【白狼との決着】
かつては数十万の人間が暮らしていたという旧市街。その地下深くには、白堊理研が有事の際のフェイルセーフとして建設した巨大なプラントが眠っていた。
広大な地下空間には数万トンもの合成穀物を貯蔵する巨大なサイロ群と、地下水脈から汲み上げた水を浄化するプラントが、静かな唸り声を上げながら稼働し続けている。
ここはリトルベースを含む周辺のLA残存勢力、そして民間居住区の命脈を握る最後の心臓部だった。
フレンダが駆るロード・インパルス【Reloadead】は、エレベーターシャフトの暗闇を垂直に降下し、その広大な地下プラントへと降り立った。
《……フレンダ、予測通りです。プラントの中央制御区画にて、強力なヘキサグラムの反応を検知。敵機マーナガルム、先行して侵入しています》
メイの報告を聞きながら、フレンダは機体のバイザー越しに広がる無機質な空間を見据えた。
立ち並ぶ巨大なサイロの合間は、まるで迷路のようだ。頭上には無数の配管が張り巡らされ、薄暗い照明が頼りなく周囲を照らしている。
「ここを破壊されたら、リトルベースだけじゃなく、この周辺で生きている人たち全員が本当に餓死しちゃう。あいつの究極の兵糧攻めのゴールってわけだね」
《はい、ここを死守できれば敵の目論見は完全に潰えます。……来ます、フレンダ!》
メイの警告と同時に、前方数百メートルのサイロの陰から青白い光が漏れ出した。
静かな足音と共に姿を現したのは、純白の装甲を纏った狼型ヘキサギア、マーナガルム。
その機体は、これまでのゲリラ戦のダメージを修復することもなく、所々装甲が剥がれ、人工筋肉が剥き出しになっていた。しかし、その双眸に宿る赤い光は、かつてなく凄惨な輝きを放っている。
「待ち伏せを食らうとはな……嗅ぎ回るのが得意な猟犬だ」
開かれたオープンチャンネルから、廃棄検体04の低く冷たい声が響いた。
その声には、もう以前のような焦りはない。ただ、全てを焼き尽くそうとする狂気だけが静かに底冷えしている。
「ここが白堊理研の最後の生命線だってことぐらい、少し考えれば分かるよ。ここだけは、絶対に壊させない」
フレンダは操縦桿を強く握りしめ、ロード・インパルスの姿勢を低く構えた。
武装のセーフティを全解除し、チェーンガンの銃身が回転を始める。
「壊させない、だと……?傲慢だな。貴様らにそれを語る資格などない」
マーナガルムの機体から、ブォンッ、という重低音が響いた。
機体の各所にあるヘキサグラム装填部から、異常な量の排熱が青白い炎となって噴き出す。
《警告! 敵機、ヘキサグラムのエネルギーリミッターを強制解除!機体フレームの耐久限界を無視した、自爆に近い稼働状態です!》
メイの悲痛なアラートがコックピットに鳴り響く。
「機体ごと刺し違えるつもり!?」
「全ては灰になるべきだ。あの焼却炉の底で見た光景と同じように、白堊理研に関わる全ての者は絶望と飢餓の中で死に絶えねばならない!私の命も、この機体も、そのための薪に過ぎん!」
絶叫と共に、純白の狼が爆発的な推進力で床を蹴った。
そのスピードはこれまでの遭遇戦とは次元が違っていた。リミッターを解除された獣性が、機体のポテンシャルを限界以上に引き出しているのだ。
瞬きする間に数百メートルの距離をゼロにし、マーナガルムの巨大な顎がロード・インパルスの首元へと迫る。
「グラビティコントローラー、最大出力ッ!」
フレンダは咄嗟に重力制御を作動させ、機体の質量を極限まで軽くして真上へと跳躍した。
マーナガルムの牙が空を切り、空振りした勢いそのままに背後のサイロの分厚い外壁に激突する。サイロの装甲板が紙切れのように引き裂かれた。
「メイ、トリックブレード!」
空中に逃れたフレンダは、即座に反撃に転じた。尾部から射出された蛇腹状の刃が、重力を味方につけてマーナガルムへと殺到する。
しかし、白狼は壁面を蹴って三角跳びの要領で空中に舞い上がり、トリックブレードの連撃を身をよじるようにして全て回避した。
