昔と今
なんて呼ばれていたっけ?
もう少しで思い出せそう。
だけど思い出すと今の自分じゃなくなっちゃいそうな感じがして思い出すのをやめる。
それよりもすごく大切なことがあった気がしてゆっくりと目を開けた私は真っ暗な場所にポツンと座っていた。
「お腹すいた」
私は自分のお腹をさする。
真っ暗で数センチ先も見えないのにのんきなものだと思いながら辺りを見回す。
どこを見ても真っ暗で食べる物はおろか出口もわからない。それどころか自分が誰かもわからないことに気づく。
「えっと……」
頭を抱えて必死に思い出そうとする。
すごく大切なこと。すごく好きな人から呼ばれる好きな物の名前だったような……。
すごくが沢山並んでいるのに思い出せない自分に呆れる私はひとまず立ってみることにする。
「ん?」
立ったときの違和感に自分の足下を見るが暗くてよくわからない。地面に立っているはずなのになんだかふわっとしてて地面を踏んでいる感覚がない。
「死んでるからね」
突然聞こえてきた声に驚きつつも私は声がした方を振り向く。
真っ暗な中にぼんやりと浮かんできた人影はゆっくりと私の方へと近づいてくる。足を引きずって歩く人影が段々と大きくなりくっきりと見えたとき私は息を飲む。
髪は痛んでいるって表現するのも酷い有様で頬はこけ、目の下には大きなクマがあり手足はガリガリにやせ細っている少女。あまりにも酷いあり様の姿を見た私の口から出た言葉は自分でも予想できなかったもの。
「私?」
自分自身の姿形もわかっていないのに目の前にいる少女が自分だと確信した私を見てもう一人の私がカサカサの唇の口角をわずかに上げる。
笑ったのかと思ったけどクマの酷いくぼんだ目は笑っておらず、どちらかといえばさげすんだ感じを受ける。
ムッとした私はもう一人の私を指さす。
「そのなんでも知ってるって顔、感じ悪いんだけど」
「だって知ってるから」
「むぅ~」
「私からすればそんな顔するあんたの方がムカつくんだけど。なにそれ? 可愛いとか思ってるわけ?」
膨らませていた頬を元に戻すともう一人の私をにらむ。
そんな私を鼻で笑ったもう一人の私がやせ細った手を伸ばして指をさしてくる。持ち上げるのも辛いのか腕は震えている。
「空っぽの名前すら思い出せないあんたが私に文句言う権利なんてないんだから」
「空っぽ! 大切な人からもらった大切な名前なんだから!」
「でも思い出せないでしょ。なんなら大切な人とかの名前も顔もぼんやりしてわからないでしょ」
「ぐっ」
心の中を読まれているのか的確に私が困っていることを当ててくるもう一人の私のことが腹立つが言い返すことができない。
「澤崎絵美」
もう一人の私がボソッと口にした名前を聞いた私は頭の中にザラっとした感触が流れる。
「私の名前。そしてあんたの名前」
もう一人の私である絵美が追い打ちをかけてくる。絵美という名前が私の頭の中で反響し生まれた不快なノイズが頭痛へと変わる。痛みに耐えれなくなった私は頭を押さえて屈みこんでしまう。
「自分がなんでこんな姿になって、幽霊なんて存在になったのか覚えていない?」
頭がものすごく痛い。痛くて頭が割れそうで目も開けていることも辛い。そんな私に絵美は遠慮なく言葉を浴びせてくる。
「何日間も小屋に閉じ込められて弱って動けなくなった私をスコップで何度も叩いて土の中に埋めた人……まだ思い出せない? あんなにも絶対に復讐してやるってスコップで殴られ土をかぶせられる最後まで目に焼き付けたあの人のことをさ」
頬を引きつらせて笑う絵美が私の頭に乱暴に手を置く。
「こんなふうにさ、何度も何度も……」
細く震える手に力はないが何度もしつこく振り下ろされる絵美の手の衝撃は痛くて割れそうな私の頭に響く。
「くっ……」
「こんな痛みじゃなかったでしょ。思い出してよ。私だけ覚えているのは不公平でしょ。だってあんたも絵美なんだからさ」
絵美が私の髪の毛を乱暴に握る。髪を無理やり引っ張られた痛みと内側からの痛みに耐えられず地面に伏せてしまう。そんな私の頭から乱暴に手を離した絵美が伏せる私の脇腹を蹴る。
「ぐっ」
鈍く重い感触にうめき声が出てしまう。
「まだ思い出さないの。こうやって蹴られたり! 叩かれたり! お前なんかいなければってさ! 何度も……何度も!」
絵美の外見からは想像もできないほど力のこもった蹴りが私を襲う。
「私たちは捨てられたの。捨てられたのに……なんであんたは覚えてないどころか……楽しそうに‼」
これまでよりも強く蹴られ私は地面を転がり仰向けになってしまう。脇腹を押さえ痛みをこらえつつ、頭痛に苦しみながらもなんとか片目を開き絵美を視界にとらえる。
生気のない顔からは想像もできない怒りに満ちた目は暗く見ていると吸い込まれそうで、赤みのない唇からは浅黒い血があふれ流れている。
