【深淵との対峙】
夜明け前の荒野は、まだ冷たい空気に包まれていた。
ルプス・インパルスが大地を強く蹴り、風を切り裂いて前進する。その紫と水色の装甲は、朝焼けの光を浴びて淡く輝いていた。尾部の強化型トリックブレードがわずかに低く構えられ、機体全体から戦う準備が整った静かな威圧感が漂う。
コックピットの中で、フレンダ・ディーコン大尉は操縦桿を握る手に力を込めていた。ナイトアーマー【ビアンコ】を着込んだままシートに深く腰を下ろし、息を整える。
「メイ、敵の反応は?」
《正面約三キロ。複数機の反応を確認しています。第三世代ヘキサギアが四機、第二世代の重装甲機が二機。中央に指揮官機と思われる大型機が存在します》
メイの声は冷静だったが、わずかに張りつめた響きがあった。
「かなり本気で来てるね……」
《はい。金にものを言わせた高性能機体を揃えてきています。敵の動きは明らかに組織的です》
ミカ・フォルクス少佐の声が通信で入ってきた。漆黒のポーンX1が、ルプス・インパルスの右側を並走している。
「大尉、正面に敵部隊を確認っす。規模は予想以上っすね。かなり本気で大尉を狙ってきてるっす」
「うん。ミカちゃんも気をつけて。無理はしないで」
「了解っす。大尉が一人で全部背負う必要はないっす。今回はみんなで一気に叩くっす」
フレンダは小さく頷いた。ルプス・インパルスのアイセンサーが鋭く光を放ち、紫色の輝きが朝靄の中に浮かび上がる。
敵部隊は、赤茶けた丘陵の向こうに陣取っていた。
四機の第三世代ヘキサギアが前衛を固め、二機の重装甲バルクアーム系が後方を支えている。中央に鎮座する指揮官機は、黒と金で統一された大型機で、背部に大型のエネルギー兵器を搭載していた。明らかに高額なカスタムが施されており、威圧感が強い。
敵の通信が、オープンチャンネルに入ってきた。
「フレンダ・ディーコン大尉。よく来てくれました」
声はハワード・クレインのものだった。いつもの穏やかな調子だが、どこか冷たい響きが混じっている。
「ここまで来るということは、検査を受ける気になったということでしょうか?」
フレンダは静かに、しかしはっきりと答えた。
「違うよ。検査を受けるつもりはない。これ以上、みんなの補給を人質に取るのもやめてほしい」
ハワードは短く吐息をついた。
「それは残念です。大尉の体は、LAにとって非常に価値のある資産です。検査を受けていただければ、基地への補給も即座に回復します。皆さんが温かいご飯を食べられる日常も、守れるのですよ?」
フレンダの瞳がわずかに細められた。彼女は操縦桿を強く握りしめながら、静かに言葉を返す。
「そんなの、ただの言い訳だよ。お金と権力のために、私を研究材料にしようとしてるだけだ」
「大尉はまだ理解していないようです。あなたは『特別』なんです。普通の人間では耐えられない負荷に耐え、死にかけてもすぐに回復する。その体は、未来の戦争を変える可能性を秘めています。無駄に消耗させるのは、惜しい」
フレンダは歯を食いしばった。
「私は、戦争のために生きてるわけじゃない。みんなが安心してご飯を食べられる世界を守るために、戦ってるんだ。だから、降りない」
ハワードの声が、少しだけ低くなった。
「……では、力ずくで連れて行かせていただきます。生け捕りが望ましいですが、必要であれば多少の損傷は許容します」
通信が切れた瞬間、敵の機体が一斉に動き出した。
最初の衝突は、激しかった。
敵の第三世代機二機が、左右からルプス・インパルスに迫ってきた。高速で接近し、チェーンガンとグレネードランチャーを同時に撃ち込んでくる。爆風が荒野を揺るがす。
「っ!」
