藁にもすがる気持ちに触れて
メー子の活躍により順調に釣果を伸ばしていく僕は、たくさんの魚が泳ぐクーラーボックスを見て不安に駆られてしまう。
(これもって帰って全部さばくのか)
最初こそ釣れた嬉しさで舞い上がっていたが、こうも釣れてしまうと飽きてくるというかクーラーボックスに増えていく魚をさばくことを想像すると不安の方が大きくなってしまうのだ。
ただでさえ魚をさばくこと自体に不安があるのだから、仕方のないことだと思う。すぐにやめればいいのだが、そうできないのは……
「恵人! あっちにも魚がいるよ!」
海に飛び込んでは魚の居場所を教えてくれるメー子に何と言って止めてもらうかを悩んでしまう。
すごく楽しそうに海から顔を出して手を振る姿を見るとなかなか言いづらいが、クーラーボックスを見るとさすがにこれ以上入れるのは難しいのは釣り初心者の僕にも分かる。
周囲を見回して他の釣りをしている人たちにバレないように僕は海にいるメー子に手招きをする。
「うん? わぁーいっ!」
手招きを手を振ってくれたと勘違いしたのか、めちゃくちゃ笑顔でメー子が手を大きく振り返してくる。
違う、違うと僕が手を仰ぐと、今度は顔の近くで両手を可愛く手を振ってくる。
笑顔で僕に向かって小さく手を振るメー子が可愛いとかそんなことが頭をよぎるが、首を横に振って振り払う。
声をかけるため仕方なく釣り竿を置いて柵に手をかける。
「そろそろやめようと思うんだ」
大声を出すと目立つ、と言っても他の人にはメー子は見えていないはずだから海に向かって話しかけている時点でかなり目立っているはずだ。
「んー? なに?」
小声だったせいで聞こえなかったメー子が僕の方に近づいてくる。
そのときだった、少し離れたところが騒がしくなり僕とメー子はそっちの方を見る。よく見えないが数人の大人が騒いでいるようだ。
大物がかかったのかな? なんてのんきなことを考えた僕は再びメー子に声をかけようとメー子の方を向く。
落ち着け! ━━顔を━━まれ‼ ━━あぶなっ━━
切迫した数人の大人の声がとぎれとぎれに聞こえてくる。声の感じから何かよくないことが起きていると感じた僕は騒ぎの方へと顔を向けるが、何が起きているかは確認できない。
興味本位で近づいて野次馬になって邪魔も悪いなと思ったとき騒ぎが僕の方へ近づいてくる。と同時にメー子が声を上げる。
「恵人! 人が流されてる!」
緊張したメー子の声に反応した僕の視界に海に流されている男の子の姿が映る。海の流れがそうなっているのか、僕の近くへ流れてくる男の子は防波堤の壁に近づき、大人たちが必死に「壁を掴め」と叫ぶが、それは叶わず一度壁にぶつかって再び沖へと向かって流され始める。
オレンジ色をしたベスト型の救命胴衣を着ているがサイズが合っていないのか、海面に救命胴衣が浮いてしまい男の子の体から外れそうになっている。そのせいで男の子は海面にギリギリ顔を出せている状態で、顔に海水を浴びながら必死に息をしているのが離れていても分かる。
「ど、どうしよう……ねえ恵人どうしたらいい?」
海から上がってきたメー子が僕にすがるような声を出す。メー子の焦った声が僕の心をざわつかせ、冷える体から汗が噴き出す感覚がやけにリアルに頭の中に伝わってきて思考を煮詰まらせる。
飛び込むか……いや、泳げないことはないけどここ数年泳いでないし、服を着たまま泳ぐのは危険なはず。沸騰しそうな頭の中で必死に冷静であろうと、これまで得た知識を引っ張り出す。
