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【命の火種】

通信が途絶してから、どれほどの時間が経っただろうか。

リトルベースの司令室でモニターを睨みつけていたミカ・フォルクス少佐は、突如としてブラックアウトしたフレンダの生体信号と、メイからの通信途絶のログを見て、血の気が引くのを感じていた。


「……大尉?フレンダ大尉、応答するっす!メイ、状況を報告するっす!」


何度呼びかけても、ノイズすら返ってこない。

最後に受信したデータは、地下プラントにおけるマーナガルムの完全沈黙。つまり、フレンダの勝利を意味するログだった。それなのに、直後に信じられないほど巨大なエネルギーの奔流が観測され、ロード・インパルス【Reloadead】の反応そのものが『消滅』したのだ。


「……第一小隊、直ちに出撃準備!私も出るっす。全機、最大戦速で嘆きの谷の地下プラントへ急行するっす!!」


ミカは司令官としての冷静さをかなぐり捨て、漆黒の強化装甲ポーンX1のヘルメットを乱暴に被った。

胸の奥で、警鐘が狂ったように鳴り響いている。

かつて共に死線を潜り抜けたバディ。誰よりもタフで、誰よりも食い意地が張っていて、絶対に死なないと思っていた太陽のような相棒が、死の淵に立たされている。


(間に合え……!間に合ってくれっす、フレンダ……!!)


ミカと第一小隊が地下プラントに到着した時、そこは異様な静寂に包まれていた。

地下空間を満たしているのは、焦げた金属の臭いと、高濃度のヘキサグラム崩壊によって生じたオゾンのような刺激臭。

そして何よりミカたちを戦慄させたのは、分厚い岩盤の天井に開いた巨大で滑らかな大穴だった。


「……なんだ、これは。爆発や掘削の痕じゃない。空間ごと切り取られている……?」


第一小隊のガルム中尉が、ポーンA1のバイザー越しに絶句する。

ミカはその大穴を一瞥しただけで、それが何によってもたらされた破壊痕なのかを本能的に悟った。白堊理研本部を壊滅させたのと同じ、究極の暴力の爪痕。


「レイブレード……。まさか、こんなところにまで……!」


ミカはポーンX1のスラスターを吹かし、瓦礫の山を飛び越えて広大なプラントの奥へと進んだ。

巨大なサイロ群は奇跡的に無傷だった。フレンダが死守したおかげでリトルベースや民間人の命脈である食糧は守られたのだ。

だが、その代償はあまりにも大きすぎた。


「……フレンダ、大尉……」


ミカの足が、震えて止まった。

プラントの中央。そこには完全に破壊され、半ば原型を留めていない純白の狼、マーナガルムの残骸があった。

そしてそのすぐそばに、かつてロード・インパルス【Reloadead】と呼ばれていたものの無残なスクラップが転がっていた。

右肩から左脇腹にかけて、全く抵抗を許さずに両断された、完璧で滑らかな切断面。機体の中心にあったはずのコックピットは完全に押し潰され、どす黒い血の跡が周囲のコンクリートを赤く染めている。


「隊長ッ!!」


第一小隊の隊員たちが悲鳴のような声を上げ、残骸へと駆け寄る。

ミカもまた、我を忘れてロード・インパルスのひしゃげた装甲板に取り付き、ポーンX1の人工筋肉の出力を限界まで引き上げて瓦礫を退かし始めた。


「フレンダ、返事をするっす!ふざけた冗談はよすっす!」


重い装甲を跳ね除け、焼け焦げたケーブルを引きちぎる。

ミカの脳裏にかつての記憶がフラッシュバックする。白堊理研の実験施設で、次々と死んでいった被験者の子供たち。自分だけが生き残り、あとは皆、冷たい肉の塊になって焼却炉へと消えていった。

また失うのか。自分がリトルベースで司令官などと偉そうにしている間に、一番大切な相棒に、一番重いものを背負わせてしまった。


「う、ぁ……あ……ッ」


瓦礫の奥。

ひどく損傷し、環境維持システムも完全に沈黙したナイトアーマー【ビアンコ】を見つけた時、ミカの喉から声にならない嗚咽が漏れた。

ヘルメットのバイザーは割れ、装甲の隙間からは大量の血が溢れ出している。左腕と右脚は複雑骨折を起こし、呼吸をしているのかすら分からないほど、その体は冷たく、静かだった。


