【守るための背中】
夜の司令室は、相変わらず静かだった。
ミカ・フォルクス少佐は、デスクの前に座り、ホログラム端末に映る資料をじっと見つめていた。青い瞳は疲れを隠しきれず、わずかに血走っている。彼女は時折、こめかみを指で軽く押さえながら、息を吐いた。
本部から届いた最新の指示は、予想通り厳しい内容だった。
「基地周辺の警戒体制をさらに強化せよ。MSGVF側の活動が確認された場合、即時対応を」
一見すると当然の指示のように見える。
しかし、リトルベースの現状を考えれば、それは簡単には実行できない命令だった。
戦いで消耗した人員はまだ完全に回復していない。機体の修理も追いついていない。補給も、以前の水準には戻っていない。
そんな状況で警戒を強めれば、当然、兵士たちへの負担は増大する。すでに疲弊している部隊に、さらに夜間警戒や巡回を増やせば、どこかで綻びが生じるのは目に見えていた。
ミカは資料をスクロールしながら、静かに考えた。
(本部は現場の状況をわかっていないっす。それとも、わかっていても、命令を出すしかない立場なんだっすか……)
彼女は小さく首を振った。
司令官として、ミカは本部の指示を完全に無視することはできない。
しかし、現場の兵士たちを守るのも、同じく自分の役割だった。
「警戒を強化するなら、少なくとも第二小隊に夜間巡回を増やしてもらう必要があるっす。でも、それだけ人員を割けば、訓練や休息が削られるっす……」
ミカは独り言のように呟きながら、複数の案を頭の中で組み立てては崩していた。
どの選択肢を取っても、誰かに負担がかかる。
それが、ミカを最も苦しめていた。
彼女はデスクに両肘をつき、顔を両手で覆った。
(守るためには、誰かを苦しめなければならないっすか……)
その想いが、胸の奥で重くのしかかっていた。
戦場であれば、敵を倒せばそれで終わりだった。
しかし今は、敵の姿が見えないまま、味方同士で負担を分け合わなければならない。
しかも、その分配を決めるのは自分だ。
ミカはゆっくりと顔を上げ、再び資料に視線を戻した。
「……結局、自分で決めないといけないっすね」
彼女は静かに呟き、ペンを取った。
その時、ノックが鳴った。
「ミカちゃん、いる?」
フレンダの声だった。
ミカはわずかに姿勢を正し、声を張った。
「入ってっす、大尉」
ドアが開き、フレンダが顔を出した。彼女は手に、またしても軽い食べ物の包みを持っていた。
「また遅くまで起きてるんだね」
「……うん。少しっす」
フレンダは部屋の中に入り、ミカの隣に腰を下ろした。
「ご飯、ちゃんと食べてる?」
「適当にっす」
「適当じゃダメだよ」
フレンダは少し困ったように微笑みながら、包みをテーブルに置いた。
「せめてこれは食べて。今日作ったスープだよ」
ミカは包みを見つめ、ゆっくりと息を吐いた。
「……大尉、いつもありがとうっす」
「気にしないで」
フレンダはミカの横顔を優しく見つめた。
「ミカちゃん、最近すごく疲れてるみたい。目が腫れてるよ?」
ミカは思わず、自分の目を指で触れた。
「そんなに、わかるっすか」
「うん。ミカちゃんの顔は、よく見てるから」
その言葉に、ミカは少しだけ視線を逸らした。
フレンダにそんな風に言われると、余計に自分の弱さが露呈しているように感じてしまう。
彼女は司令官として、頼れる存在でありたいと思っていた。
フレンダが戦いやすいように、後方から支えていたい。
それなのに、結果としてフレンダを心配させている。
「……大尉には、もっと前を向いてほしいっす。だからこそ、自分がしっかりしなくちゃいけないって思うっす」
ミカは静かに、本音に近い言葉を口にした。
フレンダは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ミカちゃんは、もう十分に頑張ってるよ」
「でも……」
「ミカちゃんが一人で全部背負おうとしてるのが、一番心配なんだ」
フレンダはそう言って、ミカの肩にそっと手を置いた。
「私も、ミカちゃんも、みんなで守ってるんだよ。ミカちゃんだけが全部背負う必要はない」
その言葉は、ミカの胸にじんわりと染み込んだ。
彼女は本当に、フレンダに守られたいと思っているわけではなかった。
ただ、フレンダが笑っていられるように、自分が支えていたいと思っていた。
それが、司令官としての自分の役割だと信じていた。
しかし、フレンダの言葉を聞いていると、少しだけ肩の力が抜けるような感覚があった。
「……大尉」
「ん?」
「少しだけ……話、聞いてくれるっすか?」
フレンダは優しく頷いた。
「もちろん」
ミカは少しの間、言葉を選んだ。