「浮き輪……何か浮く物!」
僕は周囲を見渡して浮き輪になりそうなものを探す。ふと僕の足下にある魚が泳いでいる発泡スチロールでできたクーラーボックスが目に入る。
「浮きそうだ」そう思ったときにはとっさに体が動いて、中に入っている魚を海水ごと海に捨てクーラーボックスを男の子目掛け投げる。
今ならまだ届くと思って投げたクーラーボックスだが、突然吹いた海風がそれを邪魔する。ぽちゃんと小さな音をたてて落ちたのは男の子から離れた場所だった。
それを見た他の男性が自分の釣り竿を伸ばしてクーラーボックスを突っついて押そうとするが、柔らかい竿先が触れたところで波に揺れるクーラーボックスが動くわけもなく徒労に終わる。
そんなことをしている間にも必死に息をする男の子が流され離れて行く。
溺れている人を助けるのは難しいと聞いたことがある。だけどクーラーボックスを掴んで男の子に渡すだけならできるかもしれない。
そう考えたときには僕は上を脱いでシャツ一枚になると、柵に飛び乗り海をにらむ。
僕の行動に色々な声が飛び交うが耳には全く入らず、ただ揺れる波と流れる男の子、そしてクーラーボックスだけが僕の目の前にある。
まるで海には僕とクーラーボックスと男の子しかいない、そんな世界。
飛び込んだ僕に海水が絡みつく。何年ぶりに泳いだか分からないが、必死に水をかきクーラーボックスへと進む。海の水ってこんなに重かったっけ? 一瞬疑問が頭に過るが目の前にあるクーラーボックスが段々と大きくなってきたことでそんなことは忘れ必死に泳ぐ。
海に浮かぶクーラーボックスを掴んだ瞬間、体が浮くような感覚を得る。これなら助けられる。
そう確信できる浮力感に僕はクーラーボックスを掴み男の子の元へと泳ぐ。浮力を得た分泳ぎやすく、男の子も僕に気づき必死な形相で視線を向ける。なんでもいい、まさに藁にもすがる思いを含んだ視線に掴まれ引っ張られそうな感覚になる。
足で水を蹴り男の子の元へと近づけたのは、男の子自身も必死に足をばたつかせ僕の方へ向かおうとしてくれたからかもしれない。
僕は手を伸ばしクーラーボックスを男の子へ渡そうとする。男の子が伸ばした手がクーラーボックスに触れそうになり安堵する。
次の瞬間だった僕の手を男の子が掴む。
「たすっ、けてっ!」
海水を飲みながら叫ぶ男の子の声と共に僕は海面から海の底へと引っ張られる。何が起きたかを理解するよりも反射的にクーラーボックスを掴むが、中途半端に伸ばした手からあざ笑うかのようにクーラーボックスが離れていく。
視界が水だけになる。そのときになって僕の体にまとわりついていた水が海の底へと引っ張ってくる。もがくが海水をふんだんに含んだズボンが足に貼りついて自由を奪う。
男の子と水に引っ張られ真っ暗な海の底へと沈んでいく僕は息苦しいのも忘れてしまう。ここで終わる? そんな思いが頭をよぎると両親の顔が浮かび、幼いころの僕と両親、幼稚園に行った思い出が流れ始める。
古い映画のフイルムのような場面場面のコマ送りが流れる、それが走馬灯という人生のエンドロールなのだと認識した僕は驚くほど冷静に観客者としてエンドロールを見ようと目をつぶる。
「恵人! 絶対に助けるから‼」
静かなエンドロールをぶち壊す声に僕は目を開ける。
海底からメー子が僕目掛け急浮上してくる。目と目が合うとメー子は一瞬微笑むがすぐにキッと表情を険しくしてそのまま僕の腹に頭突きをする。
ごはっ⁉ 体の中にあった空気が漏れ一気に息苦しさを覚える。
死にたくない!
