1977年6月前半
6月1日(水)
英熟語の終了予想は6月20日頃とみているが、今6月のその残りの10日間をどう使おうか迷っている。派生語をやりたいが、ノートに書き出している基本英単語も重要だし…。
まぁあと20日あるからゆっくり考えるが、どうも基本単語の方をとるような気がする。まだあと3ヶ月英語の勉強をするが、その間にも知らない英単語がでてくるだろう。その都度、ものにしなければならない。
6月2日(木)
俺はそれほどKGI大学に固執する必要はないのではないか。SNG大学でもHO大学でも、もっとも去年HO大学を受けなかったのはどうせ落ちると分かっていたからだが、史学は勉強できる。
何と言っても東京だから金が掛かり過ぎる。これだけ勉強すれば、来年はHO大学なら何とか合格できると思うんだが、できることならSNG大学の方に受かりたい。学費が安く難関なので魅力的だ。
言葉で与えた傷は刀で与えた傷よりも深い。
6月3日(金)
二度も失敗を犯してしまった。18時頃、レコードを聴いていたら、お袋が、「頭痛で寝とるせん低うしろ」と言ってきたのでムカついて反抗した。
今日はキャッチボールをしようと言って来なかったので、てっきり哲が寝ているのかと思っていたら、賢二だった。二回目は、分かっていたのにまたボリュームを高くしてレコードを聞いてしまった。
〇〇がテープを取りに来たが、帰り際ぽつんと、「高校時代、今の湯村くらい勉強しとったらSNG大ぐらい合格したばってん」
解説;〇〇の部分、漢字が判別できない。テープとは、楽曲テープのことではないだろう。卒業打ち上げで、女子に電話したときの会話を録音した覚えがある。もしかしたら、そのテープのことではないだろうか。録音した音声には雑談も入っていて、女子みんな良い声をしていた。高校在学中が思い出して懐かしくて、何度聞いても聞き飽きなかった。
6月4日(土)
昨日本屋に行ったらH・Nに遇った。「漫画本ばっかり見よるやっか」と俺を冷やかす。仲間内では、俺が予備校に行かず宅浪して一人で勉強していることが知れていたので、拙いところを見られたなという思いだった。
後で考えてみたが、何も他人に、俺はこんだけ頑張ってるんだという姿勢なんか見せる必要はない。要は、この一年間の受験勉強計画を確実にやり遂げればいいだけの話だ。来年は間違いなく合格だ。
6月5日(日)
数日、哲が俺にキャッチボールをしようと言って来なかったので、ちょっと寂しかった。今日、久しぶりにやった。硬球を使ったが、何か軽く感じて球速が出てなかったように思う。
球を上空高く上げるとき、人に見られている宿舎と自然と張り切ってしまう。鉄道宿舎の俺の家の隣、小野のおんちゃん(おじさん)に、「ひゃー、高く上がるね」と持ち上げられて調子に乗って何度も投げたため、肩が怠くてしょうがなかった。新幹線宿舎は今日も宴会でギャーギャー騒いでいた。
解説;鳥巣は鉄道の街で、九州では最大級の機関区があった。俺が住んでいたのは、鉄道宿舎でも在来線勤務者用の木造平屋建ての古い二世帯居住の長屋だ。
俺が高校のとき、新幹線が博多まで延長され、それに伴って、モダンな鉄筋コンクリート二階建て、数世帯が居住できる庭付きの宿舎が三棟、鳥巣のこの土井町に建てられた。入居者は20代、30代が中心だった。だから、新幹線宿舎の子供は園児とか小学生で、まだ小さかった。
6月6日(月)
J・Hがバイクを借りに来た。彼の場合は用がはっきりしているから、長居による勉強の邪魔を恐れる心配がないから応対が楽だ。
本当にこれが最後と思うが、勉強の計画を変更した。いつものように哲とキャッチボールをやったが、新幹線宿舎のガキがちょろちょろして目障りだ。
