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浪人日記  作者: クスクリ
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1977年10月後半Ⅲ

 10月27日(木)

 漢文が大幅に遅れているので取り返そうと、今日は勉強し始めから手を付けたが、失敗だ。急激な眠気がきてほとんど進まなかった。一番安定している時間に、一番力を入れたい科目をやる。

 今日は昨日よりちょっと早く起きた。この季節、16時には外は真っ暗だ。17時頃も半分眠っていたような気がする。

 新幹線宿舎の子供が豪く騒がしかった。ある子など、泣きじゃくって母親を呼び回っていた。今日、親父たちは宴会だった。

 19時頃、枕を叩いて埃を出し捲ったが、喉が痛くなった。もしかしてその埃、吸ったのか。


 10月28日(金)

 目が覚めて直ぐ机を見たが、金は置いてなかった。これはちょっと拙い。昼飯のことではない。それくらい我慢できる。外に出る用がなくなったということがヤバい。そうなると、二度寝してぎりぎりまで布団の中に居ようと考える。で、起きて直ぐ勉強を始めれば必ず眠くなる。その防止に、1時間くらいバイクでうろつく必要があるのだ。

 うとうとしている内に親父が帰って来て俺に金をくれた、というのは何と夢だった。結局、12時半頃に起きてAコープに行けば買い物中のお袋に会えるかもと行動を起こしたが、無駄だった。そのまま福山書店に寄って漫画本を立ち読みした。18時頃にも、「GORO」を捜しに福山書店の本店に行った。


 10月29日(土)

 今日はちゃんと300円置いてあった。だが、Aコープに紫蘇の握り飯がなかったのは俺にとっては悪夢だ。200円で普通盛りの赤飯があったが、量が少な過ぎる。仕方ないので、ハンバーグパンでも買って帰ろうと思ったが、それもなかった。

 行き掛け、通学路を大勢の女生徒が帰っていた。てっきり鳥巣高生とばかり思っていたら鳥巣商業の女生徒だった。GT50でわざと間を縫うように通った。

 帰りに、次男が今日鳥巣高に商業の演劇部が来ると言っていたのをやっと思い出した。

 またサボり癖が出て来た。紙片に標語を書いて戒めた。


 10月30日(日)

 なるべく無駄な時間を削減しようと努めた。今日は日曜日、「俺たちの朝」は当然観るが、1時間30分で押さえる。

 ちゃんと13時から勉強を始めることが出来たのに、15時頃、居間に顔を出したのがまずかった。親父が西部劇を見ていた。俺は西部劇には目がない。面白そうだったので、夜の「俺たちの朝」よりこっちを選択したつもりで1時間30分観てしまった。最後のシーンで気付いた。この映画、一度観た覚えがある。アホとしか言いようがない。結局、晩飯で30分、「俺たちの朝」も見てしまって1時間、合計3時間も費やしてしまった。風呂には入れない。


 10月31日(月)

 昼、Aコープに入店して、通路で10分佇んで何を食うかじっと考えた。どうしても握り飯を食う気になれなくて、ハンバーグパンを買って帰った。

 昼間は一人じゃないと勉強に集中できない。三男の哲美が隣の六畳の間から頻りに声を掛けてきやがる。つい手混ぜしたくなる。

 この頃は眠気に打ち勝っている。でも、うとうとぐらいはご愛敬だろう。

 お袋が本家の船ノ村のお祭りからウベ(ムベ)を土産に帰ってきた。まち子事件の後遺症から、もうウベを食いたいとは思わなくなった。舟ノ村恐怖症を自覚する。

 俺はあまりにも自分の字や時間に神経質過ぎる。自分の字が下手なのを十分に意識して、ゆっくりと綺麗に書くように努力すればいいではないか。

 ここで俺の雑誌に対する認識を述べておく。夜はポルノ雑誌を見て興奮したいが、直ぐ飽きる。漫画本は面白いが、つい時間を掛け過ぎてしまう。今は、「GORO」が一番良い。見たいときに見れてあまり時間を食わない。何よりも時勢に遅れないで済む。そう言えば、「俺たちの朝」を見ていた1時間、次男の賢二が俺の部屋に入って「GORO」を見ていた。ちょっと嬉しかったのと同時に、その場に出くわすと面映ゆい。


 解説:船ノ村の秋祭り。秋も10月になると、ある味覚が俺を無性に刺激する。そう、猪町の船ノ村の母方の実家に豊富に実るウベ(ムベ)だ。ここ、いとこの家にはうべの他にも、ビワ・柿・金柑・グミ・ゆくりなどの果実があったが、俺の大好物だったのがウベだ。

 庭を挟んで母屋の対面に大きな杉の木がある。この高木にウベが蔓を巻き付けている。5・6メートルはあった杉の木の天辺まで、杉の葉が見えないくらいウベの葉が茂っていた。俺らは、複雑に絡み合ったこの太いウベの蔓でブランコ遊びやターザン遊びもしていた。

 戦前戦中戦後、久保田先生と呼ばれて、この日本の西の果ての地図から消え去りそうな小さな町で崇められ、尋常小学校・国民学校の教師をしていた頑迷固陋な祖父は、10月31日にならなければ、俺がウベを食べるのを許さなかった。もし、隠れて蔓から千切って食べようものならこっぴどく叱られた。

 俺の家のある猪町の御堂へ帰るバスに乗るため、停留所への杣道を下りながら、丘の上の本家に向かって次男と二人、「この糞ジジイ!」と大声で叫んでやった。祖父が言うウベの解禁日の10月31日とは船の村鎌倉神社の秋祭りの日だ。腰に鉈を差し、かずらを首に巻いて踊るかずら舞が奉納される。

 俺は10月になると、31日が来るのを指折り数えて待った。31日の朝、俺は次男と勇んで船ノ村行きの西肥バスに乗る。本家に着くや否や、どたばたと土間に入り込み、祖父母への形だけの挨拶を済ませると、踵を返したその足でウベの蔓の巻き付いた杉の木によじ登る。木登りは俺の十八番だ。

 千切っては食い千切っては食いして、漸く欲望を満たして下りてきた俺の服は杉の木屑だらけだった。いとこの四姉妹も時々登ることもあったが、大抵俺が上から落としてやることが多かった。

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