小さな?一歩
昔ながらの和室に案内された僕たちは畳の上に座ると元自治会長の妻である酒井さんが冷たい麦茶をちゃぶ台の上に置いてくれる。
もちろん一つしかない麦茶の入ったグラスの氷が溶けて心地よい音をたてる。
「ビルの歴史に興味があるんですって? あの人の撮った写真が誰かの役に立つなんて趣味ってのもバカにできないものねぇ」
酒井さんが口元を押さえて笑うと一旦部屋を出て大量のフォトブックを抱えて戻ってくる。
「まったく重いわね」
文句を言いながらもどこか嬉しそうな酒井さんは畳の上に置かれたフォトブックを僕はまじまじと見つめる。
「写真ってデーターに撮ってあるんじゃないんですか?」
「ああ多分あるんでしょうけど私わからないから。それにあの人、写真は形にした方が味があるんだって全部現像してたのよ」
現像なんて久しぶりに聞く言葉を口にした酒井さんが可笑しそうに笑うと一冊のフォトブックを広げて僕に見せてくる。
「ほら、これ海の写真なんだけどうまく撮れていると思わない?」
「え、ええそうですね。すごく綺麗に撮れていると思います」
全然関係ない海の写真を見せてくる酒井さんに戸惑いながら僕が答えると、酒井さんはうふふと笑いながら海の写真を指でなぞる。
「この写真私が撮ったのよ。お前は写真のことを何もわかっちゃいないって言われて喧嘩になってから私が撮ってやったのよ。そしたらあの人、私の撮った写真の出来が良くてショック受けちゃってもう、そのときの顔ったら。今思い出してもおかしくって!」
関係のない話で盛り上がる酒井さんだが、写真を見せてもらうためにお邪魔している身としては断りづらい状況である。こういうとき一人だと気持ちだけが急いて調べものが中途半端な結果に終わることが多いのだが僕は一人ではない。
胡坐をかく僕の膝の上にメー子が足を置いて伸ばした手で引き寄せたフォトブックを僕と酒井さんの背後で広げて写真を探しているのでこの時間も無駄にはならないのだ。まあ、二人で探した方が効率はいいのだが酒井さんの話はしばらく終わりそうにもないのでしばらくはメー子に頑張ってもらうことにしよう。
足を伸ばして座りフォトブックを引き寄せて広げる姿は決して行儀のよい姿とは言えないが僕にしか見えないので問題ない。
メー子に視線がいかないように注意しながら酒井さんの話を聞く僕にメー子が手を振って合図を送ってくる。どうやら目的のものを見つけたようだ。
僕は小さく頷くとわざとらしく酒井さんの近くにあったフォトブックに手を伸ばして開く。
「すごく綺麗な写真ですね。酒井さんがお話しされていた通り本当に写真が好きで撮ることを大事にしていたのが伝わってきます」
「そうなの。あの人撮った写真も自分の一部だって大事にしてたの」
「自分の一部って素敵な言葉ですね」
僕の言葉に目を細めて嬉しそうな顔で何度も頷いた酒井さんがハッとした顔をして口元を押さえる。
「あらっいけない! しゃべり過ぎたわ。写真を見に来たのに邪魔してごめんなさいね」
「いえ、素敵なお話が聴けて良かったです」
僕の言葉に笑顔を見せた酒井さんはそそくさとその場をあとにする。部屋から出て行ったのを確認して僕はメー子に近づくと広げてあるフォトブックを覗く。
そこには僕の会社のあるビルと思われる屋上の写真が並んでいた。
思われるというのは今僕が知っている屋上とは違い緑が多く、地面も土が敷かれているからだ。でもところどころに見覚えのある壁や風景が見え写真に写っている場所が僕の会社の屋上であることを確信する。
「おじさんが言ってた通り野菜が沢山あるんだね。柵も今と違って簡単な作り」
メー子が写真に写っていた畑の後ろに見える柵を指さす。
「うねもあるから根野菜とかも作ってたんだ。ほら、こっちは芋掘りの様子があるし結構本格的だ。えーっと……」
僕は次のページをめくって別の写真を探す。
「こっちはナスの収穫? あぁ秋ナスの収穫って書いてある。それから……」