息苦しさが生きたいという思いを蘇らせる。
メー子が僕の下に体をぶつけたことで、メー子自身が持る浮力と合わさって僕と男の子の体が沈むのを止める。メー子が男の子の手を掴むと強引に僕から引き離す。
気を失っているのか動かない男の子は僕から手を離したことで、救命胴衣の持つ浮力に引っ張られて海面へと浮かんでいく。
「恵人! 泳いで!」
海中でもはっきり聞こえるメー子の声が心強く、僕に冷静な判断を与えてくれる。足をゆっくりと動かし、メー子と一緒に海面へと向かって進む。
「っげほっ、はっ、ごほっ、はぁはぁあ」
海面に顔を出すと同時に大きく息を吸ってしまい器官に入った海水でむせてしまう。
「恵人……」
咳き込みながらもハッキリと聞こえるメー子の声に我に返れた僕は周囲を見回して男の子を探す。
救命胴衣から伸びる紐をメー子が掴んでいてくれたので、男の子は僕のすぐ近くに浮いていた。気を失っていて力が入っていないのが良いのか仰向けで浮かんでいる。引き寄せると肩が上下に動きちゃんと息をしていることが分かってホッと胸をなでおろす。
「よかった……。メー子ありがとう」
「うん、どういたしまして」
そう笑顔で言うメー子がやけに近いことに気づく。浮かび上がる際メー子を抱きしめていたらしく、今僕に強く抱きしめられたメー子が頬をむにっと潰した状態で僕に体を寄せる。
「ちょっと苦しいけど、もうちょっとこのままでもいい」
ぽっと頬を赤らめるメー子を直視できない僕だが、そのおかげで冷静になって落ち着きを取り戻す。
「この子を連れて帰ろう」
「うん。私、浮けるからこのままでいいからね」
そう言ってガッチリと僕にしがみついたメー子と共に男の子を連れて防波堤へと泳ぐ。防波堤には誰かが呼んでくれた消防隊員たちがいて、縄梯子をおろして僕と男の子を引き上げてくれる。
応急処置を受けて救急車に乗せられる男の子と、何度もお礼を言いながら乗り込んだ父親の二人を乗せた救急車が出発するのを見送ったあと僕は、消防から簡単な体の検診と警察から事情聴取を受け開放される。
「服びしゃびしゃだ……」
今更ながら自分の服が濡れてどうやって帰ろうかと悩む僕だが、近所に住んでいる人がシャワーを貸してくれ服までくれて事なきを得る。
「魚がなくなってしまったけど、晩御飯……」
一息ついて落ち着いた僕がさっきから大人しいメー子に話かけるとメー子は神妙な面持ちで自分の手をじっと見ていた。
「どうかした?」
「う、うん……あの男の子必死だった……死にたくないって。生きたいって……」
「そうだね、でもメー子のおかげであの子も僕も助かった。メー子がいなかったら確実に僕たちは溺れていた。本当にありがとう」
「うん、恵人たちが助かってよかった」
ぱあっといつもの笑顔に戻ったメー子がお腹をさする。
「お腹空いた。夜ご飯何にする?」
「駅近くのラーメン屋さんとかどう?」
「おでんがおいしいとこだよね! やったぁーっ‼」
ぴょんぴょんと跳ねるメー子に明るさに僕は先ほど見せた何かを思いつめたようなメー子の表情を忘れてしまう。
今日という非日常的な出来事に体がふわふわしたような感覚に陥っているが、ご飯をたくさん食べていつもの日常に戻ると、メー子とのいつもの日々がこれからも続くのだと疑うことなくラーメン屋に向かうのだった。
日常……
非日常的な幽霊であるメー子が僕の日常にやってきてから非日常よりになったはずの僕の生活は、いつの間にかメー子がいることが日常となっていた。それが僕の人生において良いことなのか、悪いことなのかはこのときはまだ分からなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。この話にて第一章は終わり第二章へと入ります。
第二章ではメー子がなぜ幽霊になってビルの上にいたのか?本名は?など明らかになっていくはずです。そして恵人との関係、二人がどこへ向かって行くのかなどなど楽しみにしてもらえればと思います。
コメント、評価などいただけると執筆のモチベーションになりますのでよろしくお願いします。