フレンダはグラビティコントローラーを起動し、機体の質量を軽くしながら横に跳んだ。着弾の衝撃が背中を叩く。
《左側面に着弾。装甲損耗は軽微です》
「了解!」
ルプス・インパルスが前脚で地面を強く蹴り、敵の一機に飛びかかった。強化型トリックブレードが大きく弧を描き、敵機の右腕を深く切り裂く。火花と装甲片が飛び散り、敵機が大きくよろめいた。
しかし、敵は数を活かして距離を保ちながら攻撃を繰り返してくる。明らかに「殺す」のではなく「動きを封じて捕らえる」戦法だった。重装甲機が前衛を引き受け、第三世代機が側面と後方から執拗に牽制を繰り返す。
「面倒くさいっすね……!」
ミカのポーンX1が素早く動き、敵の一機の脚部に集中攻撃を加えた。黒い機体が低く構え、精密な射撃で敵の動きを鈍らせる。
「大尉、敵は大尉を生け捕りにしようとしてるっす!本気で潰しに来てないっす!」
「わかってる!でも、こっちは本気で戦うよ!」
フレンダは操縦桿を強く引いた。ルプス・インパルスが咆哮を上げ、インペリアルロアーを最大出力で放つ。低く重い咆哮が荒野に響き渡り、敵機の一機がわずかに動きを止めた。その隙に、ヴォーパルクロー改が敵の装甲を抉る。
《シンクロ率が上昇しています。フレンダの意志が機体に反映されています》
「もっと……もっと力を貸して、メイ!」
《はい!忘我廻廊は安定領域に定着しています。機体の全ポテンシャルを引き出せます》
忘我廻廊が安定した紫色の輝きを放ち、ルプス・インパルスの動きがさらに鋭くなった。機体が敵の攻撃を紙一重でかわしながら、果敢に反撃を加えていく。
しかし、敵の数は明らかに多かった。第一小隊の機体たちが必死に援護に入るが、敵はルプス・インパルスを囲むように動きを続けている。
「くっ……!」
敵の指揮官機が、初めて大きく動き出した。黒と金の大型機がゆっくりと前進し、背部の大型エネルギー兵器が青白く輝き始める。
「フレンダ大尉。あなたがどれだけ抵抗しても、結果は変わりません。我々は金にものを言わせて、最強の装備を揃えています。あなた一人でどうにかなる相手ではありません」
フレンダは荒い息を吐きながら、通信で叫んだ。
「一人じゃないよ!」
彼女はすぐに続けた。
「ミカちゃん!第一小隊のみんな!みんなが一緒に戦ってくれてる!」
ミカの声がすぐに返ってきた。
「その通りっす、大尉!私達は一人じゃないっす!」
ガルム中尉の声も通信に重なった。
「我々も、絶対に大尉を見捨てません!」
ルプス・インパルスが、再び咆哮を上げた。紫色の光がさらに強くなり、機体が前進を再開する。敵の攻撃をかわしながら、距離を詰めていく。
だが、敵の指揮官機が放った一撃は、強烈だった。
青白いエネルギー弾が、ルプス・インパルスの左前脚に直撃した。機体が大きくよろめき、装甲が大きくえぐられる。火花と黒煙が上がった。
「っ!」
《左前脚、損傷大!運動性能が低下しています!》
「まだ……動ける!」
フレンダは痛みを堪えながら、操縦桿を握りしめた。機体が左に傾きかけるのを、必死に立て直す。
戦いは、まだ始まったばかりだった。
敵は生け捕りを優先しているため、完全に滅殺してこない。だが、その分、ルプス・インパルスにかかる負担は大きくなっていた。ミカのポーンX1がすぐに横に並び、敵の追撃を防ぐ。
「大尉、大丈夫っすか!?」
「うん……まだやれる!」
フレンダは前方を睨みつけた。敵の指揮官機が、再びエネルギー兵器を狙ってくる。
「絶対に、負けない……みんなが温かいご飯を食べられる世界を、絶対に守るんだから!」
ルプス・インパルスが、紫色の光を強く放ちながら、再び敵陣へと突き進んでいく。
