の声をかけられた。その声は、浩一のものではない。別の人物のもの。
周りを見渡すと、暗い周囲の中に人影が動いていた。
「動くな!」
もう一度同じ声がして、それを合図に一斉に明かりが灯された。灯された明かりは、私たちのいる池を取り囲んでいた。
取り囲む人影が一斉に近づき、長い棒のようなものを私たちに突き出した。よく見てみると棒の先に刃が取り付けてある。槍のようだった。
「貴様たち、ここで何をしている」
代表者みたいな人が、怖い顔をして聞いてきた。みんな同じような服装をしているから、代表者なのか今一つはっきりしないけど。
「……特には何も」
浩一が、いつものやる気のない声で答えた。
「ミストロックはどうした?」
代表者が、威圧する視線で質問している。
「何のことだか分かりません」
「分からないはずがないだろう。ここをどこだと思っているんだ」
「知りません」
「知らないだと。ふざけるのもいい加減にしろ!」
「本当に知りません」
「……貴様ら、名前は?」
「……武野浩一」
浩一は、一瞬ためらったように口の動きを止めてから名乗った。
「加賀光です」
私も浩一に続いて名乗った。
「タケノコウイチ?」
代表者が、浩一の名前を口にした。その後、周りを取り囲んでいる人たちの中にも浩一の名前を口にする人が現れた。その小さなささやきは、少しずつ人影の中に広がっていく。
「武野浩一?」
「十年大戦のか?」
「あの英雄の?」
周りを取り囲む人影から漏れ聞こえるささやきは、次第にざわめきに変わっていった。
「……やっぱりか」
浩一が、呟いた。
「やっぱりって?」
「この世界のこと」
そう言う浩一は、やっぱりやる気がなさそうに力を抜いていた。
「まあ、一応私にもわかるけど」
周りから英雄とか聞こえてくるしね。
「包囲を解け!」
代表者が、大声で叫んだ。すると突き出された槍も一斉に私たちの前からなくなり、変わりに周囲を取り囲んでいた人たちがひざまずいた。
「この度は大変な無礼を致しました。申し訳ありません!」
さっきまでとは態度を急変させた代表者が、緊張して裏返り気味の声で謝った。
「この度の事、私、どのような罰も甘んじて受ける所存でございます。ですので、何卒ほかの者たちには寛大な処置をお願い申し上げます!」
代表者が、額を地面につけんばかりの低頭姿勢で懇願している。
なぜか、かなり大事になってしまっている。
「あの、いくつか質問したいんですけど」
私は、片手を挙げて聞いた。
「な、何だ?」
元の口調に戻った代表者が、聞き返した。ちょっと緊張しているみたいだけど。
「まず、ここにいる浩一が、本物かどうか確認しないんですか?」
みんなしてひざまずくような態度をいきなり取っているけど、目の前にいる浩一にそんなことをさせるような雰囲気や威光なんて全くない。
「なぜ、そんな必要がある?」
緊張した表情の代表者は、逆に質問を返してきた。
その質問返しには私のほうが驚いた。
「いや、名前が同じだけの別人とか、偽者ということもありえるでしょ?」
「異世界の生まれである英雄様の名前は、この世界では珍しいものだ。同名の者は、まず存在しない。さらに、偽者などいるはずがない。この世界に住む者は、皆、英雄様に救われたのだ。皆、英雄様に感謝している。その英雄様の名を語るような不届き者が、この世界に存在するはずがない」
「はあ、そうですか」
ちょっと飛躍しすぎている気がするけど、それでいいならいいのかな。
「その、みんなを救った、そうですけど」
「そうだ。世界を救っていただいた」
代表者が、うなずいた。代表者の言葉に、ひざまずいている周りの人たちもうなずいている。
「その浩一が、皆さんにどんな罰を与えるんですか?」
