【影の使者】
朝の冷たい風が、リトルベースの敷地を横切っていた。
補給が制限されてから二日目。基地内の空気は明らかに重く、兵士たちの足取りもどこか沈んでいた。食糧倉庫では在庫確認が繰り返され、厨房ではフレンダが最小限の材料で最大限の食事を生み出そうと奮闘していた。
しかし、今日の朝はそれ以上に不穏な影が忍び寄っていた。
食糧プラントのサイロ群は、基地の生命線だった。
巨大な円筒形の貯蔵施設が並ぶエリアは、普段は厳重に警備されているが、今日の朝は異変が起きていた。サイロの側面にある点検用ハッチの一つが、わずかに開いたままになっていたのだ。
「誰か入った形跡がある」
第一小隊のガルム中尉が、通信で報告を上げてきた。
ミカは司令室で即座に反応した。
「人数は?」
「少なくとも二名。足跡と、工具の跡が残ってます。サイロ内部に細工をしようとしてた可能性が高いですね」
ミカの瞳が鋭くなった。
「フレンダ大尉と連絡を取れ、すぐに現場に向かうっす。第一小隊は現状維持。増援は私が向かう」
「了解!」
ミカは通信を切り、すぐに立ち上がった。
「リチャード!ポーンX1の準備を!」
「はっ!」
一方、厨房で朝食の仕込みをしていたフレンダは、インカムからメイの声を受け取った。
《フレンダ、緊急です。食糧プラントに不審者が侵入した形跡があります。第一小隊が対応中ですが、念のため大尉にも連絡が来ています》
フレンダは包丁を置き、すぐにエプロンを外した。
「わかった、行くよ」
彼女は作業服の上からナイトアーマー【ビアンコ】の簡易型を装着し、格納庫へと向かった。ルプス・インパルスに乗るほどではないが、基地内で動くには十分な装備だった。
食糧プラントに到着した時、すでに第一小隊と不審者との小競り合いが始まっていた。
二人の男が、サイロの内部に何かを取り付けようとしていた。作業服を着ているが、動きが明らかに軍事訓練を受けている者だった。
「止まれ!」
ガルム中尉が声を上げた瞬間、男の一人が腰に下げていた拳銃を抜いた。
銃声が響き、コンクリートの壁に弾痕が残る。
「っ!」
フレンダは即座に遮蔽物に身を隠し、ビアンコの内蔵された小型のハンドガンを構えた。
「民間人じゃない、武装工作員です!」
ガルム中尉が叫んだ。
戦闘は短時間で決着がついた。
第一小隊の正確な射撃と、フレンダが側面から牽制したことで、二人の工作員は抵抗を諦めて投降した。サイロ内部には、時限式の小型爆薬が仕掛けられていたことが判明した。
「これを起爆されたら、サイロの一つが大破してたな……」
ガルムが冷や汗を拭いながら呟いた。
フレンダは工作員の一人を睨みつけた。
「誰の命令で来たの?」
男は無言だったが、唇の端に冷たい笑みを浮かべていた。
「我々はただ、効率的な補給管理を望んでいるだけだ。大尉が検査を受ければ、こんなことは起きない」
その言葉に、フレンダの瞳がわずかに細められた。
その直後、基地の正門から新たな部隊が到着した。
ハワード・クレインとレイチェル・フォードを先頭に、LA本部所属を名乗るヘキサギア部隊が二機。どちらも高性能の第三世代機で、明らかに戦闘を想定した武装をしていた。
彼らは補給物資をほとんど積まず、護衛のような形で基地内に進入してきた。
ミカがポーンX1で出迎えた。
「これはどういうことっすか、ハワード調整官」
ハワードは相変わらず穏やかな笑顔で答えた。
「リトルベースの安全を守るための措置です。昨夜、補給ルートで不審な動きがあったため、特別警備部隊を配置させていただきました。これからは、基地の出入りを一部制限させていただきます」
「制限?」
「はい。フレンダ・ディーコン大尉が検査を受けるまで、リトルベースの主要人員の外出を禁止します。補給も、必要最小限のものに絞らせていただきます」
ミカの声が低くなった。
「それは、軟禁と同じっす」