僕は写真に写っている風景だけでなく映っている人も注意深く観察する。
「これ……」
ふとメー子が写真に写る人物を指さす。声の調子がいつもと違う感じした僕がメー子の顔を覗き込むと見開いた目で一人の人物を見つめている。
視線と指の先にあるのはナスを収穫するためにハサミを茎に当てる一人の女性がいた。
「この人がどうかした? 知り合いとか?」
「う、ううん。わかんない。でもなんか嫌な気分になるっていうか、なんとなく気持ち悪い……」
青ざめた顔で胸を押さえるメー子が心配で手を思わず握ってしまう。僕の行動に驚いた表情をしたメー子だったがすぐに笑顔を見せてくれる。
「大丈夫。なんか嫌な感じがしただけ、でもそれって真実に近づいてるってことっぽくない? だからもっと調べてみようよ」
そう言って次のページを開いたメー子の手が再び止まる。
今回の自治会を招いたベントで行われたであろう秋の収穫祭で収穫された野菜たちが乗った台の後ろに数人の男女が並んでいる写真。いわゆる集合写真というやつだがメー子は小さく首を横に振りながらその写真から逃げるように体を遠ざける。
「だ、大丈夫……大丈夫だから。なんだか変な感じがしただけ。うん、大丈夫」
僕が声をかける前にメー子が笑顔を向けるがその笑顔はどこかぎこちなく顔は青ざめている。
写真を見たことが原因なのは明らかなので、僕はフォトブックを閉じようとするがメー子が僕の手を握って阻止してくる。
「大丈夫だって。ほらっ、記憶が戻るときに脳が情報を処理しきれなくて混乱するとかそんな感じだよ。この前に読んだ漫画でそんなの見たもん。だからいい傾向なんだって」
一理ありそうなことを言われ僕はフォトブックを握っている手の力を緩める。
「酒井さん家に何度もお邪魔するわけにはいかないし、今見ておかないと」
「だけど……辛そうだし無理はさせたくない」
記憶を戻したいというメー子の願いを手伝いたい一方で、記憶がなくても今までやってこれたわけだし無理してまで戻す必要はないんじゃないかといった気持ちの間で僕の心は揺れる。
そんな気持ちを知ってかはわからないがメー子は微笑むと握っていた僕の手を自分のもとに引き寄せて抱きしめる。
「ありがと、私は大丈夫だよ。それに恵人が一緒にいてくれるから完璧」
照れ気味だがハッキリと言われた僕は恥ずかしさからメー子を直視できずに目線を下に落としてしまう。
「ってことで写真見ようよ」
僕の手を離したメー子がフォトブックを開くと先ほどの集合写真をチラッと見て次のページをめくっていく。だがすぐに眉間にしわをよせて渋い顔をする。
「う~ん。ここからはあんまり関係なさそう」
「他のフォトブックも探してみる?」
「たぶんこれで全部だと思うよ。だって表紙にそうやって書かれてるし」
メー子がフォトブックを閉じて隅の方に走り書きされている文字を指さす。そこには『自治会活動・ビル屋上秋の収穫祭参加』と書かれていた。
なるほど、これが書いてあったからメー子は数冊あるフォトブックから迷わずこのフォトブック選んだのだと今更気づき感心する。
「ひとまずもう一度確認して写真を撮っておこう。それなら今無理して見なくてもいいし、あとで見返すこともできるし」
「おぉ⁉ たしかに! 恵人天才!」
パチパチと手を叩いて褒められた僕は嬉しくて照れつつも、それを表情に出さないように注意しながら小さく頷く。
「じゃあ早速撮っていこう」
僕はスマホを手に取りフォトブックの中からビルの屋上に関係のある写真を一枚づつ撮っていく。メー子と一緒に撮り終えたところで酒井さんがちょうど戻って来てケーキを用意したから食べて帰ってと強く押され、断り切れなかった僕は隣で凄い顔でガン見するメー子の視線を受けながらケーキを食べるのだった。
もちろん帰りにケーキ屋さんに寄ってメー子のケーキを買うことになったのは言うまでもない。