敵の第三世代機が二機、左右から再び迫ってきた。チェーンガンの弾幕がルプス・インパルスを襲う。フレンダはグラビティコントローラーを最大限に使い、機体を軽やかに動かしながら反撃を試みる。
メイの声が冷静に状況を報告する。
《敵の動きに変化あり。指揮官機が大尉を直接狙っています》
「わかってる……!」
フレンダは歯を食いしばり、強化型トリックブレードを振りかざした。敵の一機の脚部に深く突き刺し、大きく引き裂く。敵機がバランスを崩して後退する。
しかし、もう一機が背後から迫っていた。グレネードランチャーの砲口が、ルプス・インパルスの背中に狙いを定める。
その瞬間、ミカのポーンX1が横から突っ込んできた。黒い機体が敵のグレネードランチャーを体当たりで弾き飛ばす。
「ミカちゃん!」
「大尉に手を出させないっす!」
ミカの声は、いつもの口調のまま、強い決意に満ちていた。
戦場は、徐々に混沌としてきた。
敵は数を活かしてルプス・インパルスを追い詰めようとし、フレンダとミカは必死にそれを振りほどこうとしていた。第一小隊の機体たちも、果敢に敵に食らいつき、戦況を支えている。
フレンダは荒い息を繰り返しながら、操縦桿を握りしめた。
「まだ……終わりじゃない!」
ルプス・インパルスが、傷ついた左前脚を引きずりながらも、再び前進を始めた。紫色の光が、戦場の朝靄の中で強く輝いていた。
戦場は、すでに激しい爆風と埃に包まれていた。
ルプス・インパルスの左前脚は大きく損傷し、動きが明らかに鈍くなっていた。紫色の装甲には複数の傷跡が刻まれ、ところどころで火花が散っている。それでも機体は前進を止めず、敵の指揮官機に向かって突き進んでいた。
フレンダはコックピットの中で、荒い息を繰り返していた。額に汗が浮き、ビアンコの内側がじっとりと湿っている。
「メイ……まだ動ける?」
《はい。忘我廻廊は安定しています。ただし、左前脚の損傷が深刻です。長時間の戦闘は厳しいかもしれません》
「わかってる……でも、ここで引き下がるわけにはいかない」
彼女は歯を食いしばり、操縦桿を強く握りしめた。
敵の指揮官機が、再び青白い光を放った。大型エネルギー兵器がフレンダを正確に捉えている。
「フレンダ大尉。ここで終わりにしましょう。あなたはもう十分に戦いました。抵抗を続けても、無駄です」
ハワードの声が、通信を通じて冷たく響く。
「我々は、あなたの体を必要としています。無駄に傷つけるつもりはありません。素直に降伏すれば、基地への補給もすぐに再開します」
フレンダは静かに、しかしはっきりと答えた。
「もう、二度と言わないで。私は、絶対に降りない」
その瞬間、敵の指揮官機が特殊な装置を起動させた。
機体の胸部から、青白く輝くリング状の装置が展開する。ヘキサグラムの流れを強制的に抑制する、特殊な捕獲兵器だった。
「っ!?」
《警告!特殊な干渉波を検知!ヘキサグラムの流れが乱れています!》
メイの声に、初めて緊張が混じった。
ルプス・インパルスの動きが、突然鈍くなった。機体全体が重く感じられ、忘我廻廊の反応が乱れていく。フレンダの意識が、わずかに霞む。
「なに、これ……!?」
《ヘキサグラムを一時的に抑制する装置です!フレンダの特殊な体質を狙った捕獲兵器だと考えられます!》
敵の指揮官機が、ゆっくりと接近してきた。黒と金の機体が、獲物を前にした捕食者のように迫る。
「これで終わりです、大尉。抵抗は無意味です」
フレンダの視界が、わずかに揺れた。ルプス・インパルスの動きが止まりかけ、敵のエネルギー兵器が再び照準を合わせてくる。
(……動かない……!)