「LA本部から、警戒を強化するように指示が来てるっす。でも、今の基地の状態でそれをやろうとすると、兵士たちにかなり負担がかかるっす。すでに疲れてる人たちに、さらに夜間巡回を増やせば……どこかで限界が来るかもしれないっす」
彼女は静かに続けた。
「でも、命令を無視するわけにもいかないっす。
もしMSGVFの部隊が動いたときに、何もしてなかったら……後悔するっす」
フレンダはミカの話を、静かに聞いていた。
「ミカちゃんは、いつもそうやってみんなのことを考えて決めてるんだね」
「当たり前っす。大尉や、基地のみんなを守るのが、自分の仕事っすから」
「でも、ミカちゃん自身を守ることは?」
その問いかけに、ミカは一瞬、言葉に詰まった。
「……自分は、守られる側じゃないっす」
「そんなことないよ」
フレンダは優しく、しかしはっきりと否定した。
「ミカちゃんは、私たちを守ってくれてる。だから、私たちもミカちゃんを守りたいと思ってる。それが普通だよ」
ミカは、フレンダの言葉をゆっくりと噛みしめた。
彼女は今まで、自分が「守る側」であることにこだわりすぎていたのかもしれない。
フレンダや部下たちに弱さを見せることを、恐れていた。
しかし、フレンダはそれを「普通のこと」だと言ってくれている。
「……ありがとうっす、大尉」
ミカは小さく、しかし心からそう言った。
フレンダはにこっと微笑んだ。
「ミカちゃんが少しでも楽になるなら、私に何でも言ってね。話すだけでも、楽になることあると思うから」
ミカは少しの間、迷った。
本当は、もっと弱音を吐きたい気持ちがあった。
しかし、彼女は結局、静かに首を振った。
「今は……まだ、少しだけ頑張らせてほしいっす」
フレンダは少し寂しそうに微笑んだが、強くは押してこなかった。
「わかった。じゃあ、せめて今日はここで少し休んで。ミカちゃんが倒れたら、私が困るから」
彼女はそう言って、ミカの隣に腰を下ろしたまま、静かに寄り添った。
ミカは、フレンダの温もりを隣に感じながら、ゆっくりと息を吐いた。
(大尉は……本当に、優しいっす)
その想いが、胸の奥でじんわりと広がっていく。
しかし、同時に、彼女の頭の片隅では、まだ解決していない問題が重くのしかかっていた。
(警戒を強化するべきか……それとも、兵士たちの負担を優先するべきか……)
ミカは目を閉じ、静かに考えを巡らせた。
フレンダはそんなミカの横顔を、優しく見つめていた。
夜は、まだ深かった。
リトルベースの格納庫は、夜になると静かになる。
整備班の作業音や、時折聞こえる機体の点検音が、徐々に収まっていく時間帯だった。ミカは、そんな静かな格納庫を一人で歩いていた。
彼女は今日も遅くまで司令室に残り、書類と向き合っていたのだ。
すでに数日連続でまともに眠れていない。
目が重く、頭の芯がじんわりと痛む。
それでもミカは、休憩を取ろうとはしなかった。
(まだ、終わっていないっすから)
彼女はそう自分に言い聞かせながら、整備班の様子を軽く確認するために格納庫を回っていた。
すると、作業台の近くで油まみれの作業服を着た男が、彼女に気づいて声をかけてきた。
「少佐」
リチャード整備班長だった。
「お疲れです、こんな時間にどうかしましたか?」
「少し、様子を見に来ただけっす」
ミカは淡く答えた。
リチャードは油のついた手を雑巾で拭きながら、ミカの顔をじっと見た。
「……少佐、無理しすぎです」
その言葉に、ミカはわずかに動きを止めた。
「どうして、急にそんなことをっすか」
「だって、顔色が悪いですもの。戦いの後からずっと司令室にこもりきりで、ろくに休んでないと聞いています」
リチャードは珍しく、遠慮なく本音を口にした。
「俺たち整備班も、少佐が無理してるのはわかっています。少佐が倒れたら、基地全体が困ってしまいますよ」
ミカは一瞬、言葉に詰まった。
彼女は「大丈夫っす」と返すつもりだった。
しかし、リチャードの視線が真っ直ぐで、適当に流すことができなかった。
「……ありがとうっす、リチャード」
彼女は小さく礼を言った。
「でも、今は自分が動かないと、基地が回らないっす。戦いの後で、色々と乱れてるから」
リチャードは少し寂しそうに笑った。
「少佐はいつもそうです、全部自分で背負おうとする」
その言葉が、ミカの胸にじわりと刺さった。
彼女は無言で頷き、格納庫を後にした。
夜更け。
ミカが司令室に戻ると、すでにデスクの上は再び書類で埋め尽くされていた。
本部からの追加指示と、部隊からの要望書が混在している。
彼女は椅子に深く腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
(リチャードにまで心配をかけさせてしまってるっす……)
