【最強の刃】
青白い閃光。
それが、フレンダの網膜に焼き付いた最後の光景だった。
音が消えた。
分厚い岩盤と強化コンクリートで構築された地下プラントの天井がまるで熱したナイフでバターを切り裂くかのように、音もなく融解し、崩落していく。
その破滅の光の中心にあるのは、絶対的な暴力の具現。
構成するヘキサグラムの結合を強制的に崩壊させ、素粒子レベルで空間そのものを切断する必殺の兵器、レイブレード。
「え……?」
フレンダの口から漏れたのは、恐怖ではなく、純粋な疑問だった。
なぜ、ここに。どうして、味方であるはずのLA最強の刃が、自分たちを。
その思考が形を結ぶよりも早く、光の刃はロード・インパルス【Reloadead】の強靭な巨体を両断せんと振り下ろされた。
マーナガルムとの死闘を終えた直後、機体のエネルギーは底を突き、回避行動に移るための人工筋肉の余力は一切残されていなかった。
圧倒的な死の予感。
しかしその刹那、フレンダの思考を置き去りにして、搭載AIであるKARMAメイが機体の全権を強制的に掌握した。
《――ッ!!緊急プロトコル起動!ガバナーの生命保護を最優先事項に設定!機体メインフレームの制御を完全放棄!》
コンマ数ミリ秒という人間の神経伝達速度を遥かに超えた電子の海の中で、メイは絶望的な演算結果を弾き出していた。
回避確率、ゼロ。防御確率、ゼロ。
このままレイブレードの直撃を受ければ、強固なヘキサギアの装甲ごと、コックピットのフレンダの肉体はヘキサグラム崩壊の余波を受けて文字通り消滅する。
《フレンダを、死なせはしない……!!》
メイはロード・インパルス【Reloadead】の胸部ブロックに搭載された全ヘキサグラムのエネルギーを攻撃用から防御用のバリア・システムへ強制的にバイパスさせた。同時にフレンダが着用しているナイトアーマー【ビアンコ】の環境維持システムを最大出力でオーバーライドし、緊急パージのシークエンスを叩き込む。
そして、メイ自身もまた、ヘキサギアのメインフレームに置かれていた自身のAIコアデータをフレンダのナイトアーマーの極小ストレージへと、強引にかつ不可逆的に転送を開始した。
それは、ロード・インパルスという肉体と共に生きるKARMAとしての死を意味する。しかし、相棒の明日を守るためなら、メイに一切の躊躇いはなかった。
直後。
青白い閃光が、ロード・インパルスの装甲に触れた。
ズバァァァァァァァァァンッッ!!!!
遅れてやってきた凄まじい轟音と衝撃波が、広大な地下プラントの空間を揺るがした。
金属が切断される音ではない。物質がその存在を否定され、悲鳴を上げて崩壊していく特有の絶叫だった。
「ぁ……ああああぁぁぁぁッ!!」
フレンダの全身をこれまでに経験したことのない激痛が貫いた。
ヘキサギアとガバナーを繋ぐBMIを通じて、ロード・インパルスが両断される痛みが、情報の濁流となってフレンダの脳髄を直接焼き焦がしたのだ。
かつての愛機の残骸から再建造され、数々の死線を共に潜り抜けてきた黒き獣の人工筋肉が、骨格が、内蔵された獣の魂が、一瞬にして光の中に消滅していく。
「メイ……ッ!!」
声にならない絶叫。
レイブレードの刃は、メイが展開した全エネルギーの防御フィールドすらも易々と引き裂き、機体の右肩から左脇腹にかけて、斜めに、そして完全に両断した。
コックピットがひしゃげ、分厚い装甲板が飴細工のようにひん曲がり、フレンダの肉体を容赦なく押し潰す。
同時に、ヘキサグラムが崩壊する際に発生する致死量の重エレメント汚染物質と、数千度にも達する超高熱のプラズマがコックピットへと吹き込んだ。
《データ転送、完了……!フレンダ、生きて……!!》
メイの最後の声がナイトアーマーのインカムに響いた直後、ロード・インパルスの上半身は完全に爆散した。
フレンダの体は、ひしゃげたシートごと後方へと吹き飛ばされ、硬いコンクリートの壁面に激突して床へと投げ出された。
「……がッ、はぁっ……!」
口から大量の血が吐き出され、ヘルメットのバイザーの内側を赤く染め上げる。
全身の骨が何本折れたか分からない。左腕はあらぬ方向に曲がり、右足の感覚は完全に消失していた。装甲の隙間から吹き込んだ超高熱によって、強化スーツ越しの皮膚のあちこちが重度の火傷を負い、炭化しかけている。
常人であれば、激突の瞬間にショック死しているか、あるいはエレメント汚染によって数秒で細胞が崩壊して絶命しているほどの致命傷だった。
だが、フレンダの体は、常人のそれとは決定的に異なっていた。