彼女は必死に操縦桿を握ったが、機体が思うように反応しない。
コックピットの中で、フレンダの体が熱くなった。
それは、彼女が生まれ持った特異な体質が、危機を察知して反応し始めた証だった。
(……私は、ただの検体じゃない。みんなを守るために、ここにいるんだ)
彼女は目を閉じ、深く息を吸った。
「メイ……!」
《フレンダ!》
「まだ、終わらない……!私は、みんなが温かいご飯を食べられる世界を守るって、決めたんだから……!」
その瞬間、フレンダの体内で異変が起きた。
クローンとして生み出された彼女の細胞が、異常な速度で活性化し始めた。ヘキサグラムの抑制波に抵抗するように、彼女の体が自らを再生・適応させていく。痛みと熱が全身を駆け巡るが、フレンダはそれを耐え抜いた。
「うおおおおっ……!」
彼女は叫びながら、操縦桿を強く引いた。
ルプス・インパルスが、強制的に動きを再開した。忘我廻廊が不安定ながらも再び繋がり、機体が紫色の光を強く放ち始める。抑制されていたヘキサグラムの流れが、フレンダの意志によって強引に押し戻されていく。
「まだ……まだ動ける!」
《フレンダ!シンクロ率が急上昇しています!機体がフレンダの意志に完全に呼応しています!》
敵の指揮官機が、わずかに後退した。
「何を……!?」
フレンダの声が、通信を通じて荒野に響き渡った。
「私は、検体なんかじゃない!私は、フレンダ・ディーコンだ!みんなが笑ってご飯を食べられる日常を守るために、戦うんだ!」
ルプス・インパルスが、傷ついた体を引きずりながらも、敵の指揮官機に向かって突進した。強化型トリックブレードが大きく振り上げられ、敵機のエネルギー兵器を真っ向から叩き割る。
青白い光が爆ぜ、指揮官機が大きく後退した。
「くっ……! このっ……!」
敵の指揮官機が、必死に反撃を試みる。しかし、ルプス・インパルスの動きは、さっきまでとは明らかに違っていた。抑制を振りほどいたフレンダの意志が、機体を限界を超えて動かしていた。
ミカのポーンX1が、すぐに横から援護に入った。
「大尉、ナイスっす!私も行くっす!」
第一小隊の機体たちも、敵の側面を攻撃し、指揮官機の動きを封じていく。
フレンダは、荒い息を吐きながら叫んだ。
「みんな……ありがとう!」
ルプス・インパルスが、最後の力を振り絞った。強化型トリックブレードが、敵の指揮官機の胸部に深く突き刺さる。黒と金の装甲が大きく裂け、内部から火花と煙が噴き出した。
「がっ……!」
敵の指揮官機が、大きくよろめいた。
「これで……終わりだ!」
フレンダは最後に、ヴォーパルクロー改を振り下ろした。敵機のコックピット付近を大きく抉り、機体を完全に戦闘不能に追い込む。
指揮官機が、ゆっくりと膝をついた。
「……馬鹿な……」
ハワードの声が、弱々しく通信で聞こえてきた。
フレンダは、荒い息を繰り返しながら答えた。
「私は、特別かもしれない。でも、それでも私は、みんなを守るために戦う。お金や権力のために、人を道具にするような世界は、絶対に認めない」
敵の残存部隊が、指揮官機の敗北を見て撤退を始めた。ミカと第一小隊が、それを追撃することなく見送る。
戦場に、静けさが戻ってきた。
ルプス・インパルスが、ゆっくりとその場に立ち止まる。傷ついた機体から、白い煙が細く立ち上っていた。
フレンダは、操縦桿から手を離し、シートに深く体を預けた。
「……勝った、ね」
《はい、フレンダ。お疲れ様です》
メイの声が、優しく響いた。
ミカのポーンX1が、隣に並んだ。
「大尉……大丈夫っすか」
「うん……なんとか」
フレンダは小さく笑った。
「みんなが温かいご飯を食べられる世界を……守れたよ」
ミカは無言で頷いた。彼女の声には、わずかな安堵と、深い尊敬が混じっていた。
「大尉は、本当に強いっす」
戦場の朝焼けが、傷ついた機体たちを静かに照らしていた。