「衛生兵!早く、早くバイタルを確認するっす!!」


ミカは震える手でフレンダの体を抱き起こした。

その時だった。


《……ピィ……ガ、ガァァ……》


破損したナイトアーマーの腰部、極小ストレージのマウントから、微弱な電子音が鳴った。


「……メイ?」


ミカが耳を澄ますと、ノイズにまみれながらも、確かにあの理知的なAIの声が聞こえてきた。


《……ミ……カ……。フレンダ、の……バイ、タル……》


「メイ!機体が消滅したのに、どうやって……!?」


《……緊急、退避……。フレンダの、細胞再生プロトコル……稼働中。彼女は……生きて、います……》


その言葉に、駆けつけた衛生兵がフレンダの首筋にスキャナーを当て、目を見開いた。


「少佐!大尉の心拍、微弱ですが確認できます!それに……なんという事だ。切断された血管や筋繊維が自律的に結合しようとしています!火傷の痕から新しい皮膚が……こんな異常な回復力見たことがありません!」


「……っ!」


ミカはハッとして、フレンダの血まみれの顔を見つめた。

そうだ、この規格外のバカ大尉は普通の人間じゃない。癌細胞の化け物が生み出した、極限環境すら生き抜く生存本能の塊だ。

どれほど理不尽な力で叩き潰されようと、決して命を手放さない、しぶとくて強欲な命の火種。


「……生きてる……生きてるっすね、大尉」


ミカの瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、フレンダの割れたバイザーを濡らした。


「ガルム中尉、直ちに大尉をリトルベースの医療室へ搬送!命に代えても守り抜くっす!」


「は、はっ!」


「それから、あそこに転がっているマーナガルムのパイロットも回収するっす。バイタルが残っているなら死なせるな。奴には……まだ生きて、償ってもらう義務があるっす」


涙を乱暴に拭い去り、ミカは再び司令官としての鋭い声を取り戻した。

絶望の底に突き落とされたはずの地下空間に、再び力強い命の鼓動と、慌ただしい足音が響き始めた。


どれほどの深い泥の底を漂っていただろうか。

熱と痛みと寒さが交互に押し寄せる悪夢の中で、フレンダはずっと温かいスープの匂いを探していた。


「……い……大尉……」


不意に名前を呼ばれた気がした。

重い鉛のような瞼を僅かに開く。

最初に視界に飛び込んできたのは無機質な白い天井と、眩しい蛍光灯の光だった。

鼻をつくのは消毒液の匂い。ピッ、ピッ、と規則正しい電子音が自分の心拍と同調して鳴っている。


「……ん……」


喉が渇ききっていて、声がうまく出ない。

視線を横に巡らせると、ベッドの傍らに置かれたパイプ椅子に黒いポーンX1のアンダースーツ姿のまま、項垂れるようにして眠っている少女の姿があった。


「……ミカ……ちゃん……?」


掠れた声にビクッと少女の肩が跳ねた。

ミカが顔を上げる。

その顔を見てフレンダは思わず吹き出しそうになったが、全身の筋肉が痛んで咳き込んでしまった。


「ミ、ミカちゃん……顔、ひどいよ……」


いつもは美容オタクで、戦場にいてもスキンケアと髪の艶を絶対に欠かさない潔癖症のミカが、今は髪をボサボサに乱し、目の下には酷いクマを作り、頬には油汚れや煤をつけたままだった。

何日徹夜したのか分からないほど、やつれ切っている。


「…………大尉の、バカ」


ミカはポツリと呟くと、ベッドに縋り付くようにして、フレンダの包帯だらけの手を両手で強く握りしめた。


「バカっす。本当に、バカ大尉っす……。私が、私が自分で行っていれば、こんなことには……!」


ミカの青い瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。

普段の気怠げで冷静な態度はどこへやら、今の彼女は、ただの大切な友人を失いかけた等身大の少女に戻って、子供のように声を上げて泣いていた。


「泣かないでよ、ミカちゃん。……私、生きてるでしょ?」


フレンダは痛む右腕を少しだけ動かし、ミカのボサボサの頭を優しく撫でた。


「ごめんね、心配かけて。でも、ミカちゃんを狙ってたあの狼さんはちゃんと大人しくさせたよ。プラントのご飯も、全部無事」


「そんなこと、どうでもいいっす……!大尉が死んだら、リトルベースのみんなが……私が、どうやって明日を生きていけばいいんすか……!」


ミカの震える肩を撫でながら、フレンダは静かに微笑んだ。


《……ミカの言う通りです、フレンダ。貴女が生存限界を超えた時は、私の論理回路も焼き切れるかと思いました》


ふと、病室に備え付けられた情報端末のスピーカーから、聞き慣れた声が響いた。


「……メイ!メイも無事だったの!?」


《はい。レイブレードの直撃の寸前、ナイトアーマーのストレージにコアデータを強制転送しました。その後、ミカが私をリトルベースのメインフレームにサルベージしてくれたおかげでこうして自我を保っています》