「言い方はお好きにどうぞ。ただし、これは本部の命令です。拒否すれば、補給の完全停止もあり得ます」
レイチェルが冷たく付け加えた。
フレンダは、ビアンコを着たまま現場に駆けつけてきた。
彼女はハワードの顔を真っ直ぐに見つめた。
「私が行けば、みんなが普通に暮らせるって言うの?」
「その通りです、大尉。検査は大尉のためでもあります。どうか、賢明な判断を」
フレンダは小さく息を吐いた。
「……もう、我慢できない」
彼女はインカムに呼びかけた。
「メイ、ルプス・インパルスの起動準備を。ミカちゃんも、準備して」
《了解しました、フレンダ》
ミカが通信で制止しようとした。
「大尉、待てっす!まだ……」
「ミカちゃん」
フレンダの声は静かだったが、はっきりと響いた。
「これ以上、みんながご飯を食べられなくなるのを、黙って見てるのは嫌だ。工作員を送り込んでサイロを爆破しようとした時点で、もう『味方』じゃないよ」
ハワードの笑顔が、わずかに歪んだ。
「大尉、それは……」
「検査を受けるつもりはない。それでも補給を止めるなら、力ずくで止めさせてもらう」
フレンダはそう言い放つと、踵を返して格納庫へと向かった。
ミカは一瞬、目を閉じた。
(……ついに、来てしまったっすか)
彼女はすぐに通信を切り替えた。
「全兵員に告ぐ。臨時非常態勢に移行するっす。第一小隊はルプス・インパルスの護衛につけ。第二小隊は基地周辺の警戒を強化っす。敵は外部からではなく、内部にすでに潜入している可能性があるっす」
ガルム中尉の声が返ってきた。
「了解です、少佐」
ミカはポーンX1アーマーに深く腰を下ろした。
「大尉……私も行くっす。一緒に戦うっすよ」
格納庫では、ルプス・インパルスのコックピットハッチがゆっくりと開き始めていた。
フレンダは機体を見上げながら、静かに呟いた。
「もう、逃げない。みんなが温かいご飯を食べられる世界を、絶対に守る」
紫色のアイセンサーが、静かに光を灯した。
格納庫の奥で、ルプス・インパルスのコックピットハッチが静かに開いた。
紫と水色の装甲が、格納庫の照明を反射して淡く輝いている。尾部の強化型トリックブレードが、わずかに低く構えられていた。機体全体から、戦う準備が整ったような、静かな威圧感が漂っていた。
フレンダは、作業服の上からナイトアーマー【ビアンコ】を着込んだまま、コックピットへと足を踏み入れた。
「行くよ、メイ」
《はい、フレンダ。いつでも準備はできています》
メイの声は、いつも通り冷静だったが、どこか張りつめた響きがあった。
フレンダがシートに深く腰を下ろし、操縦桿を握った瞬間、機体が微かに反応した。忘我廻廊のシステムが、彼女の意識とリンクし始めている。
「メイ……本当に、大丈夫?」
《何が、ですか?》
「前みたいに、私を守るために自分を犠牲にするようなこと……もう、しないでよね」
メイは少しの間、沈黙した。
《……ロード・インパルスで一度、そうしました。あの時は、フレンダを死なせないために、自分のコアを移すしか方法がありませんでした》
フレンダは操縦桿を強く握りしめた。
「でも今は、違うよね?私たちには、ルプス・インパルスがある。一緒に戦える」
《はい。今は違います。フレンダが戦うと決めたなら、私も全力でその背中を支えます。忘我廻廊も、すでに安定領域に定着しています。フレンダの意志と、機体の性能を最大限に引き出せます》
フレンダは小さく微笑んだ。
「ありがとう、メイ。……私も、絶対にメイを失くさないから」
コックピットの中に、静かな決意が満ちた。
格納庫の入り口で、ミカ・フォルクス少佐が漆黒のポーンX1で搭乗する準備を整えていた。
彼女はヘルメットを手に持ち、フレンダの機体を仰ぎ見ながら、通信を入れた。
「大尉、聞こえるっすか」
「ミカちゃん?」
「私も出るっす。一緒に戦うっす」
フレンダの声が、少し驚いたように返ってきた。