「狂犬が……空を飛ぶなッ!」
男の怒号と共に、マーナガルムに搭載された射撃兵装が火を噴いた。
プラントの狭い地下空間で無数の徹甲弾が跳弾となり、ロード・インパルスへと襲い掛かる。フレンダはグラビティコントローラーの出力を瞬時に調整し、空中で不規則な落下とスライドを繰り返して弾幕をすり抜けた。
着地と同時に、両機は再びゼロ距離での激突へと移行した。
ロード・インパルスのヴォーパルクローと、マーナガルムの前脚のストライクエッジが激しく打ち合い、オレンジ色の火花が薄暗い空間を激しく照らし出す。
ガキィィィンッ!という金属の悲鳴が地下空間に反響する。
「お前たちも飢えて死ね!過去の罪を、その血と肉で償え!」
組み合った状態のまま、通信越しに廃棄検体04の呪詛が叩きつけられる。
それは、彼が地獄の底で生き延びてから今日まで、一日たりとも忘れることのなかった純粋な憎悪の結晶だった。
しかし、フレンダはその重圧に決して屈しなかった。
コンソールを操作する手は一切の迷いを見せず、ナイトアーマー【ビアンコ】のバイザーの奥の瞳は、真っ直ぐに敵の狂気を射抜いていた。
「……ふざけるなッ!」
フレンダの怒号が、通信回線を通じて男の耳に叩き込まれる。
「白堊理研が最低なのは認める!あなたが地獄を見たのも事実だ!だけど、今を必死に生きてる人たちに、あなたのその『勝手な絶望』を押し付けるな!」
「勝手な絶望だと……!?貴様に私たちの痛みの何が分かる!」
「分からないよ!痛いのは嫌いだもん!でもね、過去の痛みがどれだけ深くても、今日を一生懸命働いて、明日を笑って迎えようとしてる人たちのご飯を奪っていい理由にはならないんだよ!」
フレンダはロード・インパルスの人工筋肉を限界まで駆動させ、組み合っていたマーナガルムを力任せに押し返した。
「私たちはご飯を食べて、明日を生きるために戦ってる 復讐なんて不味いものでお腹を膨らませてるあなたに、私たちが負けるわけがない!」
《フレンダ、敵機のオーバーロード稼働が限界に近づいています。各部の人工筋肉に断裂の兆候。次の一撃で決まります!》
「分かってる!メイ、動力パイプのバイパスを直結、チェーンガン全弾掃射で目くらまし!」
ロード・インパルスの側面から、残存する全ての弾丸が狂ったように吐き出される。
弾幕はマーナガルムの強固な装甲に弾かれるが、その強烈な火花と着弾の衝撃が、一瞬だけ男の視界を奪った。
「小賢しいッ!」
男は焦燥に駆られ、マーナガルムの最大推力で真っ向から突進を仕掛けた。
全てを貫き、噛み砕く、一撃必殺の突撃。
それはミカの暗殺術における捨て身の一撃と全く同じ軌道だった。
(……ミカちゃんと同じ動き。なら、見切れる!)
フレンダは操縦桿を限界まで引き絞った。
「グラビティコントローラー……ッ、質量最大ッ!」
激突の直前、ロード・インパルスは回避ではなく、自身の質量を瞬間的に数倍にまで引き上げた。
マーナガルムの強烈なタックルと牙がロード・インパルスの肩部装甲に突き刺さるが、超質量と化した黒き獣は微動だにせず、その衝撃を完全に受け止めた。
「な……ッ!?」
男の驚愕の声が漏れる。
運動エネルギーの行き場を失ったマーナガルムの姿勢が致命的に崩れた。機体のバランスを司るスラスターと人工筋肉が限界を超えた負荷に耐えきれず、悲鳴を上げてショートを起こす。
《今です、フレンダ!》
「これで、終わりだぁぁぁッ!!」
フレンダは重力制御を瞬時に通常に戻すと同時に、マーナガルムの死角である懐へと滑り込んだ。
尾部から射出されたトリックブレードが、マーナガルムの四肢と姿勢制御装置を蛇のように絡め取り、完全に機体を拘束する。
「おおおおおおおッ!!」
渾身の力を込めたロード・インパルスの右前脚。
赤熱化したヴォーパルクローが、拘束されて身動きの取れない白き狼の胸部中枢システムを真っ直ぐに貫いた。
ガァァァァンッ!!