私にはこっちのほうも疑問だった。英雄とか世界を救ったとかは、百歩譲って事実だとしよう。だとしても浩一が、罰を与えるとか誰かを苦しめるといったことは考えられない。今の浩一の場合は、他人に関心がないからで片付けられるけど、記憶を失くす前の浩一だったとしてもそんなことはありえない。
「浩一のことを何だと思っているんですか?」
「それは、……」
代表者の声が詰まった。答えを迷っているのかもしれないし、そもそも答えを持っていないのかもしれない。
「……実害は何もないから罰とか言われても困ります」
浩一は、困惑の表情を浮かべていた。人差し指で頬をかく。
「そ、そうですか」
代表者は、それだけ言って、拍子抜けしたような安堵したような表情をしていた。
冷たい夜風が池の上に小さな波を作った。体の表面をなでて、濡れた体を通り過ぎていく。
「ハックシュン」
かなり大きなくしゃみをしてしまった。私は、恥ずかしさで顔をうつむけてしまう。
隣で浩一が立ち上がった。
「このまま濡れたままとはいかないな」
言いながら私の前に手を差し伸べた。私はその手を取って立ち上がる。上から下までびしょ濡れだった。
「直ちに手配いたします!」
「お願いします」
代表者が叫び、浩一が軽く頭を下げた。
浩一が頭を上げたのに合わせて周りが慌ただしくなっていく。立ち止まっている人は誰一人としていない。みんな英雄様のために何かをしようと動き出した。
「すごいところだね」
私は、周りの対応に少し呆れていた。
「いや、すごいのは肩書きのせいだろ」
そう言う浩一は、困惑の表情を浮かべ、頬をかいた。
◇
警備兵(私たちを取り囲んだ人たち)に案内されたのは、すごい所だった。
高い塀に囲まれた中に広い敷地が広がっていて、門をくぐった先にとても大きな屋敷のような、宮殿のような、お城のような建物が建てられていた。
警備兵の案内は、その建物の入口までだった。
「ようこそ、おいで下さいました」
きれいな姿勢で頭を下げ、私たちを出迎えたのは、燕尾服を着た男性たちとワンピースにエプロンドレス姿の女性たちだった。一言で言えば、執事とメイドたちだった。たぶん、本物だと思う。
カーペットの両端にズラリと並んでいる光景は、自分が場違いな場所に迷い込んだことへの戸惑いと、おそらく二度と見ることのない珍しさを感じる。ただ、動物の耳や尻尾の生えている人が混じっているのが、ものすごく違和感があった。たぶん人型の精霊なんだと思う。
「こちらへどうぞ」
前方にいるメイドに促されて前へ出た。私たちより年上に見える。
「まずは、お召し物ですね」
私たちは、まだびしょ濡れの服を着たままだ。水を吸った服は重たくて、水分の感触が気持ち悪い。さっさと着替えたかった。
「浩一様はあちらへ、加賀光様はこちらへどうぞ」
「はい」
二人とも軽くうなずいて、それぞれ示されたほうへ足を向けた。
「光、また後で」
「うん」
私は、さっきから話をしているメイドに、浩一は、近くにいた執事に先導されて奥に進んだ。
お城(そう表現するのが一番近いと思う)の中は、長い廊下が続いていて光が反射するぐらいに磨かれた窓ガラスが並んでいる。
私の側には前に一人、後ろに一人、計二人のメイドがついていた。黙々と前を向いて歩いている。
「あの、質問したいことがあるんですけど、いいですか?」
別に沈黙に耐えられなかったわけではないけど、私は話をしてみることにした。
「私にお答えできる範囲でしたらば、お答えいたしします」
前を歩くメイドが、答えてくれた。
「ここは、どこなんでしょう?」
いきなり放り出されてしまった異世界らしき場所。理解できるとは思わないけれど、聞かずにはいられない。
「ここは、ヒュリストラ王国の王宮になります」
「王国の王宮……」
言葉だけで立派な響きだ。実際に中も立派だけど。
「それじゃあ、私と浩一が落ちた場所はその敷地内だったんですか?」