目があった瞬間、絵美が私の胸に足を乗せて体重をかけてくる。軽いといってもそれなりに重さはあり、まして弱っている私にとっては十分驚異的である。
「ムカつく! ムカつく!」
絵美が足を上げて何度も踏みつけてくる。踏まれるたびに自分の意思とは関係なく苦しそうな声がもれる。その声を聴いたからなのかわからないが踏みつける力が強くなるのを感じる。
それは私が憎いからだけでなく、この行為自体を楽しんでいるような嫌な感覚。
嫌な感覚と踏みつける衝撃が頭に響く。痛みに耐えるため、あるいは攻撃から身を守るため私は体を丸めて身を縮める。
たしかいつもそんなだった気がする。
痛みと共にかすかに私のことが憎くてたまらない。そんな目をした女の人の顔がよぎる。
いつだってあの人はそうだった。
私のことが大っ嫌いで憎くてたまらない。そんな顔で私を叩いて痛がる私、押されて倒れ泣く私を見て喜んでいた。
知らない大人たちが来て助けてくれたこともあった。だけどなぜかあの人は迎えに来て言う。
「叩いてごめんね。本当は絵美のこと叩きたくないの、だって愛してるんだもの。ねえ? お母さんのこと許してくれる?」
って泣きながら抱きしめてくれて。そのたび幼い私は「うん」って言って一緒に帰った。その日だけは手を繋いで歩いてくれて、帰りにファミレスで好きなもの頼んで良いよって言ってくれるから……。
私の記憶の中で笑っているお母さんは迎えに来てくれたときと、ファミレスでご飯を一緒に食べているときだけ。
でもその笑顔が見たいから私は次の日から叩かれるってなんとなくわかっていても一緒にいることを選んだ。
そんな幼少期をすごした私の末路は……
絵美が踏みつけた足に体重をかけて私を押しつぶそうとしてくる。
「笑顔が見たい? そんなことを思った末路が今の私たちなの忘れたの」
息を切らせ喋る絵美の言葉に私は目を見開く。
お母さんが私を愛することはなく結果は道具置き場に閉じ込められ……
「再婚の邪魔だからって。反対の言葉をこぼした私をあの人は閉じ込めて、それでも反対した私をスコップで叩いて山に埋めたあの人を忘れて平和に過ごすあんたがムカつくって言ってんの!」
思いっきり脇腹を蹴られた衝撃と共に私の頭に映像が思い浮かぶ。
閉じ込められた小さな小屋で喉の渇きと飢えに苦しみ、外の世界を求め一瞬だけ見えたビルの柵の向こうに飛んで自由になることを望んだ地獄のような数日間。
一気に思い出したせいで頭が痛くなって頭を押さえる私に近づいて来た絵美が屈んで私の髪の毛を乱暴に掴んで無理やり顔を絵美の方に向けてくる。
にたぁっと笑う表情に嫌悪感を感じつつ体と頭の痛みに耐えることに必死な私はどうすることもできずなんとか開けた片目でにらむのが精いっぱいだった。
「やっと思い出した? あんたの名前は澤崎絵美。実の母親に殺された可哀そうな女なの」
そう言って私の顔を叩く絵美を直視できなくなった私は目をつぶってしまうが、頬を叩かれた衝撃で目を開けてしまう。
「思い出したんでしょ。ほらこっちに来て私と一緒にあのムカつく女に復讐しよう。死ぬ間際そう強く願ったじゃない」
絵美が伸ばした手を見つめる私はあの日のことを思い出す。
振り下ろされるスコップの背後に見えたお母さんの憎しみに満ちた表情。そして喜びに満ちた目。
この女を私は許さない。土をかぶされ真っ暗になっていく意識の中で心にそう強く誓った私は……
まだ痛みの残る脇腹から手を離して絵美の手に向かって手を伸ばす。
もう少しで手と手が触れそうな距離まで手がきたとき、絵美が待ちきれないといった様子で手を伸ばしてくる。
その表情と私が嫌いな女の顔がすごく似ている、そんなふうに感じたとき無意識に絵美の手を叩いて拒絶してしまう。
手を押さえて驚いた表情で私を見る絵美の表情が一転、憎しみにあふれたものとなる。
「む、ムカつく、ムカつくって……その気持ちはわかるけど今の顔を自分で見てみてよ。ムカつく女にそっくりだし」
喋るたび胸やお腹に走る痛みに耐えながらも必死に声をしぼり出す。
私の言葉に絵美は顔を引きつらせ自分の顔に触れて確認するような仕草をする。
「そもそも私たちとか言ってるけど、私は私だし絵美じゃないから」
「なっ、なにを言ってるのよ! 私とあんたは同じ人間なの。記憶が戻ったならわかるでしょ!」
声を荒げ訴える絵美をゆっくりとだが体を起こして座った私は真っ直ぐ瞳にとらえる。
「絵美こそ覚えてないの? 復讐しようと憎しみに沈み溺れる一方で、生まれ変わって全然別の人生を幸せに生きてみたいって願ったことをさ」
私の言葉にハッとし目を見開く絵美に今度は私が手を差し伸べる。
「絵美こそどう? 私と一緒にメー子として幽霊生活楽しんでみない?」
私の発言に絵美は驚きを隠せないのか目を丸くしてただ私のことを見つめている。




