眠たい幽霊
晩御飯を食べていつものようにお風呂へと入り寝る準備をして明日の仕事に備える。メー子に「おやすみ」を言ってベッドへ向かうそれらの行動はルーティンであり、変わらぬ日常の証でもある。
ただいつもとちょっと違うのは今日酒井さんの家で写真を見たときのメー子の様子がおかしかったことが気になったから一言声をかけたこと。
「あれから調子はどう? 気分悪いとかない?」
僕が声をかけるとメー子はふっと笑い僕の鼻先を指先で突っつく。
「大丈夫。それよりも明日仕事だから早く寝なきゃ」
「ならいいけど……」
笑顔で僕を見つめるメー子にこれ以上追求するのはやめておこうと思った僕も微笑み返す。
「おやすみ」
「うん、おやすみ」
手を振るメー子に背を向けてベッドのある部屋へ向かうと、そこで仰向けになった僕は天井を見つめる。
「大丈夫かな」
今日あったことを思い出していた僕の口から自然にメー子を心配する言葉が出てしまう。本人はなんともないと言っていたが、写真を見たときの青ざめた表情を見た僕からすれば大丈夫だなんてとても言えない。
記憶を取り戻したいという本人の希望を叶えてあげたいけども苦しんでまでやる必要はないと思う。それに最初の方で僕が懸念していた、記憶が戻ることで今のメー子ではなくなってしまうことの不安が大きくなってしまう。
やっぱりやめようか、メー子を心配する気持ちと僕のわがままな気持ちが入り混じってそんな気持ちが大きくなっていく。
「明日言ってみようかな」
別に記憶を戻す手伝いをしないわけではないが、今の状態を続けるのは心配だ。だから一時的でもやめた方がいい、そう結論を出した僕は明日メー子に提案してみようと考えながら静かに目をつぶる。
色々と考えていたら眠れないな、そんな風に思っていた僕だったが思ったよりも疲れていたらしく気づけば眠りに落ちていた。
すごく真っ暗な世界で僕は小さな声を聴いた。それはかぼそくて今にも消えてしまいそうな声だった。
暗すぎてどこからその声が聞こえてきているのか分からないが、それでも僕は声の主を探すため周囲を見渡し耳を澄ませる。
声が小さすぎて何を言っているかはわからない。だけどなんとなく泣いているような気がした。
暗闇で声がしていると感じた方へと僕は一歩踏み出す。
その瞬間だった。足下がふわっとした感覚に襲われ続く浮遊感に慌てて体を起こそうともがく。
だが落ちていく体をどうすることもできず体を硬直させた僕は大きく目を開く。
大きく開いた目が映す視界には見慣れた天井があった。
「ゆ、夢……」
しばらく天井を見つめていた僕はさきほどの出来事が夢だったのだと気づきそれを言葉として口に出す。
俗にいう階段を踏み外す夢を見て目が冴えてしまった僕は体を起こすとスマホを手繰り寄せる。
時間は深夜の1:30。起きるには早すぎるし、まだ寝る余裕は十分にある時間。もちろん寝直すことを選んだ僕は目をつぶる。
だがすぐに目を開けた僕は体を起こして耳をすませる。
かすかだが聞こえてくる音に集中すると妙な胸騒ぎを覚え、そっとベッドから降りて音のする方へと向かう。
住み慣れた部屋だが音の発生源を探りながら歩いた記憶はないので妙な緊張感が僕を支配する。暗闇が見慣れた部屋の様子を塗り替えているせいで、未知なるものが待ち受けているかもしれないといった恐怖感が漂う。
ただ今は同居人であるメー子がいるので十中八九彼女だと思うのが救いである。まあ幽霊なんだけど。
そんなことを思う自分に苦笑しつつ、リビングで寝ているはずであるメー子を起こさないようにとドアをそっと開ける。
日頃ソファーで寝ているとメー子から聞いていた僕は辺りを探すがメー子の姿はない。
暗闇にだいぶ慣れたきた目を凝らして部屋を隅々まで見渡すと、テレビの裏で何かが動いた気がして近づいた僕は裏側を覗く。
そこには壁とテレビの間にある隙間に顔が浮かんでいた。正しくは体は壁の向こうに、頭上をテレビにめり込ませたメー子がしかめっ面で浮いていたわけだが……。暗闇に浮く顔に驚いた僕は叫びそうになるが、声を出さないように口を手で押さえる。
口を押えたままメー子を見ると苦しそうな表情で唸っている。
これが音の正体だとわかった僕はホッとする一方で寝苦しそうな表情に心配する気持ちと、そもそもなんでこんなところで寝ているのだろうという疑問が同時に湧いてくる。
いつも寝ていると聞いていたソファーとメー子を交互に見て僕はあることに気づき頭を殴られたような衝撃を受ける。
メー子は僕に触れていないと他の物に触れられないのにソファーで寝られるわけがないのだ。なんで今までそんなことにも気づかなかったのだろうと自分の浅はかさに呆れてしまう。
小さくため息をついたその瞬間だった、目をパッと開いたメー子と目が合う。
「うわああああっ⁉」
叫びながら飛び跳ねたメー子のおでこと僕の顔面がぶつかり二人ともそれぞれ後方によろけてしまう。