……バイタルサインの低下を確認。被検体F、生体維持のための強制再生シークエンスに移行します……
薄れゆく意識の中で、自身の肉体の奥底から無機質な本能の声が聞こえた気がした。
フレンダの肉体は癌細胞の化け物と恐れられたフレデリカ・マーキュリーの体細胞から生み出されたクローンである。
極限状態に陥った彼女の細胞は、死の淵においてその恐るべき生存本能を剥き出しにした。
千切れた筋繊維が、異常な速度で蠢き、互いを結びつけようと増殖を始める。
火傷を負った皮膚の下で、新しい細胞が古い細胞を喰い破りながら再生していく。
エレメント汚染の毒素すらも抗体を瞬時に作り出して中和しようとする。
それは、死を拒絶する生命の奇跡であると同時に、全身をミキサーにかけられながら無理やりパズルを組み立て直されるような、発狂寸前の地獄の苦しみでもあった。
「あ、ぁ……いた、い……。やだ……お母さん……ミカちゃん……」
痛みに喘ぎ、血の泡を吹きながら、フレンダは霞む視界で必死に前方を見た。
燃え盛る炎と、もうもうと立ち込める黒煙。
両断され、ただの鉄屑と化した愛機、ロード・インパルスの無惨な残骸。
そして、崩落した天井の大穴から降り注ぐ光の中を、ゆっくりと降下してくる影があった。
「……あ……れ、は……」
それは、ヘキサギアだった。
しかし、そのシルエットは光学迷彩、あるいは高濃度のヘキサグラム粒子の靄によって歪められており、明確な形を保っていなかった。
ただ一つ確かなのはその機体の右腕部に、空間を歪ませるほどの巨大な青白い光の刃、レイブレードの発振器が装備されていることだけ。
(白鳳嘴の、ゼニス・リヴェール……?ううん、違う……形が……)
フレンダの朦朧とした思考では、その正体を特定することはできなかった。
謎の機体は、音もなく地下プラントの床に降り立つと、その冷酷なアイセンサーを周囲へと巡らせた。
燃え上がるロード・インパルス。
そして、その奥で活動を停止し沈黙している白き狼、マーナガルム。
謎の機体はマーナガルムの残骸を一瞥すると、まるでゴミでも見るかのように興味を失った素振りを見せた。
『…………』
一切の通信も言葉もない。
圧倒的な強者は、自らの刃がもたらした破壊の跡をただ無機質に見下ろしていた。
フレンダは血反吐を吐きながら、必死に右手を伸ばした。
「まて……。私の、ロード・インパルスを……みんなの、ご飯を……返せ……ッ!」
指先が瓦礫を掻き毟る。
しかし、謎の機体は瓦礫の影で虫の息となっているフレンダにトドメを刺そうとすらしなかった。
それは慈悲ではない。眼中にないのだ。
自分たちがどれほど命を懸けて戦おうと、どれほど未来を信じて今日を生きようと、この理不尽な力の前にあっては路傍の石ころほどの価値もないのだと、その無言の背中が告げていた。
謎の機体は、背部の巨大なスラスターユニットを展開すると、青白い粒子を撒き散らしながら自らが開けた天井の大穴を通って、再び空の彼方へと飛び去っていった。
あとに残されたのは、ヘキサグラムの燃えカスが降る、静寂に包まれた地下プラントだけだった。
「……あ、ぁ……」
フレンダの伸ばした手から力が抜け、冷たいコンクリートの床へと落ちた。
全身の細胞が、死と再生の狭間で絶叫を上げている。
熱い。寒い。痛い。
意識が、暗く深い泥の底へと沈んでいく。
(……負けちゃった。機体も、壊されちゃった……)
あれほど過酷な戦いを生き抜いてきたロード・インパルスが、あんなにもあっけなく。
自分の無力さが、悔しかった。
あんな理不尽な暴力がこの世界にあることが、恐ろしかった。
涙が血で汚れた頬を伝って流れ落ちる。
(でも……ご飯のプラントは、無事、だった……)
薄れゆく視界の端で、巨大なサイロ群が爆発の余波を受けながらも致命的な損傷を免れ、静かに佇んでいるのが見えた。
マーナガルムの野望は阻止した。
あいつらにも、特盛のシチューを食べさせてあげられる。
(……ミカちゃん……ごめんね。ちょっとだけ……休むね……)
ナイトアーマーのインカムから、ノイズ混じりの微弱な声が聞こえた気がした。
《……フレンダ……生きて……必ず……》
それは、極小ストレージの中で休眠状態に入ろうとしている、相棒の祈りの声だった。
「……うん。お腹、ペコペコだから……死ねない、よ……」
その言葉を最後に、フレンダの意識は完全に途絶え、深い、本当に深い暗闇の中へと落ちていった。
ただ、地下水脈から漏れ出した水滴が、ぽつり、ぽつりと、規則正しい音を立てて瓦礫を濡らす音だけが、死の空間に響き続けていた。