20時から「華麗なる刑事」をいつも見るのだが、賢二(あいつはもう他人同然だ)がチャンネルをころころ変えやがるので、見る気が失せて20時から勉強を始めた。
解説;東京の新宿や渋谷などを管轄に持つ『南口署』刑事課に所属する、ロサンゼルス帰りの高村一平(草刈正雄)と、鹿児島出身の九州男児南郷五郎(田中邦衛)。この全くタイプの違う二人が、コンビを組んで事件を解決するアクション刑事ドラマ。1977年東宝が製作、フジテレビ系列で放送されていた。
6月7日(火)
14時頃、郵便局のバイクが止まったので、世界の歴史が配達されてきたのかと思ったら、辻さんから送られてきた正月に写した写真だった。辻旭の妹も映っていたが、「あい(奴)には妹も居ったんか、綺麗になったな」と羨ましかった。そしてあれから9年も経ったのかと、改めて過ぎ去った月日を想った。
写真には従妹のまち子や親父、お袋、賢二も映っていたが、俺は撮り手だったので居ない。
解説;「俺にまだ足があった少年時代」もFC2ブログにアップしているが、そこに少年時代の俺が生き生きと描かれている。
俺が住んでいた猪町町の御堂住宅は縦5列、横は西棟、中棟、東棟の3列の長屋で一棟二世帯だ。木村家は中棟5列目左に居住していたが、辻家は東棟5列目左だ。この町営住宅は炭鉱住宅として建てられたが、俺が引っ越してきたときにはもう御堂炭鉱は閉山していた。
現代の世知辛い世の中では、隣の住人の顔も知らない、例え知っていたとしても言葉なんても交わしたこともないというのはザラで、その関係性は非常に希薄で、他人にはあまり関わりたくないというのが本音だ。だが、俺の少年時代の町営住宅は、住民同士、みな親戚付き合いみたいに親密だった。
辻旭は俺の弟の賢二と同級で、俺たち家族が鳥巣に移る一年ほど前に松浦の今福に引っ越して行った。別れるとき、とても悲しかったことを覚えている。でもなぜか、辻旭と遊んだ記憶は薄い。
6月8日(水)
哲が塾に行っているが、先生はSNG大生とのことだ。それを聞いて、SNG大生だったら塾講師もできるんだなぁと改めてその威力を知った。俺も教えるのはそう嫌いな方じゃないから、来年合格したら家庭教師くらいはやりたいものだが、顔と相談せねば。でも去年だったら、英語の主語・述語も教えきれんやったろうな。
6月9日(木)
起きて直ぐは中々飯を食う気になれない。焼きそば屋の前まで行って、暫く考えたが、やっぱり食う気になれない。Aコープに行ってパンを買うつもりだったが、ふと二階に上がったら食堂があったので、思い切ってカレーを注文した。あまり美味くなかった。
哲とのキャッチボールのとき、腕を見たら、サロンパスを貼っていた部分が赤くなっていた。その上肩が痛くて初めのうちは上手く投げられなかった。
解説;この頃の鳥巣で大きなスーパーと言ったら、大正町のAコープか、古野町の鳥巣ストア、東町の銀鳥くらいだった。俺は浪人中はAコープばかり行っていた。
6月10日(金)
小学校三年のとき、永田先生に悪戯の罰として、たかぼと一緒に一年生の教室に送られたことがあった。このとき、俺には恥ずかしさなんて微塵もなく、むしろ得意満面だった。今考えると、俺にもそんな無邪気なときもあったんだなぁと不思議なくらいだ。
三年になるとき永田は怖いと聞かされていたから、日曜日の夜など、学校に行きたくないと真剣に悩んだり、帰りの教室掃除のときなど、自然と涙が込み上げてきたりしたもんやな。
6月11日(土)
小さい頃、俺は弱虫で臆病だった。猪町の中野から船ノ村のお袋の本家まで帰って来るとき、2・3人のガキに眼つけられて尻ごみし、通常のルートを外れて斜面を駆け下り田んぼに逃げ、本家まで戻った。