「はい。中庭になります」
暗くてはっきりとはわからなかったけど、確かにそれっぽかった気がする。
「そう言えば警備の人が言っていたんですが、ミストロックって何ですか?」
「ミストについてはご存知ですか?」
横目で後ろをうかがいながらメイドは言った。
「いいえ」
私は、首を横に振った。
「ミストとは、魔力が結晶化してできる霧のような物です。本来ミストは時間がたてば消えてしまう物なのですが、稀に消えずに存在し続ける結晶や人工的に集積して消えないようにした結晶があります。小石のような姿をしているのが一般的です。それをミストストーンと呼んでいます。純度が高い物はミストジュエルと呼ばれますが、基本は同じです。魔法具や魔法式などに広く利用されています。その中でも一際巨大なミストストーンが見つかることがあります。それをミストロックと呼んでいるのです」
「魔力の塊みたいな物ですか?」
「正確にはそれだけではありませんが、そのような認識でも間違いはありません。魔力の循環やその土地の属性を司るなど大きな力を持っています」
「かなり貴重な物みたいですね」
でも、さっきの中庭ではそんな物を見なかったような気がする。
「はい。それが先ほど消えてしまいました。警備の者が言っていたのは、そのことでしょう」
「え……」
消えた?
「最近、大中央大陸、ヒュリストラ王国もこの大陸にあるのですが、その大中央大陸を中心として、物が入れ替わる事件が起こっています。確定ではありませんが、加賀光様はそれに巻き込まれたのではないかと思われます」
「……それは、確定だと思います」
物が入れ替わる事件。その話にはものすごく心当たりがあった。
「どうしてですか?」
メイドは振り返り、質問をしてきた。私の反応は、予想していなかったのだろう。
「私の世界にその事件を起こしている精霊が来まして、その精霊を追って来たスピリットハンターのセリアが、その精霊を捕まえる現場に居合わせたものですから」
自分で言っていて少し情けなかった。居合わせたのは自分で言い出したことで、今のこの結果につながってしまった。自然と声が小さくなってしまう。
「では、お二人はその時に?」
「はい。精霊の出す黒い弾に当たってしまって、気づいた時にはこの世界に来ていました」
「そうでしたか」
私の心情を察してなのか、メイドの声が尻すぼみに細くなる。
「そんなに心配しなくてもいいんじゃないのかな?」
私の後ろを歩いていたメイドが、私の肩に両手を置いて、揉み解しながら言った。
「セリア様が動いておいでならば、それほど時間もかからないですよ、きっと」
振り向くと、明るいセリフをしゃべる明るい表情があった。
「これ、マキャル。やめなさい」
「はい、失礼しました」
叱られたマキャルは、さっと手を引いてすぐに姿勢を正した。
「失礼しました、加賀光様」
私の前を歩いていたメイドが、振り返り、頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
私は、首を横にすばやく振った。
「いえ、構いませんから。それと、私のことは光で構いません。え〜と……」
「申し遅れました。私、マリル=ゴロームスと申します。ここではメイド長をやらせていただいております」
目の前で頭を下げたままのメイド、マリルは名乗った。
「それから、そちらは私のパートナー精霊、マキャルです」
「どうも、よろしくお願いします」
マキャルは、ぺこりと頭を下げ、明るい笑顔で笑った。
「はい、こちらこそ」
マキャルの笑顔につられてこちらも笑顔で返した。
ちょっと場違いで遅れた自己紹介はさっさと切り上げて、話と歩みを再開する。
「お二人は、セリアのことを知っているんですか?」