メイの声は、どこか安堵と喜びに満ちているように聞こえた。


《ただし、ロード・インパルス【Reloadead】の機体フレームは……完全に消滅しました。私の家であり、貴女の愛機を守れなかったこと、お詫びします》


「謝らないでよ、メイ。メイがとっさに守ってくれなかったら、今頃跡形もなく消えちゃってた。……インパルスには、本当に申し訳ないことをしたけど……」


フレンダは、自分の半身を失ったような喪失感に少しだけ目を伏せた。

あんなにも頼もしく、戦場を共に駆け抜けた黒き獣。それが理解の及ばない理不尽な光の刃によって一瞬で無に帰した。

白堊理研を壊滅させ、自分たちを蹂躙した、あの真の敵。

LAの最強兵器を操り、空から全てを見下ろしていたあの影の正体は依然として謎のままだ。


「……ミカちゃん。あの白狼さんはどうなったの?」


フレンダの問いにミカは涙を拭い、鼻をすすりながら答えた。


「……一命は取り留めたっす。機体の中枢は完全に破壊されていたけど、大尉が意図的にコックピットへの直撃を避けたおかげっす。今は厳重な監視の下、別の病室で拘束治療中っす」


「そう……よかった」


「よくないっす、奴は私たちを殺そうとしたテロリストっす。でも……」


ミカは複雑な表情で、自分の手をぎゅっと握りしめた。


「奴が目を覚ましたら、私がちゃんと話をするっす。白堊理研が犯した罪と奴が奪ったもの。そして……これからどう生きるべきか、同じ被験者として、私が責任を持って向き合うっす」


過去の亡霊から目を背けるのではなく、正面から受け止める。

それは、ミカがこの過酷な戦いを通して見つけた、司令官としての、そして一人の人間としての答えだった。


「うん。ミカちゃんなら、きっと上手くやれるよ」


フレンダは眩しそうに目を細め、窓の外を見た。

リトルベースの荒涼とした景色。それでも、そこには確かに人々が働き、生きるための営みがある。

戦いは終わっていない。

むしろ、白堊理研という枠組みが崩壊し、LA内部にレイブレードを操る恐るべき黒幕が潜んでいることが確定した今、これから先はもっと過酷で血みどろの生存競争が待っているだろう。

機体も失い、体もボロボロ。絶望するには十分すぎる状況だ。


でも、フレンダの心は少しも折れていなかった。

命がある。信頼できる相棒たちがいる。そして、守るべきものがある。


「……ミカちゃん」


フレンダは真剣な顔つきで、ミカを見つめた。

ミカもハッとして、姿勢を正す。


「なんすか、大尉。体のどこか痛むっすか?すぐに軍医を呼ぶっす」


「ううん。そうじゃなくて……」


フレンダは口元を綻ばせ、いつもの、太陽のように明るく、少しだけ間の抜けた笑顔を見せた。


「……お腹、空いたよ」


その言葉にミカはポカンと口を開け、数秒間フレンダの顔を見つめ……やがて、深く、本当に深くため息をついた。


「…………大尉のバカみたいな食欲には、本っ当に呆れるっす」


「だって、何日も寝てたんでしょ?お腹と背中がくっつきそうだよ。ねぇ、約束覚えてる?」


フレンダの催促に、ミカは呆れ顔の中に、ようやく本来の柔らかい微笑みを浮かべた。


「覚えてるっすよ。……リチャード班長に頼んで、備蓄してある本物のじゃがいもとニンジンを使った、特盛のシチューを作らせてあるっす」


「やったぁ、ミカちゃん大好き!!」


「痛っ!大尉、急に動いたら骨がズレるっす!いいから大人しく寝てるっす!」


病室にフレンダの明るい笑い声と、ミカの慌てる声が響き渡る。

情報端末の中のメイも、どこか嬉しそうに電子音を鳴らしていた。

理不尽な絶望が空から降ってこようとも、彼女たちの日常は絶対に奪わせない。


この温かいシチューの味を知っている限り、黒き獣は何度でも立ち上がり、牙を研ぐ。

来るべき真の敵を打ち倒し、明日もまた、みんなで笑って美味しいご飯を食べるために。

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