【書類の山と沈黙】
リトルベースの司令室は、夜遅くになっても明かりが灯っていた。
ミカ・フォルクス少佐は、デスクに積み上がった書類の山を前に、静かにペンを走らせていた。青いミドルボブの髪がわずかに乱れている。彼女の青い瞳は、ホログラム端末の光を映しながら、淡く疲れを帯びていた。
戦いが終わってから、もう五日が経過していた。
ブロッケードアイビーとの戦い、そしてLA本部の裏組織側との直接的な衝突は、一応の決着を見た。補給路は守られ、基地も大きな被害を受けることなく持ちこたえた。
しかし、その代償として、リトルベースの内部は大きく乱れていた。
物資の再配分、損耗した機体の修理計画、人員の再配置、そして本部への詳細な報告書。どれもが緊急を要するものばかりで、ミカのデスクは一向に片付く気配を見せなかった。
「はぁ…っすね」
彼女は小さく息を吐き、書類の一枚をめくった。補給の再編に関する資料だ。戦いで消費した物資をどう補填するか、どの部隊に優先的に割り当てるか。どれもが「正解」がない選択だった。
ミカはペンを止め、わずかに目を閉じた。
(自分が司令官である以上、こういう仕事も当然だっす。戦場で戦うことだけが、司令官の役割じゃないっすから)
そう自分に言い聞かせる。
しかし、胸の奥のどこかで、じわじわと重いものが積み重なっていく感覚があった。
ドアがノックされる音がした。
「ミカちゃん、いる?」
聞き慣れた、明るい声。フレンダ・ディーコン大尉だった。
ミカはわずかに姿勢を正し、声を張った。
「どうぞっす、大尉」
ドアが開き、フレンダが顔を出した。彼女はいつものように明るい笑顔を浮かべていたが、その目にはわずかな心配の色が混じっているように見えた。
「まだ起きてたんだ。もう夜中だよ?」
「書類が片付かないっす。もう少しで終わるから、大尉は先に休んでいてくれっす」
フレンダは少し困ったように眉を寄せ、部屋の中に入ってきた。
「ミカちゃんこそ、無理しすぎじゃない?戦いの後だよ?少しは休んだ方がいいと思うんだけど」
「大丈夫っす。大尉が頑張ってくれたおかげで、基地は守られたっす。だからこそ、今は自分がちゃんと片付けないと」
ミカはそう言うと、再び書類に視線を戻した。フレンダを長く引き止めたくなかった。彼女に余計な心配をかけさせたくないという想いが、強くあった。
フレンダは少しの間、ミカの横顔を眺めていた。
「……ご飯、食べた?」
「まだっす。後で適当に済ませるっす」
「じゃあ、一緒に食べようよ。厨房にまだ少し残ってるから」
フレンダの声は、いつものように明るかった。ミカは一瞬、ペンを止めた。
(一緒にご飯を食べる……)
その響きに、わずかな甘い誘惑を感じた。
しかし、すぐにそれを振り払う。
(今、大尉に気を使わせるわけにはいかないっす。自分が弱っている姿を見せたら、大尉がまた無理をしてしまうかもしれないっすから)
ミカは静かに、しかしはっきりと答えた。
「すまないっす、大尉。今は本当に書類が終わらないっす。大尉は、先に食べて休んでっす」
「……そう」
フレンダは少し寂しそうに微笑んだが、強くは押してこなかった。
「じゃあ、ミカちゃんがお仕事終わったら食べられるように、残りを温めておくね。無理はしないでね」
「ありがとうっす」
フレンダが部屋を出ていった後、ミカは再びデスクに向き直った。
部屋に、再び静けさが戻る。
彼女は書類を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
(大尉は優しいっす。本当に……優しすぎるっす)
フレンダが自分を心配してくれていることは、痛いほどわかっていた。
それだけに、ミカは余計に「自分がしっかりしなければ」という想いが強くなる。
自分が弱音を吐いたり、休んだりしている間に、何か問題が起きたらどうする。
裏組織側の残党が動くかもしれない。レイブレードを搭載した謎の機体が、再び現れるかもしれない。
そんな可能性を考えれば、休んでいる暇などないように思えた。
ミカは再びペンを取り、書類に目を通し始めた。
しかし、集中はなかなか続かなかった。
頭の片隅で、フレンダの笑顔が何度も浮かんでくる。
あの笑顔を守るために、自分は今ここにいる。
戦場で一緒に戦うことだけが、フレンダを守る方法ではない。
今は司令官として、基地全体を支えることが、自分の役割なのだ。
(それでも……)
ミカは無意識に、こめかみを軽く押した。
(自分が動けないことで、誰かがまた傷つくかもしれないっす。それが、一番怖いっす)
彼女はそう思うたびに、書類にさらに集中しようとした。
疲労は確実に蓄積している。数日前からまともに眠れていない。
それでも、ミカはデスクから離れようとはしなかった。
夜が更けていく。
司令室の明かりは、いつまでも消えることはなかった。
朝の陽光が、リトルベースの赤茶けた大地を照らしていた。
ミカは、いつものように基地内を巡回していた。漆黒の制服に身を包み、青い髪を軽く後ろでまとめている。彼女の足取りは、いつものように確かだったが、どこか肩に力が入っているように見えた。
基地の兵士たちは、彼女の姿を見て次々と声をかけていた。
「少佐、おはようございます」
「おはようっす」
「少佐、最近あんまり外で見かけないですね、ずっと司令室にこもりきりなのでは?」
