1977年10月後半Ⅱ
10月22日(土)
鶴光のオールナイトニッポンを聞きながら、もう未明の4時を過ぎていたが、考えた。もし、俺に足があったら、あんな女(船ノ村の本家のまち子)には目もくれなかっただろう。俺が健常者だったなら彼女くらい簡単に作ることができただろういうことではなく、青春真っ盛りの十代、女々しい異性交遊以外に全精力を傾注できる何かを見出していただろうということだ。
漢文は心して掛からないと思わぬ失敗をやり兼ねない。
うどんを食おうと台所に行って、湯沸かし器から湯を出していたら、ゴキブリがゴミ入れで喘いでいた。苦しまずに安らかにあの世に行けるよう、熱湯を掛けて止めを刺してやった。そして、一言。虫では今の自分の状況を意識できないかもしれないが、今度この世に生まれてくるとき、人間になれる可能性はゼロではない、今まで一生懸命生きたのだから、と餞の言葉を送ってやった。
10月23日(日)
やっぱり昼の2時過ぎたら空腹を感じだしたので、魚をおかずに飯を二杯食った。夕方、宏美ちゃんのレコードの件で豊田を呼ぶか呼ぶまいか迷ったが、思い止まった。まだ、勉強を邪魔されたくない。
英熟語の瞑想確認をやって、居間で晩飯を食いながら「俺たちの朝」を見ようと思ったが、20時からNHKの大河ドラマを見たいお袋に悪いので、19時までに飯を終えた。
三男の哲美が19時半からの「素晴らしい世界旅行」を点けたので、風呂に入ろうとしていた俺だが、再びテレビの前に引き戻された。結局、風呂には23時頃入った。家蜘蛛が俺に突進してきてビビった。
10月24日(月)
この頃、また、起きるのが怠惰になってきたため、サボる時間が多くなる。きちんと起きることが出来たならば自然と気持ちも引き締まる。宏美ちゃんを聴いてカセットテープへの録音の必要を感じ、500叩いて買って来た。
下手すると一日飯が食えなくなる。16時から1時間、「太陽に吠えろ」の再放送を見てしまった。
三男の哲美が17時半頃、キャッチボールをしようと誘うので乗ってしまったうえに、19時から深夜1時まで寝てしまった。
今日、次男の賢二の野郎、寝過ごして中間テスト受けられんやったげな(笑
昼、賢二の女友達から電話が掛かってきた。一回目、俺が出ると、声で判断したのか直ぐに切りやがった。二回目は切らずに賢二が帰ってきたかどうか訊いてきやがった。ふざけやがって!
10月25日(火)
飯の時間30分と風呂の時間1時間、それに何十分か寝た。晩飯のとき、テレビで共通一次試験についてやっていた。
お袋が、「わあが(お前)どけ(どこに)行くつもりか」と訊くから、迷わず、「KGIやん」と答えると、「なるべくなら金の掛からんHO大学に行ってくれんか」と請うてきた。
この件については十分悩み抜いて結論を出したつもりだ。例え、拝み倒されても決心はぐらつかない。
傍に居た親父は俺を分かってくれているが如く、「おい(俺)の生きとる間はどうにでもなる。自分の生きる道ば探せ」と言ってくれた。
次男の賢二、中間試験が終わって安心しやがったのか、21時頃から寝やがった。六畳の間はシェアして使っているので、三男の哲美がとばっちりを受けて居間で勉強していた。
10月26日(水)
午前11時頃、豊田が、昨日の俺の電話に応えて掛けてきた。奴も宏美ちゃんのアルバム「思秋期から…男と女」を買っていた。このとき、完全に起きていれば良かった。寝直して、12時に起きて色々やっていたら、13時20分になってしまった。
Aコープに紫蘇のおにぎりがなかった。いったいどうしたことだろう。レジに俺のお気に入りの人も居なかった。
17時頃、豊田がやってきた。近頃、俺の勉強を気に掛けて1時間くらいで即行帰る。4月5月にこういった行動を取ってくれたら嬉しかったのだが、今は複雑な気持ちだ。人恋しいのだろうか。