小学生の頃にはいろんな悪さをしたが、ガキ大将にはなれなかった。女子に悪戯をして困らせたということもなかった。いや待て、二年生のとき一度、岸川を叩いて佐藤先生に怒られた。この前、岸川と福田良子が一緒に夢の中に現れた。
解説;岸川は鮮明に覚えているが、福田良子は全く記憶にない。
6月12日(日)
もしも、猪町中学一年の同窓会をすることがあったら勿論行くが、大渡と江頭に会ったら一言言ってやりたい。大渡には一度反抗して、奴にそっちがその気ならこっちも言うことがあるぞと脅されて、気圧された。直感的に足のことだと察し、しゅんとなるしかなかった。
当時、俺は義足である左足に酷い劣等感を持っていたから、足のことに触れられると、黙り込むよりしようがなかった。
江頭には外庭掃除のときの一言、「わぁがの足、曲がるとか」は心にずんと堪えた。何も言い返せなかった。奴には転校して一度、夏休みに会ったことがある。小学中学のときにはあんなに背が高かったのに、俺と変わらなかった。この二人には文句だけでなく、殴り掛かってやりたい。
6月13日(月)
猪町小学校では四年生から鼓笛隊の仲間入りをするが、入隊したてはほとんど笛にしかなれなかった。これは男子の場合で、女子は小太鼓にはなれた。唾で汚い笛を懸命に拭きながら、小太鼓を叩く女子が羨ましかった。
そんな俺だから、五年生のときジャンケンに勝って中太鼓を手に入れたときは、その場で小躍りしたいくらいに嬉しかった。でも残念なことに、五年生の3月20日に交通事故に遭ったため、実際にパレードできたのは駅伝大会の一度だけ。無念だ、あれだけ欲して獲得した中太鼓だったのに。
6月14日(月)
起きたら12時を過ぎていた。4時には寝たのに納得いかない。昨日本屋に行ったらマーガレットがやっと来ていた。ついでにコミックも来ていた。金の持ち合わせがなかったので、コミックの方は18時頃、買いに行った。二つとも7月号はあまり面白いのが載ってなかったのでガッカリだ。その中で槙村さとるの『青春志願』だけが真面だった。
庭に出てみたら、ついこの前まであんなに小さかったキューりの実が食べられるくらいに大きくなっていたのにはびっくりした。ちゃんぽんを食いたかったのに、またまた食えなかった。残念!
解説;ネット検索して、槙村さとるが女と知ってびっくりした。それも俺のたった2個上だったとは。てっきり男の少女漫画家だと思っていた。後、『青春志願』にはいろいろと影響を受けた。
6月15日(火)
もう鳥巣に来て6年目になるが、5年前の3月25日は想い出深い一日だった。転校する俺のために、新原とたかぼが釣りに連れて行ってくれた。
口ノ里の江迎湾沿いを釣り回った。釣果は小鯛一匹だったが、楽しかった。帰り掛けにひとつ格好つけてやろうと坂を自転車で駆け下ったら、転倒して足を酷く擦り剝いて、後々まで傷跡が残った。
引っ越しの当日、誰か見送りに来てくれるかなと期待していたが、誰も来てくれなかったので、ああ友達ってこんなものかといつまでも恨根に持った。
鳥巣に来てからも一年のうち、3回は猪町に帰った。初めのうちは哲と二人で行った。鳥巣から急行みどりで佐世保に着き、そこから江迎までは松浦線の鈍行に乗る。船ノ村に着くのはいつも17時くらいになるので、その日のうちの御堂行きは断念せざるを得ない。だから、翌日が待ち遠しくて堪らなかった。
御堂に行くと、確かに俺たちを懐かしんでくれはするのだが、何か味気ない。もう俺はよそ者になったんだなと切実に感じることが何度もあった。
解説;旧猪町町の猪町小学校校区は五つの部落で構成される。深江部落、御堂部落、北猪町部落、南猪町部落、口ノ里部落だ。俺が住んでいたのは御堂部落。あと、歌ヶ浦小学校校区と合わせて、全猪町だった。