「えっ……でも、司令官として基地に残った方が……」
「もう、そんな段階じゃないっす」
ミカの声は静かだったが、強い意志が込められていた。
「補給を人質に取られ、工作員を送り込まれ、軟禁状態にされる……これ以上、深淵の連中に好き勝手させるわけにはいかないっす。大尉が戦うと決めたなら、私も司令官として、ちゃんと一緒に戦うっす」
フレンダは少しの間、言葉を失った。
「……ミカちゃん」
「大尉は、私のバディっす。昔から、死線を一緒にくぐり抜けてきたっす。今更、一人で戦わせるつもりはないっす」
ミカはポーンX1のヘルメットを被りながら、続けた。
「リトルベースのみんなも、準備を始めているっす。第一小隊は大尉の護衛として出撃する。第二小隊は基地の防衛に残る。リチャードも、機体の最終調整を終えたっす」
フレンダは、操縦桿を握る手に力を込めた。
「みんな……ありがとう」
「感謝は、戦いが終わってからでいいっす。大尉が無事に帰ってくることが、一番大事っすから」
出撃前の短い時間、フレンダは厨房に立ち寄った。
基地全体が非常態勢に移行する中、彼女は小さな鍋で、簡単なスープを作っていた。残り物の野菜と、わずかな保存肉を入れて、できるだけ温かみのある味に仕上げる。
ミカが厨房の入り口に立っていた。
「大尉……今から出撃するのに、料理っすか?」
「うん。少しだけでも、温かいものを食べてから行きたいんだ」
フレンダは小さく笑った。
「戦う前って、なんかお腹が空くんだ。空腹で戦うのは、なんだか悔しいから」
ミカは無言で、フレンダの隣に立った。
二人は、短い時間でスープを分け合った。熱いスープが、喉を通る。味は薄かったが、確かに温かかった。
「ミカちゃん」
「なんすか?」
「もし……私が本当の意味で特別な存在だったとしても、ミカちゃんは私を味方してくれる?」
ミカはスープの器を置き、フレンダの顔を真っ直ぐに見つめた。
「当然っす。大尉がどんな存在でも、私にとっては大事な戦友っす。検体Fとか、そんな呼び方をする連中には、絶対に渡さないっす」
フレンダは、スープの器を両手で包み込むように持った。
「ありがとう。……これで、ちゃんと戦える」
格納庫では、第一小隊のロード・インパルス三機がすでに起動準備を整えていた。
ガルム中尉が通信で報告を上げてきた。
「大尉、準備完了です。いつでも出撃できます」
「ありがとう、ガルム中尉」
フレンダはルプス・インパルスのコックピットで、深呼吸をした。
メイの声が、静かに響いた。
《フレンダ、忘我廻廊のシンクロ率が上昇しています。機体全体が、フレンダの意志に呼応しています》
「うん。感じるよ……この子が、応えてくれてるみたい」
ルプス・インパルスが、ゆっくりと前脚を踏みしめだした。重厚な音が格納庫に響く。
ミカのポーンX1が、隣に並んだ。
「大尉、行こうっす」
「うん」
フレンダは、最後に基地の面々に向かって通信を送った。
「みんな……ありがとう。私たちは、温かいご飯を食べられる日常を守るために戦う。絶対に、負けないから」
リチャード整備班長が、油まみれの顔で親指を立てて見せた。
「大尉、行ってらっしゃい!機体は俺が責任持って整備しときましたから!」
ガルム中尉の声も重なった。
「我々も、全力で護衛します!」
フレンダは小さく頷き、操縦桿を引いた。
ルプス・インパルスのアイセンサーが、鋭く紫色の光を放った。
機体がゆっくりと動き出し、格納庫の大型シャッターが開く。
外には、夜明け前の薄暗い荒野が広がっていた。
フレンダは、最後に小さく呟いた。
「行こう、メイ。ミカちゃん。一緒に……みんなの日常を守るよ」
《はい、フレンダ》
ポーンX1が並走し、第一小隊の機体たちが後ろに続いた。
ルプス・インパルスが、力強く大地を蹴り、基地を飛び立った。
その背中は、紫色の光を残しながら、戦いの場へと向かっていく。