「あいたたた」
「くぅっっ……いたいぃぃ」
鼻を押さえる僕をおでこを押さえるメー子が涙目でにらむ。
「なんでここに恵人がいるの」
「あ、いや……苦しそうな声が聞こえたから気になって来たんだけど。そ、それよりもなんでテレビの裏で寝てるの?」
曖昧に答えた僕が質問で返すとメー子が小さく口を膨らませて恥ずかしそうな表情をする。
「だって浮いてるから……それに恵人から離れたら触れられないから横になってたら流れてあんな感じになっちゃうんだもん」
メー子がぷうっと頬を膨らましておでこを手で押さえる。
「でも起こしてくれてありがと。なんか変な夢見てたから」
「変な夢?」
「うん、変な夢。真っ暗な中でなんかこう……とにかく変な夢」
おでこを押さえたままメー子が言う変な夢と先ほどまでの苦しそうな声が繋がるような気がして尋ねると、口を尖らせてぽつりと答えてくれて自分の両手を見つめる。
「ずっと夢なんて見なかったのに、それに寝たのも久しぶりだし」
「え? 久しぶりってどういうこと?」
「それは……だって私幽霊なわけだし眠たくならないもん。一応横になって目をつぶって浮いたりはしてるけど、今日は久しぶりに眠くて目をつぶったら夢見て起きちゃったし。あぁ~もう、空中で寝ると寝返り打ったら流れていくんだからベッドとかで寝れないし」
「でも眠れるなら寝た方が良いんじゃない? ベッドで寝たいなら僕に触れていてればできるんじゃない?」
口を尖らせて不服そうな表情で言うメー子が僕の言葉に反応して顔を向けると目をパチパチさせニヤリと笑みを浮かべる。何か変なこと言ったかなと不安になる僕の手をメー子が握る。
「へぇ~それって私と一緒に寝てくれるってこと?」
「あ⁉ い、いやそういう意味で言ったわけじゃなくて」
自分の発言の意味に気づいて焦る僕の鼻をニンマリと笑うメー子が突っついてくる。
「ち、違うから。ほら、手を握って寝るとかできるんじゃないかなって提案しただけだから」
「ふ~ん、恵人はそういうとこ本当に真面目だよね」
ニヤニヤしながら僕の手を握ったメー子に引っ張られて僕はよろけてしまう。
「じゃあ早速、今日なんか眠いから急いで急いで!」
本当に眠いのかって疑いたくなるほどにテンションが高いメー子に引っ張られ僕は自分のベッドの前にメー子と一緒に並ぶ。そんなシチュエーションにどうしていいかわからない僕は緊張からベッドの中央辺りをジッと見つめてしまう。
「ねえ、横になりたいからしゃがんで」
「あ、ああうん」
メー子に言われて気の抜けた返事をした僕がしゃがむとメー子がベッドの淵に座る。
「うわぁ~ふわふわ」
メー子がベッドの感触を確かめるように手を繋いでない左手で押さえたあと上下に軽く跳ねたあと嬉しそうな表情を見せる。
その表情にドギマギしながら僕は手を伸ばしてメー子が横になるのを手伝う。
「ほんとに一緒に寝ないの? 明日仕事だから横になった方がよくない?」
「い、いいの。座って寝るのも得意だし」
「ふふ~ん。恵人ってばほんと真面目だよね。まあ幽霊の私でも大切にされてるって感じがして嬉しいけどね」
そう言ってメー子が僕の手を繋いだまま枕に頬をこすりつける。
「枕の感触ってこんなんだったっけ?」
そのままスンスンと小さな鼻を動かすとニッコリと笑う。
「恵人の匂いがする」
「おっさんの匂いなんて嗅ぐものじゃないから。枕が必要なら今度買いに行こう。それよりもなんで今まで寝てないことを言わなかったわけ? 寝たいなら今日みたいに手伝ったのに」
自分の匂いが嗅がれるとか恥ずかしい上に、えへへと笑うメー子の顔を直視できない僕がぶっきらぼうに言い放つ。
「えーだって最初に寝る場所決めるとき恵人は別々の場所で寝ようって言ったじゃん。それに私が眠たくなるのって滅多にないしベッドだってすり抜けるから意味ないもん。それにさ、ベッドはすり抜けるからソファーで適当に寝るって言って信じる恵人もどうかと思うけど」
ニシシと笑うメー子に言われ最初のころを思い出して僕は頭を押さえる。
「はいはい、じゃあ私寝ていい? なんかすごく眠いし」
「あ、ああごめん」
僕はメー子の手を握ったままベッドの淵に体を寄りかける。それを見て静かに目をつぶったメー子は安心したように笑みを浮かべて小さく口を開く。
「ほんとにね。すごく怖い夢見てた。暗いところで壁をガリガリってやるの。上に隙間があるんだけど手も届かなくて……どうしようって途方に暮れてたら恵人がね……」
話している途中でスースーと寝息をたて寝てしまったメー子の寝顔を見て本当に眠たかったんだなと思う一方、怖い夢の話が気になった僕はもう一度メー子の顔を見る。
続きが聴きたいが気持ちよさそうな寝顔を見て頬が緩んだ僕は、繋いだ手を改めて握りしめベッドの淵に頭を置く。
また明日話を聞けばいいかと思い僕も静かに目をつぶり眠りへと落ちていく。