その事実が、ミカをさらに重くしていた。
彼女は司令官として、頼れる存在であり続けたいと思っていた。
弱さを見せれば、部下たちが不安になるかもしれない。
特にフレンダには、できるだけ強い姿を見せていたかった。
しかし、現実は彼女の想いとは裏腹に、徐々に疲労が蓄積していた。
その時、再びノックが鳴った。
「ミカちゃん」
フレンダの声だった。
ミカはわずかに顔を上げた。
「……入ってっす、大尉」
ドアが開き、フレンダが入ってきた。
彼女は手に、またしても食べ物の包みを持っていた。
「また遅くまで起きてるんだね」
フレンダは優しく微笑みながら、ミカの隣に腰を下ろした。
「今日もご飯食べてないでしょ?持ってきたよ」
「……ありがとうっす」
ミカは素直に包みを受け取った。
しかし、彼女の胸の奥では、複雑な感情が渦を巻いていた。
(また、大尉に気を使わせてしまってるっす……自分がしっかりしていれば、こんな心配をかけなくて済むのに)
フレンダはミカの横顔をじっと見つめた。
「ミカちゃん」
「なにっすか?」
「無理してるの、わかってるよ」
その一言に、ミカは思わず動きを止めた。
フレンダは静かに続けた。
「リチャードさんも言ってたけど、ミカちゃんは本当に一人で全部背負おうとしてる。私たちに心配をかけまいとして、どんどん一人で頑張ってる」
ミカは視線を逸らした。
「……大尉に心配をかけさせたくないっす。大尉は、もっと前を向いて戦ってほしいっすから」
「それは、ミカちゃんが勝手に決めていることだよ?」
フレンダの声は優しかったが、はっきりとしていた。
「ミカちゃんが一人で頑張りすぎてるのが、一番心配なんだ。ミカちゃんが倒れたら、私も困る。基地のみんなも困る」
ミカはゆっくりと息を吐いた。
彼女は本当に、フレンダを守りたいと思っていた。
それが、司令官としての自分の役割だと信じていた。
だからこそ、弱さを見せまいとしていた。
しかし、フレンダの言葉を聞いていると、自分のその想いが、かえってフレンダを苦しめているのかもしれないと感じ始めた。
「……大尉」
「ん?」
「自分は……司令官っすから」
ミカは静かに、しかし口にした。
「司令官が弱音を吐いたら、基地のみんなが不安になるっす。特に大尉には、安心して戦ってほしいっす。だからこそ、自分がしっかりしなくちゃいけないって思うっす」
フレンダはミカの言葉を、静かに聞いた。
そして、少しの間を置いて、優しく答えた。
「ミカちゃんは、強いよ。でも、強いからこそ、たまには誰かに頼ってもいいと思う」
彼女はミカの肩に、そっと手を置いた。
「私も、ミカちゃんも、みんなで守ってるんだよ。ミカちゃんだけが全部背負う必要はない」
その言葉が、ミカの胸の奥にじんわりと染み込んだ。
彼女は今まで、「守る側」であることにこだわりすぎていたのかもしれない。
フレンダに頼ること=弱さだと思っていた。
しかし、フレンダはそれを「普通のこと」だと言ってくれている。
ミカはゆっくりと顔を上げ、フレンダを見つめた。
「……大尉」
「うん」
「また少しだけ……話、聞いてくれるっすか」
フレンダは優しく頷いた。
「もちろん」
ミカは少しの間、言葉を選んだ。
「本部からの指示と、基地の現実が、どんどん離れていってるっす。警戒を強化しろと言われても、兵士たちにこれ以上負担をかけられないっす。でも、何もしなければ、もし何かあったときに後悔するっす」
彼女は静かに続けた。
「自分が決めないといけないっす。でも、どの選択をしても、誰かを苦しめることになるっす」
フレンダはミカの話を、じっと聞いていた。
そして、優しく言った。
「ミカちゃんは、いつも本気でみんなのことを考えてるんだね」
「……当たり前っす」
「だから、ミカちゃんが一人で抱え込もうとするのも、わかるよ。でも、ミカちゃんが一人で全部決めなきゃいけないわけじゃない」
フレンダはミカの手に、自分の手を重ねた。
「私もいるし、メイもいる。リチャードさんも、ガルム中尉も、みんなミカちゃんの味方だよ。だから、たまには相談して。ミカちゃんが一人で苦しんでるのを見るのは、辛いから」
ミカは、フレンダの手に視線を落とした。
その温かさに、彼女の胸の奥が少しだけ緩んだ。
「……ありがとうっす、大尉」
彼女は小さく、しかし心からそう言った。
フレンダはにこっと微笑んだ。
「ミカちゃんが少しでも楽になるなら、私に何でも言ってね」
ミカはゆっくりと頷いた。
その夜、ミカはいつものように一人で残った。
しかし彼女の胸の内には、わずかながらも温かいものが残っていた。
(大尉は……本当に、優しいっす)
その想いが、彼女を少しだけ支えていた。