ミカは淡く微笑みながら答えた。
「書類や調整事が多くてっす。司令室にいた方が、基地全体の状況を把握しやすいからっす」
兵士は納得したように頷いたが、ミカの胸の内では、別の感情がゆっくりと渦を巻いていた。
(本当に、そうだろうか……)
彼女は心の中で、静かに自問した。
確かに、司令室にいることで全体の情報を集め、素早く判断を下すことはできる。
しかし、それは同時に「自分が現場から離れている」という事実でもあった。
フレンダや第一小隊が外で動いている間、自分はデスクの前に座り、書類と向き合っている。
その距離が、ミカの胸に小さな棘のように刺さっていた。
(守るためには、動かなくてはいけないっす。でも、今の自分は……本当に、みんなを守れているんだろうかっす)
そんな考えが頭をよぎるたびに、ミカは無意識に眉を寄せた。
彼女は戦場で戦うこと自体を懐かしんでいるわけではなかった。
ただ、「自分がここにいる意味」を、強く意識せざるを得ない状況にあった。
巡回を終え、司令室に戻ったミカの前に、いつものようにフレンダが現れた。
「ミカちゃん、お疲れ様」
フレンダは手に、小さな包みを持っていた。
「厨房で作ったおにぎりだよ。まだ温かいから、食べてみて」
ミカは一瞬、言葉に詰まった。
「……ありがとうっす、大尉」
彼女は素直に包みを受け取った。フレンダの気遣いが嬉しい反面、心のどこかで「また心配をかけてしまっている」という罪悪感が浮かんでいた。
フレンダはミカの顔をじっと見つめた。
「ミカちゃん、目が疲れてるみたい。昨日も遅くまで起きてたでしょ?」
「うん……少しっす」
「少し、じゃないと思うけど」
フレンダは少し困ったように笑ったが、声を強くはしなかった。
「無理はしないでね。ミカちゃんが倒れたら、基地のみんなが困るよ」
その言葉に、ミカは胸の奥がざわついた。
(大尉は、優しいっす。本当に……)
彼女は自分が疲れていることを、フレンダに隠そうとしていた。
しかし、フレンダはそれを簡単に見抜いてしまう。
そして、決して強く責めたりはせず、ただ心配してくれる。
それが、ミカにとってはある意味で、もっとも辛いことだった。
「……すまないっす、大尉。心配かけて」
「気にしないで。ミカちゃんが頑張ってるのは、みんなわかってるから」
フレンダはそう言って、優しく微笑んだ。
その笑顔を見ていると、ミカは余計に「自分がもっと強くならなければ」という想いが強くなった。
フレンダが明るく前を向いていられるように、自分が支えなくてはならない。
それが、司令官である自分の役割だと思っていた。
午後になっても、ミカは司令室からほとんど出なかった。
書類の処理、部隊からの報告の確認、LA本部への連絡。どれもが終わりのない作業だった。
時折、頭が重くなるのを感じながらも、彼女は休憩を取ろうとはしなかった。
夜。
再び、司令室の明かりが一人だけを照らしていた。
ミカはデスクに肘をつき、わずかに目を閉じていた。
すでに数日まともに眠れていない。集中力も徐々に落ち始めているのを感じていた。
そこへ再びノックが鳴った。
「ミカちゃん、いる?」
フレンダの声だった。
「……入ってっす」
ドアが開き、フレンダが入ってきた。彼女は手に、またしても軽いおにぎりの包みを持っていた。
「さっきの、まだ食べてないでしょ?」
ミカは小さく息を吐いた。
「大尉……本当に、気を使わせてしまってすまないっす」
「いいよ」
フレンダはミカの隣に腰を下ろし、包みをテーブルに置いた。
「ミカちゃんが一人で頑張りすぎてるのが、一番心配なんだよ」
その言葉に、ミカは一瞬、視線を逸らした。
彼女は、フレンダに弱い姿を見せたくないと思っていた。
司令官として、頼れる存在でいたい。
フレンダが戦えるように、後方からしっかり支えていたい。
それなのに、結果としてフレンダを心配させてしまっている。
「……大尉には、もっと前を向いて戦ってほしいっす。だからこそ、自分がしっかりしなくちゃいけないって思うっす」
ミカは静かに、本音に近い言葉を漏らした。
フレンダは少し驚いたように目を見開いたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「ミカちゃんは、もう十分に頑張ってるよ。私を守ってくれて、基地を守ってくれて……」
彼女はミカの肩に、そっと手を置いた。
「だから、たまには休んで。ミカちゃんが倒れたら、私も困るから」
ミカは、フレンダの手に視線を落とした。
その温かさに、わずかに胸の奥が緩むのを感じた。
しかし、すぐに彼女は小さく首を振った。
「ありがとうっす、大尉。でも……今は、まだ少しだけ頑張らせてっす」
フレンダは少し寂しそうに微笑んだが、強くは押してこなかった。
「わかった。じゃあ、せめてこれは食べてね」
彼女は包みをミカの前に置き、静かに部屋を出ていった。
再び一人になったミカは、しばらくその場に座っていた。
彼女はゆっくりと手を伸ばし、おにぎりの包みを開けた。
温かいご飯の香りが、静かな司令室に広がる。
ミカはそれを一口食べながら、静かに考えた。
(大尉は……本当に優しいっす。だからこそ、絶対に私が守らなくちゃいけないっす)
彼女はそう思うと、再びデスクに向き直った。
夜は、まだ深かった。




