【凶暴な獣性】
廃都市の地下深くに広がるプラント区画へ通じる巨大な搬入用エレベーターシャフトを、漆黒の強化装甲ポーンX1と、数機の第三世代ヘキサギアが静かに、そして警戒を怠らずに降下していく。
「……汚染濃度の数値、規定値を大きく上回っているっす。全機、気密維持システムを最大出力で固定。活動限界時間は予定通り四十五分っす。それ以上は機体フレームにもガバナーの肉体にも不可逆的なダメージを負うっすよ」
ミカの声が部隊の暗号通信回線に冷徹に響く。
第一小隊の隊長であるガルム中尉以下、精鋭のガバナーたちは無言で通信のボタンを二度叩き、周囲の暗闇にセンサーの光を走らせた。
あの日、フレンダのロード・インパルス【Reloadead】が謎のレイブレード搭載機によって両断された地下空間。
再びこの場所に足を踏み入れることは、ミカにとって決して気分の良いものではなかった。ヘルメットのバイザー越しに広がる暗闇の奥には、相棒が血の海に沈んでいた光景が未だに鮮明に焼き付いているからだ。
(感傷は捨てるっす。今は、必要なものを回収することだけを考えるっす)
シャフトを底まで降りきると、そこには天井の大穴から微かに漏れ入る光に照らされた、瓦礫の山が広がっていた。
レイブレードの斬撃によって融解し、崩落したコンクリートの残骸。その奥に、目当てのものがあった。
「……目標を発見。マーナガルムのフレームとロード・インパルスの残存ブロックっす。運搬用の大型クレーン機を前へ。周囲の警戒を厳と……」
ミカが指示を出そうとした、まさにその時だった。
《ミカ!前方、瓦礫の陰から複数の未確認熱源反応!待ち伏せです!》
リトルベースのメインフレームから遠隔で部隊をサポートしているメイの警告がインカムに鳴り響いた。
直後、薄暗い地下空間の静寂を破り、けたたましい銃声が轟いた。
「敵襲ッ!」
ガルム中尉の乗るポーンA1が咄嗟にシールドを構え、飛来した重機関銃の弾丸を弾き返す。火花が散り、地下空間に金属の悲鳴が反響した。
ミカは即座にポーンX1の背部スラスターを吹かし、最も巨大なコンクリート片の陰へと滑り込みながら敵の配置を瞬時にスキャンした。
「……野盗共っすね」
瓦礫の隙間からこちらに銃口を向けているのはMSGヴァリアントフォースの正規軍ではない。旧世代の装甲車をツギハギに改造したビークルや、ジャンクパーツで組み上げた粗悪な二足歩行型の作業用ヘキサギアに乗る、武装した野盗の集団だった。
おそらく、あのレイブレードによる異常な閃光と爆発を遠方から察知し、ハイエナのように残骸を漁りに来たのだろう。
第三世代機の無傷のパーツなど、ブラックマーケットで売れば一生遊んで暮らせるほどの価値がある。
『リバティー・アライアンスの正規兵のお出ましだぜ!』
『第三世代の残骸は俺たちのモンだ!邪魔する奴は蜂の巣にしてやる!』
下劣な通信の電波が、暗号化もされずに垂れ流されている。
ミカは冷たく細めた瞳で敵の火線と配置を計算した。敵の数は十数名。武装は旧式だが、この狭く足場の悪い地下プラントにおいては、バラ撒かれる弾幕は無視できない脅威となる。
「……第一小隊、各機散開してクロスファイアを形成。敵の車両のタイヤと駆動部を的確に狙うっす。時間をかける余裕はないっすよ」
『了解!』
部隊が応戦を開始し、地下空間は一瞬にして激しい銃撃戦の坩堝と化した。
しかし、ミカは自らは銃を抜かず、ポーンX1の姿勢を極限まで低く保ったまま、光学迷彩を起動した。
(大尉ならあんな連中、大声で笑いながら正面から蹴散らしていたっすね)
フレンダの圧倒的な突破力があれば、こんな小競り合いは数分で終わっていただろう。だが、ミカは違う。彼女は白堊理研が生み出した暗殺者だ。派手な立ち回りはせず、最も効率的に、最も確実に敵の息の根を止めるのが彼女の戦い方だ。
ミカの姿が空間に溶け込み、視界から完全に消失する。
彼女は強化装甲の人工筋肉の出力を極限まで絞り、足音一つ立てずに瓦礫の間を縫うようにして敵の死角へと回り込んだ。
『おい!黒い装甲の奴が消えたぞ!』
『どこだ!?センサーを最大にしろ!』
野盗の一人がパニックを起こし、旧式ビークルの機銃をデタラメに乱射する。
その直後、野盗の背後の空間がわずかに歪んだ。
「……遅いっす」
氷のような冷たい声と共に、光学迷彩を解除したミカが姿を現した。
ポーンX1の腕部から展開された高周波ブレードが、瞬きする間もなく野盗のビークルの銃座を装甲ごと両断する。
『なっ――!?』
悲鳴を上げる間も与えず、ミカはそのままビークルの上に飛び乗り、ポーンX1の圧倒的な脚力で運転席のキャノピーを蹴り砕いた。
そこから先は、一方的な蹂躙劇だった。
ミカは跳躍とスライド移動を繰り返し、敵が銃口を向けるよりも早く懐に潜り込み、駆動系や動力パイプを的確に切断していく。