「はい。セリア様と浩一様には大変お世話になりました。マキャルの言うように、セリア様ならば今回の事も無事に解決していただけるでしょう」
「セリアは、そんなにすごいんですか?」
二人の姿は、とても信頼していて、同時にとても安心しているように見える。
「はい。セリア様は、世界で五人しかいない、すべての精霊王に証を頂いた方のお一人です。幅広い属性の魔力を扱い、様々な事件を解決に導いてこられました。精霊に関することならば、これ以上のないお人です」
「へ〜」
証と言うのは、精霊の王様に貰う水晶像のことだろう。それをすべての王様から貰っていたとは、素直に驚きだった。
「それにしても、浩一様とセリア様がいて被害が出るなんて、相手もすごい精霊なんだ、ふむ」
マキャルが、真剣な表情で腕を組み、首を縦に振っている。
「あ〜、それは、浩一の記憶がないからですね」
「記憶がないの?、なんで?」
マキャルの眉尻が下がり、首を傾げる。
「浩一は、昔の記憶をすべてなくしてしまったんです。なんでなのかは、わかりません。それからずっと、記憶は戻ってきていません。だから浩一は、力の使い方とかこの世界で何をしたのかも覚えていないんです」
浩一本人は、英雄と呼ばれる理由を全く覚えていないだろう。きっと、この世界でのみんなの対応には困惑している。そんなことは細かいこととして、気にしていないかもしれないけど。
「そうでしたか」
マリルは、廊下の先を見ている。
「先ほど浩一様を拝見した時に、大分お変わりになったと感じましたが、そのような理由がおありでしたか」
「昔と比べたら、すごい変わりようですよね」
「そうだね、うん」
みんなで浩一の変わり具合に相づちを打った。本人のいないところで言うのはちょっと失礼かな。
マリルが、目の前に見えてきた扉の前で止まり、振り返った。
「こちらにどうぞ」
扉を優しく引いて、扉の中へと促す。
私は、それに素直に従った。扉をくぐったその場所は、脱衣所のようだった。
「まずは、冷えた体を温めてください。代えのお召し物は、その間にご用意いたします。今着ていらっしゃる物は、こちらに置いていただければ私どもできれいにしてお返しいたします」
「ありがとうございます」
私は、深々と頭を下げた。何から何までといった具合の対応に心から感謝する。
「私は扉の前に居りますので、何かございましたらお呼びください」
「はい、わかりました」
「それでは、おくつろぎください」
マリルは、一つお辞儀をしてから扉を閉めた。
扉が閉まったのを確認して、部屋の中を見回す。脱衣スペースは、ちょっと広い。旅館の温泉みたいで、同時に十人ぐらい一緒に入れそうだ。
水を吸った重い衣服を一枚ずつ脱いで、手前にある籠の中へ放り込む。
浩一も今頃、温まっているのだろう。いつも入浴の時間が短いから、きっと今回もすぐに済ませるのだと思う。私も冷めた体を温めるだけで済ませることにする。
脱衣所と浴場を仕切る扉を開けると、白い湯気が漂ってきた。それだけで暖かい空気が、肌をなでる。冷めた体にはとても心地良い。前から浴場を温めていたのかもしれない。
脱衣所が広かったように浴場もとても広かった。円柱状の部屋の中の中央、奥に大きな湯船が居座っている。
浴場に足を踏み入れて周りを見渡す。壁際にガラスのように輝く石が、三つ並んではめ込まれている。間に一定の間隔を置いて、それらが壁面に続いていた。
昨夜、セリアに少し聞いていたので迷わずに三つ並んだ石のうちの中心に触れた。頭上の壁に小さな魔法陣が現れ、そこから金属の棒が伸びる。続いて、伸びてきた金属の棒の先に魔法陣が現れ、そこから湯気と共に熱湯が降り注いだ。
「あつっ」
予想以上に高い温度に私は、降り注ぐ熱湯から離れた。
「えっと、中心がシャワーで、温度を上げるには右だから、下げるには……」