激しい爆発音と共に、純白の装甲が砕け散る。
中枢を破壊されたマーナガルムは、断末魔のような駆動音を最後に漏らし、ガクンと膝をついた。
オーバーヒートを起こしていたヘキサグラムの赤い光が明滅し、やがて完全に沈黙する。
機体のコントロールを失い、甚大なショックを受けたコックピット内の廃棄検体04は、そのまま意識を刈り取られた。
「……はぁっ、はぁっ……」
フレンダは操縦桿から手を離し、シートに深く背中を預けた。
ナイトアーマーの下は汗だくで、極度の緊張とGの負荷で全身の筋肉が悲鳴を上げている。
目の前には、完全に沈黙し、動かなくなった純白の狼の残骸が横たわっていた。
《敵機マーナガルム、完全沈黙。搭乗ガバナーのバイタルサインは安定していますが、意識不明の重体です。……私たちの、勝利です、フレンダ》
メイの安堵に満ちた声がコックピットに静かに響いた。
「……勝った。勝ったよ、ミカちゃん」
フレンダはヘルメット越しに、小さく呟いた。
過去の亡霊は討ち果たした。これでリトルベースの補給線は守られ、みんなが明日のご飯を心配することなく眠りにつくことができる。
ミカを縛り付けていた因縁のひとつにも、これで区切りがついたはずだ。
「……あーあ。機体はボロボロだし、体中痛いし、最悪。でも……」
フレンダは口元に、いつもの明るい笑みを浮かべた。
「これでようやく、ミカちゃん特製の、特盛シチューが食べられる!」
《ええ。帰還したら、リチャード班長に機体の修理を頼みつつ、真っ先に食堂へ向かいましょう。カロリー計算は私が完璧にサポートします》
「ふふっ、メイは本当に最高だよ。……さぁ、このおっさんを回収して、リトルベースに帰ろ――」
フレンダが通信機に手を伸ばし、リトルベースのミカへ帰還の報告を入れようとした、まさにその瞬間だった。
《――ッ!? フレンダ、上です!!》
メイの悲鳴のようなアラートが、鼓膜を劈くほどの音量で鳴り響いた。
同時に、ロード・インパルス【Reloadead】の全てのセンサーが、文字通り振り切れるほどの異常なエネルギー波長を検知した。
「上……?」
フレンダがメインモニターを地下プラントの天井に向けた。
分厚い岩盤とコンクリートで覆われているはずの天井が、ありえない熱量で赤く、いや、青白く融解し始めている。
《回避してください!空間そのものを切り裂く規格外のヘキサグラム崩壊波長!これは――ッ!》
メイが叫び終わるよりも早く。
空を、いや、世界そのものを両断するかのような、圧倒的で無慈悲な『光の刃』が、地下プラントの分厚い天井を易々と切り裂いて降臨した。
それは、アースクライン・バイオメカニクス社が開発した、LA最強と謳われる必殺の兵器。
ヘキサグラムを崩壊させることで、あらゆる全てを切断する光の刃。
――レイブレード。
「嘘……でしょ……?」
フレンダの瞳に、その青白い閃光が反射する。
マーナガルムとの死闘でエネルギーを使い果たし、機体に致命的なダメージを負っていたロード・インパルス【Reloadead】にその神速の刃を回避する術は残されていなかった。
閃光。
音すらも遅れて届く、究極の暴力。
フレンダの愛機は、防御の姿勢をとる間もなく、その光の刃によって、装甲も、強靭なフレームも、人工筋肉も、まるであぶられた飴細工のように、容易く、そして無残に両断された。
「……ッ!!」
視界が白に染まり、直後に全てを吹き飛ばす爆発の衝撃がフレンダの意識を飲み込んでいった。
特盛のシチューの約束も、勝利の余韻も、全てが理不尽な光の中に消えていく。
最強の獣が、最強の刃によって蹂躙される。
それが、フレンダがこの戦いで最後に見た光景だった。