一切の無駄を省いた、冷酷なまでに美しい暗殺術。フレンダのような派手な破壊音はないが、気づけば野盗たちのビークルは全て沈黙し、恐怖に駆られた彼らは武器を放り出して暗闇の奥へと逃げ去っていった。
「……制圧完了。第一小隊、追撃は不要っす。サルベージ作業を急ぐっすよ。活動限界時間まで残り二十八分」
ブレードの血と油を振り払いながら、ミカは冷徹に指示を出す。
彼女のその無駄のない動きと威圧感に、第一小隊の隊員たちは息を呑みながらも、素早く作業用クレーンを前線へと進めた。
「少佐……さすがです。しかし、少佐自らが前線に出ずとも……」
「大尉が不在の今、私が前線を張らなければ誰がやるっすか。それに、これは私たちの新しい牙になるものっす。泥を被るのは私の役目っすよ」
ガルム中尉の言葉を遮り、ミカは回収の対象である二つの残骸を見据えた。
レイブレードによってコックピットブロック付近を完全に両断されながらも、奇跡的にメインスラスターや一部の武装、そして下半身の強靭なフレームを残したロード・インパルス【Reloadead】。
そして、フレンダの捨て身の一撃によって中枢を貫かれ、装甲がひび割れながらも規格外の剛性を保っている純白の狼マーナガルム。
(この二つの獣を一つにする。……狂気の沙汰っすね。でも、やるしかないっす)
ミカの指示の下、作業用ヘキサギアの巨大なアームが、二つの機体の残骸を慎重に持ち上げ、輸送用の大型コンテナへと収容していく。
汚染された灰色の空気が肺を焼くような感覚を覚えながらも、ミカは最後までその作業を見届けた。
これが、理不尽な世界に対する反逆の狼煙となることを信じて。
リトルベースの地下深くに位置する特別格納庫。
通常は立ち入りが制限されているこの区画は、今や異様な熱気と金属音に包まれていた。
「おい!そこの結合部のトルクを規定値の三倍まで締め上げろ!特務フレームは常識が通用しねぇぞ!」
「ロード・インパルスの人工筋肉バイパス、マーナガルムの骨格と適合率80%を超えました!しかし、BMIの接続にラグが生じています!」
「構うな!力技でねじ込め!メイ、制御プログラムの書き換えはどうなってる!?」
整備班長のリチャードが、油にまみれた顔で怒号を飛ばし、数十名の整備兵たちが蟻のように機体に群がり作業を進めている。
ミカは腕を組み、一段高いガントリーからその光景を見下ろしていた。
サルベージ作戦から帰還して二週間。整備班は文字通り不眠不休で新機体の建造に取り掛かっていた。
ベースとなるのは回収されたマーナガルムの強靭な骨格である。
そこに、ロード・インパルス【Reloadead】の無事だった人工筋肉繊維を移植し、装甲板をパズルのように再構築していく。
ヘキサギアという兵器の真骨頂は、その極めて高い拡張性と組み換え機構にある。規格化されたヘキサグラムシステムを用いれば、全く異なる世代や思想の機体であっても、強引に融合させることが可能だった。
しかし、今回の建造はただのパーツの組み換えではない。
二つの強烈な個としてのゾアテックスを、一つの器に押し込もうという狂気の実験である。
「リチャード班長。装甲のカラーリングについてっすけど……白でも黒でもないっすね。これは?」
ミカが問いかけると、ガントリーに上がってきたリチャードが、手にしたタブレットのデータを提示した。
「ええ、新機体のカラーリングですが、ロード・インパルスの漆黒とマーナガルムの純白をそのまま使うのはやめました。光学迷彩の機能を最適化しつつ、耐エレメント汚染の特殊コーティングを幾重にも施した結果、装甲色は『紫と水色』を基調とするものになりました」
「紫と水色……」
ミカは建造中の機体を見つめた。
鋭角的なシルエットを持つ狼型のフレームに、夜明け前の空のような深い紫色と、凍てつく水面のような水色の装甲が配置されている。
それはかつてフレンダが乗っていた黒き獣の面影を残しつつも、マーナガルムの凶悪さを併せ持つ、全く新しい未知の獣の姿だった。
「偶然とはいえ、大尉のパーソナル波長にも不思議とマッチする色合いですよ。きっと気に入ってくれるはずです」
リチャードは満足げに笑ったが、すぐにその表情を引き締め、ミカに向き直った。
「ハード面に関してはあと数日で完成します。グラビティコントローラーの搭載も完了し、武装はインペリアルロアー、ヴォーパルクロー改、ハンドガトリング等、考えうる限りの最高火力を詰め込みました。機体名はルプス・インパルス」
「ルプス……狼っすね。で、問題のソフト面はどうなんっすか?」
ミカの鋭い問いにリチャードの顔に濃い影が落ちた。
《……私が報告します、ミカ》
格納庫のスピーカーから、KARMAメイの声が重々しく響いた。