降り注ぐ熱湯を避けて、左側に埋め込まれた石に触れた。湯気の濃さが、気持ち薄くなる。
もう一度熱湯の中に身を入れると、今度は心地良い熱と響きが体に伝わった。そのまま体の芯まで染み付いた冷気を床まで流す。頭から肩、腕と浴びて、胸から下へお湯を伝わせる。
最後にお湯を背中に浴びて、中心の石に触れた。お湯は止まり、金属の棒も壁の中に消えていく。
「ふう」
そのまま扉へ足を進めた。
扉の前で浴場内を振り返る。目に映るのは、浴場の約三分の一を占める大きな湯船。
どうしよう。
せっかくだから浸かっていこうかな。
とても大きな湯船が、自分の前にある。それも貸しきり状態で。こんな状況を次に味わうのはいつになるだろう。もうないかもしれない。普通はありえない。絶対にない。セリアじゃないけど、異世界のお風呂というのは確かに興味を引かれる。でも、あまり時間をかけると浩一を待たせることになる。
迷う。
迷うぐらいなら入ってしまおうか。すぐに入って、すぐに出ればそれほど時間もかからないと思う。うん。
私は考えるのをやめて、湯船に近づいた。湯船を覗き込む。
「色がついてるんだ」
覗いて見た湯船は、お湯が赤く見えた。張ってあるお湯の上のほうは透明だけど、下のほうは赤く色づいている。その色は、にごっているわけではなく透き通っていて、梅の花を連想させた。
足のつま先を湯船に入れ、少しずつ体を沈ませていく。湯船に顔が近づくと、花の香りが微かにした。赤いお湯はとても温かく、体の芯から温まる。
「はぁ〜」
私は、リラックスして湯船に肩まで浸かった。
◇
「はあうー、しまった」
湯船から上がった私は、行儀悪く慌てて脱衣所へ駆け込んだ。
浸かってしまった。くつろいでしまった。ちょっとのつもりが、長々と堪能してしまった。実際にどのぐらいの時間が経過したのかはわからないけど、絶対に早くはない。
急いで身支度を整えるためタオルを手に取り、脱衣所内を見回す。着替えを用意してくれているはずだ。
それは、すぐに見つかった。着ていた服を脱いだ場所の近くに代わりの服が用意してある。
体を拭いて、その服を手に取った。
「……」
固まった。
その理由は、私にとっては苦手なタイプの服だったからだ。
ワンピースタイプのロングスカートと内側が透けて見えるほど薄い布地の上着。肘まで隠れそうな長い手袋も添えられている。まるで、ドレスのようだった。正真正銘のドレスだと思うけど。
それらを身につけた自分の姿を想像してみる。
「……」
固まった。
絶対に似合わないって。第一、私の履いてきた靴ではこの服とのバランスが悪すぎる。
そう思って脱いだ靴を見てみると、脱衣所にそれはなかった。代わりにヒールの高い靴が置いてあった。そんなところまで用意してくれていた。
「どうしよう……」
固まった。
でも、固まっている場合ではない。絶対に浩一を待たせている。いまさら服を取り替えて欲しいなんて言えないし、ここまで用意してくれているのに文句を言うのも気がひける。時間もかけられない。
覚悟を決めるしかなさそうだった。
◇
廊下に出ると 微笑を向けるマリルと少し誇らしげなマキャルが待っていた。
「お待ちしておりました、光様。よくお似合いですよ」
「そのドレスの色は、私が選んだんですよ、えっへん」
「赤を選んだ今回のマキャルの見立てに間違いはなかったようですね」
「いい感じです、うん」
「サイズのほうはいかがですか?」
「……」
私は、無言でうなずいた。
「よろしいですか。それでは、仕上げを致しましょう」
マリルが、向かい側の部屋の扉を開いた。
「どうぞお入りください、さあどうぞ」
マキャルに背中を押されて、私の足は力なく前に進む。
楽しそうな二人とは対照的に、私は恥ずかしさでずっと顔をうつむけていた。これから何をするのか、この後どうなるのか、全く考えていなかった。