《ハードウェアの統合は予想以上の成果を上げています。しかし……最も重要な、搭載システムにおける魂の統合に、致命的な欠陥が発生しています》
メイの言葉に合わせて、ミカの手元のモニターに、脳波測定のような複雑な波形データが表示された。
赤と青の二つの波形が激しくぶつかり合い、ノイズを撒き散らしながら暴れ狂っている。
《現在、新機体ルプス・インパルスのコアには、マーナガルムとロード・インパルス、二つの機体の戦闘データとゾアテックスがインストールされています。しかし、この二つの獣性が、互いに強烈に反発し合い、最悪の形で混ざり合ってしまったのです》
「……どういうことっすか?」
《ロード・インパルスの絶対的な闘争心と、マーナガルムの飢餓と復讐の狂気。この相反する二つの感情が融合した結果、ルプス・インパルスのゾアテックスは、制御不能なほどの凶暴な殺戮衝動へと変貌しました。仮想空間での起動テストを行いましたが……》
モニターに、赤いアラート文字が点滅する。
【BMI LINK ... FATAL ERROR】
《結果は全て同じです。通常のガバナーがこの機体にBMIリンクを行った場合、その強大すぎる獣の狂気に脳髄を焼き切られ、数秒で精神が崩壊します。私がサポートに入り、獣性を抑え込もうとしても、ハードウェアの出力を制御しきれません》
メイの宣告に、格納庫の空気は水を打ったように冷え込んだ。
リチャードが忌々しそうに手すりを殴りつける。
「クソッ……!最高の骨組みと筋肉を作り上げても、それを動かす頭脳がイカれちまってるんじゃ、ただの置物と同じだ!」
ミカは沈黙し、紫と水色の装甲を纏った眠れる狼を見下ろした。
最強の機体を作り上げるための代償。二つの強すぎる魂を無理やり繋ぎ合わせた結果生まれたのは、誰の命令も聞かず、乗る者全てを喰い殺す狂犬だった。
「……何とかならないっすか、メイ。大尉の……フレンダの特殊な細胞と精神力なら、この獣性を抑え込める可能性は?」
《フレンダの精神的耐性は非常に高いですが、このゾアテックスの暴走は物理的な脳神経への過負荷を伴います。彼女の底抜けの明るさをもってしても、この飢餓と狂気の濁流に飲み込まれれば、自我を失う可能性が極めて高いです。……相棒として、私は彼女にこれほどの危険を冒させるわけにはいきません》
メイの声には、AIでありながら確かな恐れと悲痛が混じっていた。
「……打つ手なし、っすか」
ミカは唇を強く噛み締めた。血が滲むほどの強さで。
せっかく最高の機体を作り上げたというのに、これではあのレイブレード搭載機に立ち向かうどころの話ではない。フレンダが目を覚ましても、乗せる機体がないのだ。
自分の無力さが、司令官としての決断の甘さが、ミカの心を深く抉った。
(私が……私がもっと早くあの白狼を止めていれば、こんなことには……!)
絶望の淵に立たされたミカとリチャード、そしてメイ。
完成間近の最強の狼は、誰にも制御できない呪われた機体として、格納庫の薄暗い光の中でただ静かに眠り続けるしかなかった。
しかし、その絶望の空気を打ち破るかのように、特別格納庫の重い電子ドアが、ピーッという警戒音と共に強引に開け放たれた。
「……誰っすか!今ここは立ち入り禁止――」
ミカが振り返り、叱責の声を上げようとした瞬間、彼女の言葉は途切れた。
「ちょっと、ミカちゃん!なんで私に内緒で、こんな面白そうなことやってるのさ!」
ドアの向こうにいたのは、車椅子に乗った一人の少女だった。
全身の包帯とギプスはまだ完全には取れていないが、その青い瞳には病み上がりとは思えないほどの強烈な光と、いつもの底抜けの活力が宿っている。
口の周りには、どこかの食堂からくすねてきたと思われる、レーションのクズがベッタリと付いていた。
「……た、大尉!?なんで起きているっすか!絶対安静のはずじゃ……!?」
ミカが目を丸くして叫ぶ。
「もう寝飽きたよ。お腹も空いたし、体もウズウズするし!それに……」
フレンダは、車椅子の車輪を不器用な手つきで回し、ガントリーの上まで進んできた。
そして眼下に鎮座する紫と水色の狼、ルプス・インパルスを見下ろし、その唇にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「……私を呼ぶ、すっごく腹ペコで不機嫌な犬の鳴き声が聞こえた気がしたからさ」
フレンダの登場。それは停滞していた絶望の空気を一瞬にして吹き飛ばす、文字通りの太陽の帰還だった。
だが、この時のミカたちはまだ知らない。
フレンダの規格外の精神力と、彼女が過去に経験したある記憶が、この狂える狼を手懐ける唯一の鍵となることを。
最強の機体と、最強のガバナー。
二つの運命が、再び交差しようとしていた。




